67話 聖王国アストロイア
俺の心配をよそに、聖王国アストロイアまでの旅は順調に進んだ。もちろん俺が逃げ出したり、反抗する素振りを見せなかったからだろうが。まぁ、そんなタイミングなんてなかったのだけれど。
モルジス王国の首都グルーケルを出て八日。ほとんどが馬車の密閉空間、しかも見張り付き。なんと用を足す時まで視線を感じるのだ。
そろそろ俺の神経も限界に近い。ははっ…… 気を張りすぎて頭がおかしくなりそうだ。
俺は虚ろな目で、三角に開いた白い天幕から外を眺める。木々の隙間から漏れた朝日が、二本の細い轍をくっきりと浮かび上がらせていた。
「みなさん、見えましたよ」
御者が太い布をめくって客車を覗く。
俺は瞼をパチリと上下させ、進行方向を向いた。もう仕事を終えたかのように安堵の笑みを浮かべる御者の隣。そのわずかな隙間から見えたのは、天高くそびえる巨大な神殿だった。
「着きましたよ、ここが聖王国アストロイアの首都、ストラムです」
馬車を降りたフレンは、両腕をぐっと持ち上げ伸びをした後、その手を左右に広げて深呼吸する。強調された胸元の上で、翡翠色のネックレスが慌ただしく揺れた。
「ここがフレンの故郷か」
俺は辺りをぐるっと見回すと、静かに息を呑んだ。
白を基調にして、丁寧に区画を統一した街並み。そこに騎士の像や大きな噴水が溶け込んで、落ち着きと威厳のある雰囲気を漂わせている。
そして中央で街全体を見下ろしている神殿だ。
異教徒を拒絶するかのような重圧感に、俺は自然と背筋を伸ばしてしまう。
馬車が停まったのは、モルジス王国でいうところの市場にあたる場所だろうか。優雅に買い物を楽しんだり、店の前に設けられたテーブルで食事をとっている人もいる。
よく知る王都と同じくらい活気はあるが、店構えや客の服装は、こちらの方が品のある感じだ。
「私の故郷は厳密に言うとここではなくて、あと二日馬車で進んだ田舎町ですよ」
フレンは眉端を下げ、たわんだフードの上からポリポリと頬をかく。
「そういえばそうだったな…… って、まだ二日あるのか」
わかりやすく肩を落としながら、俺は馬車から降りるサリーの手を取る。軽やかに地を踏むリボンをあしらった黒の靴。その乾いた音の後に、背負った大剣がガランと揺れた。
この旅で、サリーは見違える程に人形の動きが上手くなった。最初の方は全身がカクカクとしすぎていたが、今は程よい具合に人のような滑らかさを残せている。これなら、サリーがネクロマンスされた死体だとは思われないだろう。
「あともう少しじゃないですか、若いんですから頑張ってください」
困った顔で微笑むフレン。体力的にじゃなくて、精神がきついんだよ―― なんてことは言えるはずもなく、俺は苦笑いで返す。
「出発は明日だよな? 座りっぱなしで体が鈍りそうなんだ。少しこの辺を散策していいか?」
「私もちょうど歩きたいと思っていたんです。ご一緒しますね」
フレンはニコリと首を傾ける。この微妙に圧のある笑顔は断っても聞かないやつだな。
一緒に馬車に乗っていた連中も姿を消したし、レスティーの死体を探そうと思ったのだが…… そう簡単にはいかないらしい。
ここに来る道中で墓地は何箇所か見つけた。だが、肝心のレスティーらしき声は聞こえない。
特に警備もされていなかったので、ナターシャが既に探していそうではあるが。であれば、なんとかフレンを振り切ってでも首都ストラムの内部を探すべきだな。
「ではまず、宿に寄って荷物を置きに……」
言いかけてフレンは、指の腹を唇に添えながら俺の顔を覗く。
「――同じ部屋に泊まりますか?」
「いや、遠慮しておく」
手のひらを向け、断固たる態度で俺は拒否する。フレンは「冗談ですよ」と、どこかつまらなそうに、軽く笑った。
ここまでずっと監視されていたんだ。男なら喜ぶべきシチュエーションかもしれないが、今の俺にそんな心のゆとりはない。
話は終わりかと思えたが、フレンは長い睫毛に包まれた瞳を俺に向けたまま少し頬を膨らませる。
「でも、そんなに強く断られたら私だって傷つくんですよ」
ぷいっと視線を外すフレン。えっ? だって本当は、俺が逃げ出さないか見張るためなんだろ…… 違うのか……?
「その、なんだ…… フレンが嫌とかじゃないんだ。知らない奴ともしばらく一緒だったから、たまには一人でと思って……」
言葉を選びながら口を開いたのだが、フレンはちらっと俺を横目で見ると噴き出すように笑った。
「ごめんなさい」
「やっぱり、からかってたのか?」
「違いますよ。少し意地悪したくなったのはありますけど」
言い終えると、フレンは自身を落ち着かせるように深く息を吐き出す。
「なんか、いつものダレスだなっと思って」
「なんだそれ?」
「なんでもないですよー」
フレンは右足を軸にくるりと回って、もう一度俺に向き直る。なびくフードに包まれた彼女は、まるで子どものように、無邪気に笑っていた。
パーティーで旅をしていた頃は、キサラとメロによくからかわれることがあった。初めは良いようにされていた俺だったが、慣れてくるとこちらからもやり返すくらいにはなった。
キサラは手強かったが、メロはちょろかったものだ。直ぐに顔を真っ赤にしていたのは昨日のことのように覚えている。
みんなで馬鹿やって、笑いあって。でも、戦闘になるとお互いを信じて背中を預けあえる。そんな仲だった。
フレンだけは、いつも一歩引いて俺たちを見ていたように思う。話はするが、自分からは話題を振らないような。
そんなフレンが、キサラやメロみたいに俺をからかって笑ったのはどんな意味があったのだろうか。
「おわっ!?」
ふと物思いにふけっていた俺の横スレスレを、小さな影が通り過ぎる。
「ごめんよ、兄ちゃん!」
小さな男の子が、顔だけこちらを向けて全速力で駆けていく。背丈はサリーと同じくらいだろうか。肩からかけた大きなバッグが、暴れるように揺れている。
男の子は俺の顔を一瞥すると直ぐ様前を向き、さらにスピードを上げたのだが。
「あっ……!?」
驚いたように声を上げ、盛大に転んでしまった。不幸にもバッグの口が開き、バラバラと白い包みが散乱する。あの形は手紙だろうか。
男の子は「痛ってえぇ……!」と泣きそうになりながら両膝をつく。
「気を付けろよガキが、このワシに当たったらどうする」
男の子のすぐ隣。テーブル席に腰掛けた老人が、見下ろしながら責め立てる。慌ただしく手紙を集める男の子を横目にソーセージを咀嚼すると、何事もなかったようにバサッと新聞紙を広げた。
ここだけ切り取ってみれば、無愛想な老人が子どもにきつく当たっているだけに見えるだろう。
だが俺は見てしまった。老人がわざと足を伸ばして、男の子を転ばせた瞬間を。
「……おい! 謝れよ!」
手紙を拾い終えた男の子は、声を震わせて訴えかける。小さな膝小僧は、二つとも痛々しい赤に染まっていた。
「ワシが何を謝るって? それよりも、目上の人間になんて口の利き方しやがる!」
老人は新聞紙をくしゃりと畳むと、力強くテーブルに叩きつけた。パスンと耳を突く音に、男の子は肩をすくめる。それでも男の子は、服の裾を握りしめて老人を睨みつけた。
「お、お前が足を引っ掛けたんだろ!」
「お前が勝手に転んだだけだ! 変な因縁付けてくるんじゃねぇ!」
老人が激しく捲したてると、男の子は何も言い返せなくなってしまう。力強く向けた瞳からは、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうだった。
悔しそうに唇を噛む男の子の姿が、俺の胸をぎゅっと締め付ける。悪いのはあの老人だ。男の子の言っていることは正しい。だけど世界がそれを認めない。
老人が足をかけたのは疑いようのない真実だ。しかし証拠はどこにも存在しない。目撃者の俺が仲裁に入ったところで、老人が非を認めたりはしないだろう。
あの子は今、理不尽というこの世の暴力に押し潰されそうになっている。けれど、男の子はその場から動こうとはしなかった。
「なんだガキ? ワシの言ってることがわからんのか?」
老人は立派な髭を触りながら立ち上がる。そして、椅子にかけた杖を手に取り、その尖った先端を空に向けて振り上げた。
「あいつ……!」
「待ってくださいダレス」
男の子を助けに走り出そうとする俺を、なぜかフレンは呼び止める。
「さすがに見過ごせないぞ」
「待ってください!」
それでも駆け出そうとする俺の手を、フレンは掴んで離さない。そして何も言わず目を伏せると、諦めたように首を横に振った。
フレンだけじゃない、この広場の何人かは老人の暴挙に気づいている。だけど誰一人声を上げようともしなかった。
視線を戻した瞬間、黒塗りの杖が小さな頭部目掛けて振り下ろされる。もう間に合わない。あの子はこの世の不条理に殴られる。
――俺と同じように。
「おっと、失礼します」
男の子の額の前で杖がピタリと止まる。その鋭い先端を、眩く輝く手甲が包んでいた。
「こんなに良い杖なのに、汚れてしまいますよ」
一瞬の出来事に俺は目を見開く。突如として、白銀の鎧を着た青年が二人の間に割って入ったのだ。




