65話 湖の主
「んじゃまぁ、俺たちも稼がせてもらおうぜ」
アシュードは鼻の頭を指で拭い、背負っていた盾を砂浜に突き立てる。水面から飛び出た複数の背びれが、もうそこまで迫っている。
「トージは仲間のところへ戻った方がいい」
「悔しいけどそうさせてもらう。ありがとうな、ダレス」
トージは軽く手を振りながら、湖を背に駆け出していく。彼の鋭い目にはまだ慣れないが、次に会えた時は気兼ねなく接することができそうだ。
「ダレス、準備してくださいよ」
「あぁ、分かってる」
メロの呼びかけに、俺は湖に向けて手をかざす。波打ち際まで移動したアシュードの後方に、大剣を肩に担いだサリーを移動させた。その後ろで、俺、メロ、フレン、キサラがいつでも動けるよう待機する。
いつも通りの布陣。そうしている間にも、湖面にはアクアトードの目玉が幾つも浮かび上がり、不気味に俺たちを覗いていた。
吹き付ける涼しげな波風の中に緊迫感が混ざる。魔物と対峙すると、心拍が上がり呼吸が浅くなっていく。初めての敵なら尚更だ。
俺は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。サリーの小さな背中を視界の中心に固定したまま、迫る魔物の群れを見据える。
滲み出た手の汗をローブに擦り付け、アシュードの合図を待っていたのだが……
「こいつら……」
拍子抜けしたようにアシュードは頭をかく。その横を、アクアトードの群れがぴゅんぴょんと跳ねて通り過ぎていった。
「このカエルどもは戦う気なんてないみたいだぞ。どうするキサラ」
「あれれ、お腹空いてるんじゃなかったのかな?」
アシュードは振り向きながらアクアトードを目で追う。転倒しながらも急いで起き上がってまた跳ねる様は、まるで何かに怯えているようにも見えた。
奴らは全く俺たちのことが眼中にないようで、一目散に木の生い茂る陸地へと進んでいく。魔物の生態に詳しいキサラですら、この光景に頭を抱えっぱなしである。
「俺がスキルで注意を引いて、無理に交戦する必要もないだろ?」
アシュードが肩を落として両手を広げる。
「それもそうだね。じゃあダレスお願い」
「任せてくれ」
腑に落ちないのか、キサラは大きくため息をついた。俺は言われるまま、指先を動かしサリーに指示を送る。
サリーは先端の丸い小綺麗な靴で砂浜を蹴り、一瞬で先頭を走るアクアトードの側面に肉薄した。そのまま豪快に剣を振るうと、肉厚の身はあっさりと二つに分かれる。
明らかな敵対行動ではあったが、残りのアクアトードたちは気にすることなく直進を続ける。異常なまでの無関心だ。だけど、こちらにとっては都合が良い。
そのままサリーは踊るように次へ次へと斬りかかる。一、二、三、四。全てのアクアトードを一撃で捌いていった。思わず鼻を塞ぎたくなるような、生々しい血の匂いが充満していく。
「問題なさそうだね」
キサラは嬉々として腰につけたナイフに手を伸ばす。獲物を前に、先程までの不服そうな様子は消え去ったようだ。
「じゃあ、わたしとメロで尻尾取っていくね。アシュードとフレンは周囲を警戒、ダレスは上がってくるアクアトードをどんどん倒していって」
キサラは指示を出しながら、もうアクアトードの死体に手を付けている。
「わたしも尻尾切るんですか!?」
「当たり前でしょ。次々やっていかないと終わらないよ」
「で、でも…… ひっ!」
半分になったアクアトードの体がびくっと跳ねた。メロは身構えながら、バタついた尾びれを凝視している。その様子に、アシュードはいつものごとく茶化すように笑った。
こんなに簡単で良いのだろうかという疑念は、相手を倒すごとに薄れていく。サリーが剣を振るった回数は、既に二十を超えていた。俺はもう、数えることをやめていた。
アクアトードを斬って、ただ斬っての単純作業。気づけば自分の方から湖に近寄っていた。「そんなに近づくと危ないですよ」と初めは心配してくれていたフレンであったが、今はもう呆れ顔で俺とサリーを見守るだけだ。
キサラとメロは、「追いつかないよ」と嬉しい悲鳴を上げながら解体作業に勤しんでいる。
いつの間にか太陽は直上まで昇り、剥き出しの日差しが俺たちを照らしていた。
湖面から顔を出すアクアトードの数が減り、少し休もうかと動かし続けていた腕を下ろした時。
「何か動いてないか?」
じっと湖を眺めていたアシュードが眉をひそめる。不穏な空気を含む声色から、パーティーメンバーは作業の手を止め一斉に湖へと視線を向けた。
俺は風を受けて波打つ湖面を注視する。特に変化は見受けられないと肩の力を抜こうとした瞬間、ぼこっと大きな気泡が浮かび上がり、弾けるようにして空気と混ざった。
「何かいるみたいですよ! かなり大きそうです」
どんどん数を増す気泡をメロが指差す。その真下で、細長い大きな影がうごめいていた。
「っ……!」
湖面を突き破る爆音が一面に響く。大きな水柱の中から姿を現したのは、アクアトードを咥えた何かだった。
蛇のように細長い体に、強靭な爪を備えた手足が四本。頭部には捻れた角が二本生えている。その何かは、湖から飛び出た勢いのまま巨大なアクアトードを丸呑みにした。
そのまま空中でぐるりと旋回すると、折りたたんだ翼を大きく広げる。そして、宝石のように青く輝いた瞳で俺たちを見下ろした。
目の前の光景に思考が追いついていかない。けど一つだけ。拍動を高める心臓と、無意識に後ずさりする足。全身が逃げろと叫んでいる。魔物に出会って、ここまで危険を感じたのは初めてだった。
「キサラ! 指示を!」
俺は情けなくも、自分がどうすれば良いかを問うことしかできなかった。すがるような思いでキサラを見たが、彼女の表情は、俺からわずかな希望を簡単に奪っていった。
「どうして…… こんな場所に水竜が……」
キサラは目を剥き、震える両手で口を覆う。
溢れ出た声は、穏やかな波の音で簡単にかき消された。




