66話 湖の主2
水竜は積み上げられたアクアトードの死骸を一瞥し、空中から俺たちに睨みを利かせる。日に照らされ青く輝く瞳が収縮すると、鋭利な牙を剥き出しにして激しく咆哮した。
空気が震え肌がひりつく。俺は生唾をごくりと飲み込んだ。
「俺が注意を引く、お前らは早く逃げろ!」
アシュードはその身をすっぽりと隠せるほどの大きな盾を構える。水竜に萎縮していた俺は、はっと我に返った。
杖を握りしめるメロが声を張る。
「だめですよアシュード! 一人置いてなんか行けません!」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」
語気を強めるアシュードに、メロは怯えて何も返せなくなる。ここまでメロに強く当たるアシュードを見たことがない。それほどまでに状況は切迫しているということか。
風を切る羽音が、水竜を挟むようにそびえ立つ岩壁に反響して鼓膜を揺らす。奴はいまだ、安全圏でこちらの様子を窺っている。
「俺たちが餌を奪ったと思ってブチ切れてるはずなのに、えらく用心深い奴だ。さすがはドラゴン種ってところか……」
アシュードは口元を引きつらせながら好戦的に笑う。だけど、水竜を見据える瞳の奥には、どこか諦めたような弱さが潜んでいた。
「何言ってんのアシュード!」
キサラが自身の胸に手を押し当てる。うっすらと震えている色素の薄い唇。その叫びは、まるで自らを奮い立たせるようにも感じた。
「わたしたちはあなたを置いて逃げたりしない」
「キサラまで何言ってんだ、状況を見れば――」
「それに!」
戸惑うアシュードを退け続ける。
「ここで水竜を倒さないと、周りの村に被害が及ぶのは目に見えてる。わたしたちは、ルナール湖の脅威を取り除くためにここに来ているんだよ」
迷いのないキサラの言葉には、不思議と引きつけられるような力が込められていた。
「倒すって…… お前」
「そうだぞアシュード」
キサラに背中を押されたような気がして、俺は拳を作ってアシュードに突き出した。アシュードは虚を突かれたように目を丸くする。
「お前の夢を手伝うって約束、俺は忘れてないからな」
「ダレスも何言ってんだ」
「わたしたちならできる。あいつを倒して、みんなで帰ろう」
「あーもう、キサラには敵わねぇな」
アシュードは首筋をかきむしりながら、やれやれと息を吐き出す。メロとフレンも、アシュードの目を見ながら力強く頷いた。
俺たちに絆されたようで、アシュードはいつものように豪快に笑う。
「どのみち逃げるのは難しそうだし、やるしかねぇか」
「そうこなくっちゃ。あっ、わたしは戦えないんだけどね」
自虐混じりに言うキサラに、パーティーメンバーはくすっと笑みをこぼす。いつも通りの空気。けれど、血が冷たくなるような程よい緊張感が皮膚を包み込んでいる。
アシュードの夢。アシュードを追放した一族に、自分を救った料理の味を知ってほしい。彼らの身を縛る掟を振り解き、新しい世界を知ってほしい。
その夢を、俺はまだ何も手伝えてはいないから。
「水竜の肉はどんな味がするんだろうな!」
アシュードの目にもう迷いはない。力強い眼光を向けられ、水竜が空中でわずかに距離を取る。
「やってやろう、アシュード!」
俺の声に呼応し、サリーが大剣を水竜に向けた。
こんなところで、誰一人死ぬわけにはいかない。
水竜は大きな翼をしなやかに上下させたまま、ゴツゴツとした両腕を広げる。すると、水竜を取り囲むように無数の水の塊が現れた。うねうねと動く水は槍のように鋭く尖り、その矛先が俺たちに向けられる。
水竜が腕を動かした段階で、即座に反応していたのはフレンだった。
「メロ、攻撃きますよ」
「任せてください。ウィールス・スペル!」
フレンがメロに目配せすると、全てを察したようにメロは高々と杖を掲げる。
水竜の咆哮と同時に、視界を埋め尽くすほどの水の槍が空を裂き、嵐のように迫りくる。しかし、無数の槍は、強烈な向かい風を受けたかのように減速を始めた。
こちらに届く頃にはなんてことない雨粒に変わり、パサパサと砂浜に吸い込まれていく。
「さすがだメロ! これならいくらでも受けられるぜ」
「当たり前です。わたしの魔法ですよ」
アシュードの感嘆する声に、メロは濡れた頬をぬぐいながら鼻を鳴らした。メロのデバフは水竜にしっかり効いている。
「あとはあいつを引きずり下ろすだけだな」
ニヤリと不敵に笑い、アシュードは盾を天に向け掲げる。水竜は腕を大きく広げ、また同じ遠距離攻撃の準備を始めていた。アシュード以外のパーティーメンバーは、示し合わせたように彼の後方へ移動を開始する。
「俺を見ろ!」
水竜にも負けない咆哮。水竜は腕の動きを止めて、アシュードを睨みつけて吠え立てる。そのまま羽根を大きく広げると、水竜はアシュードに向かって急降下を始めた。
「よしかかった! メロ!」
「ウィールス・パワー!」
赤い靄に包まれた水竜は、滑空しながら巨大な足を振り下ろす。これをアシュードは正面から受け止めた。ガンッと乾いた衝撃音の後、足下の砂が破裂したように飛び散る。
普通なら簡単に吹き飛ばされるであろう質量差があるが、アシュードは僅かに仰け反る程度。メロのおかげで、相手の攻撃はかなり抑えられている。
「軽い、軽いねぇ」
水竜は二本の足を地に着けると、右、左と交互に腕を振り下ろす。鋭利な爪先が迫りくるが、アシュードは余裕そうな口振りでこれをいなした。
思うように攻撃が通らず苛立っているのか、水竜は長く伸びた尾をしならせ、バシャバシャと水面に打ち付けている。
「あまり無理をしてはいけませんよ」
フレンがアシュードに向け手をかざし、治癒魔法を唱える。
「おぉ、さすがフレンだ。ちょうど手の感覚が鈍くなってきたところだったんだ」
愉快そうに笑うアシュードに、フレンは困ったように眉尻を下げた。フレンがアシュードの状態を見抜く目は、戦闘を重ねるたびに研ぎ澄まされている。
回復したアシュードは、水竜の連撃を丁寧に受け止めていく。隙を見てメロが再びデバフを付与した。
ミラーデーモンには、メロとアシュードのスキルは全く通用しなかった。けど水竜には、俺たちの戦い方で勝負ができる。
メロが相手の能力を下げ、アシュードが攻撃を受け止める。すかさずフレンが治癒魔法を唱えれば、魔力の続く限りアシュードは難攻不落の要塞と化す。
あとは、俺が水竜の喉元に刃を通すだけ。
俺は呼吸を整え、サリーを見る。同じタイミングでサリーも俺の顔を見上げた。
ほんの一瞬の間にも攻防は進んでいく。水竜は強靭な顎をかっと開き、幾重にも並んだ牙をアシュードの頭部めがけ突き立てた。アシュードは絶妙な盾さばきでこれを防ぐ。
横腹を切り裂かんとする次の一手。これを、見切ったように最小限の重心移動でアシュードは受け止めた。盾にはべっとりと水竜の唾液が付着している。
最初は慎重だった水竜も、アシュードに乗せられて攻撃が大胆になった。その結果、無防備とまではいかないが細長い首のガードは薄い。
日光を反射する尖った鱗はかなりの硬度がありそうだが、メロのデバフがあれば貫けないことはないはず。
「メロ! 首を狙うぞ」
「了解です!」
メロに視線を送ると、俺は水竜の首を掴むイメージで広げた手を握りしめる。するとサリーは、大剣を手に颯爽と駆け出した。黒髪がばさりと靡き、スカートの裾に施されたレースが踊るように揺れる。
メロは攻撃力低下のデバフを放った後、杖を両手でくるりと回した。
「ウィールス・ガード!」
水竜の首に青い靄がかかる。まるで、そこを斬れと言わんばかりの目印のようだ。そんなことなど気にもとめず、水竜は大きな口を開けてアシュードにかぶりつく。ガンッとアシュードが盾で弾くと、少し怯んだように水竜は攻撃の手を緩めた。
ここで決める。
距離を詰めていたサリーは地面を蹴った。小さく体を捻ってためを作り、なぎ払うように大剣を振るうが。
「嘘だろ……」
狙い澄ました一撃は、あらかじめ予見されていたように躱された。




