64話 次の指示2
「なるほどね。そんな事があったの」
ナターシャはしみじみと呟くと、小さく肩を震わせて笑った。
俺は、元いたパーティーの治癒魔術師、フレンについての情報を包み隠さず話した。彼女が、この国を狙っている聖王国アストロイアの出身だということ。近々始まろうとしている戦争を止めるため、俺に近づき、戦いの火種であるナターシャの居所を探ろうとしていたことも。
「何がおかしいんだ」
「真面目な顔で言わないで。余計に笑えてくるから」
ついには噴き出しやがった。こいつは何を考えてるのかさっぱりわからない。
「あなたも大変ね、騙されてばかりで」
「えっ……?」
目を丸くする俺を見て、ナターシャは頬杖をつきながらソファーにもたれ掛かる。
「私を殺したところで戦争は始まるわ。相手はもうやる気なんだから、他に適当な理由をつけて攻めてくるでしょうね」
「そんなはずは!?」
俺は机に両手を突いて立ち上がる。カシャンと揺れたカップからは、赤褐色の液体がわずかに溢れた。
「それぐらいその子も理解しているはず。私の居場所がわかれば殺せる算段がついてるぐらいなんだから、ある程度の組織にいる人間なのは間違いない」
ナターシャは気怠そうにしながらも、机の上にぽつぽつと生まれた小さな円をハンカチで拭き取った。
俺はナターシャの言葉の意味を考えながら、気持ちを落ち着かせてソファーに座り直す。
そういえばフレンは、自分には協力者がいると話していた。当然といえば当然だ。フレンは治癒魔術師で、攻撃が得意なわけではない。
ナターシャを仕留めるためには、誰かの手を借りることになる。毒物なんかも手段には入るが、こいつには効果が薄そうだしな。
治癒魔術師が冒険者の中で貴重だから、恩を売りたい人が沢山いるんだと思っていた。現にフレンもそんな言い方をしていたし。
けど、ナターシャの言い分ではそれも嘘。協力者を集めたのではなく、初めからフレンはどこかの組織の一員。それが意味するのは――
「その子は聖王国アストロイアのスパイね」
毛先をいじりながら退屈そうにナターシャは言う。
「スパイって…… 本当にそんなのがいるのか?」
「どの国にもいるわよ。公表なんてされないから知らないのは当たり前」
ナターシャは足を組み直し、紅茶を手に取る。中身をのぞき込むと、何か思いついたようにクスリと鼻で笑った。
「嘘の中にちょっぴり本当の話を混ぜ込んで人を騙す。スパイとしてその子はきっと優秀なんだろうけど、詰めが甘かったわね」
「一体なんだっていうんだ?」
「彼女は冒険者の鉄の掟を破っている。自由に世界を歩く冒険者は、人の自由を奪う戦争に加担してはいけない」
「あっ……」
ナターシャは香りを楽しむように紅茶をすする。
ギルドでチャコさんから冒険者としての研修を受けた時だ。戦争に加担した冒険者は、その権利を剥奪され多額の負債を背負うことになると。
自分に全く関係のない話だと気に留めていなかったが、フレンのやろうとしていることは、まさしく冒険者としての禁忌だ。
「そこに気づかれないようにしたんだろうけど、最後の最後でボロが出た。きっと、急いであなたに話を切り出さないといけない事情ができたのね」
俺はナターシャに気づかれない程度に、薄く唇を噛みしめる。急がないといけない事情。俺がキサラをネクロマンスさせようとしたからだ。
あの時のフレンの鬼気迫る表情は、今でも目に焼きついている。死者を操ることは、信仰する神に背く耐え難い行為らしい。であれば、冷静なフレンが、自らの素性を晒すリスクを冒してまで、俺を止めようとしたことには納得がいく。
「その弱みをうまく使いましょう。国絡みで戦争に冒険者を利用したとなれば、聖王国アストロイアは各国から大きな非難を受けることになる。それだけは避けるように、命令を受けているはず」
ナターシャは紅茶を置いて立ち上がると、一人分空いた俺の隣にすっと忍び寄る。そして、俺の右腕に細い両腕を絡めながら唇を耳元に寄せた。
「――今から作戦を伝えるわ」
「っ……!? やめろよ!」
吐息混じりの囁きに、咄嗟に俺はナターシャの腕を振り払った。首筋に触れていた艷やかな髪が離れていくと同時に、かすかに甘い茶葉の香りが消えていく。
たまらずたじろぐ俺を見て、ナターシャは粘っこくニタッと笑った。俺は敗北を認めるように、目線を外してしまう。これだけ激しく嫌悪していても、情けなく反応してしまう自分が嫌いだ。
ゆっくりと視線を戻すと、机の上に置かれた一枚の紙に目が留まる。
「それが冒険者ギルドの掲示板に貼ってあってね。あなた、大事にされてるじゃない」
皮肉っぽく言うナターシャには何も触れず、俺は文字に弱い頭をフル回転させる。
「ダレス…… 俺の名前だ」
優しく温かみのある文字で書かれた俺の名前。そこから始まる文章を、俺は一つずつ指先でなぞっていく。
『ダレス・ハーパーという人形師を探しています。二十日ほど前、何も言わずパーティーを離れてから行方が分かっていません。激しい戦闘の後だったので、とても心配しています。少しでも心当たりのある方は、ギルドに情報を提供していただけると幸いです。報酬も用意しております』
「俺を探しているのか……」
感嘆を漏らし俺は顔を上げる。自然と手に力が入り、茶色い紙がくしゃりと歪む。
勝手にパーティーを抜け出した自分勝手な奴を、心配してくれているのか。いや、フレンには俺を追いかける理由があるんだ。俺は自らを律するように顔を横に振る。けれど、これを読んだ最初の感情は、「嬉しい」以外になかった。
感傷に浸る俺の隣で、ナターシャは早く続きを読めと言わんばかりに、トントンと紙を指差す。
『もし、ダレスがこれを読んでいるなら。正午の鐘が鳴る頃、グルーケルの正門に来て。あなたを待っています。――フレン・ターラー』
やはり俺を探しているのはフレンだった。ナターシャの言うように、フレンは本当に嘘をついているのだろうか。
そもそも、俺に嘘をついていたナターシャの事を、ここだけ切り取って信用するのもおかしな話だ。あぁーもう、頭が追いついていかない。
何が本当で何が嘘なのか。俺を取り巻く環境は、崖から転げ落ちる石のように目まぐるしく変わっていく。ただ俺だけが無抵抗のまま、何も分からず深い谷底へと沈んでいく。
くらくらしながら思考を続ける俺を、パンという破裂音が呼び起こす。音の主はナターシャ。胸の前で手を合わせ、悪い笑顔を作っている。
「もうすぐ正午の鐘が鳴るわ。あなたのやることはただ一つ」
持ち上げた口端に指先を当て、ナターシャは続けた。
「騙されたのなら、騙し返さないと」
ここまでくると怒りを通り越して呆れてくる。
全く、本当に―― どの口が言うのか。




