6話 孤児院へ
朝になる頃には雨は止み、錆びついた窓から外を覗くと雲一つ無い青空が広がっていた。
王都から少し離れた貧民街にある、ぼろ小屋のような我が家。
部屋の真ん中に置かれたダイニングテーブルを、背もたれのない椅子が散り散りに囲んでいる。母さんが使っていたクローゼットは、寂しそうに口を開けっ放しにしたままだ。
いつもと変わらぬ光景に、昨日のことは夢だったんだと目をそらしたくなる。けれど、右手に負った火傷とその痛みが、俺を現実へと連れ戻した。
妹たちに会うため、貧民街にある孤児院へと向かう。
外はまだ静かで、王都の市場から活気のある声が微かに聞こえた。あちこちにできた水溜りには、澄み切った青空が映し出されている。
「ダレス!」
路地の奥から、赤髪で長身の男がゆっくり駆け寄ってくる。どうやら、今日最初に顔を合わせるのは妹ではないようだ。
「フレッドさん…… 足はもう大丈夫なんですか?」
「俺のことはいいんだ、それよりお前にどうしても話したいことがあって……」
フレッドさんは鉱山で共に働き、昨日の一件でもガインに鼓舞され声を上げていた一人だ。ガドックの攻撃で負傷した足を少し引きずってはいるが、大事には至っていないらしい。
伝えたいことがあると言うフレッドさんは、申し訳なさそうに背中を丸める。十歳は年上のがっしりとした体が小さく見えた。
「俺たち全員に罪があったはずなのに、ガインが庇ってくれただろ…… でも、まさか殺されるなんて思ってもいなくて」
声を震わせながらフレッドさんは続ける。
「俺も、きっとみんなも、ガインと同じ気持ちだったと思うんだ。あのままじゃいけない、誰かが動かなきゃって」
フレッドさんは拳をぎゅっと握りしめ、俺に力強い眼差しを向けた。
「お前のことだから、『ガインが死んだのは俺のせい』とか思ってるだろうけど、そうじゃないぞ」
「でも俺がガドックを殴ったから、ガインが殺されることになって……」
俺の胸に軽く拳を押し当て、フレッドさんはニッと笑う。
「ばかやろう、お前がガドックをぶっ飛ばした時は最高の気分だったぜ。ガインもきっと、お前の行動は間違いじゃなかったと思ってるよ」
「フレッドさん……」
「それだけ伝えたかったんだ、またなダレス」
真っすぐなフレッドさんの言葉に、昨日の自分が救われたような気がした。
「ありがとうございます!」
遠ざかる後ろ姿に感謝を伝えると、「おう」と振り向きながらフレッドさんはまた笑顔を返す。
自分の行いを肯定してくれることがこれほど力をくれるなんて、俺は今まで知らなかった。
◇◇
「お兄ちゃーん!」
孤児院の門からリゼが血相を変えて走ってくる。
俺より四歳下で十一歳の末っ子。二つ括りにした髪を揺らし、靴を泥まみれにしながら俺の胸に飛び込んできた。
優しく受け止めた体は以前よりも軽い。
「久しぶりだなリゼ。どうした? 何かあったのか?」
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……」
力いっぱい抱きつくリゼの目から、涙がポロポロと溢れ出した。
「わかった、落ち着け。とりあえずサリーに会わせてくれないか?」
リゼはこくりと頷き、俺の手を引く。小さいながらも強く握られた手に、俺は焦りを感じずにはいられなかった。
貧民街でひときわ目立つ二階建ての建造物。ブライト孤児院。
壁の塗装は剥がれ落ち、むき出しの土壁と汚れた黒色が混ざったコントラストは廃墟そのものだ。俺も母さんが死んでから二年間過ごしたが、相変わらずここは人が住むのに適した場所とは思えない。
「あっ、ダレスだ! おかえりなさい」
「おかえりダレス!」
いつもより静かなエントランスに無邪気な声が響く。
孤児院の悪ガキトリオの内の二人、ロイとベンは腕を組んでじゃれ合いながら出迎えてくれた。
「ただいま。お前たち、俺がいなくなってから悪さばっかしてないだろうな?」
「ちゃんとやってるよ、俺たちもう八歳だぜ」
「そうだぜ」
腕を組んだまま鼻を高くするロイとベンを見て、俺の頬が自然と緩む。
「そりゃ安心だな。そういや、今日はオリバーは一緒じゃないのか?」
中を見渡すも子どもたちは数人程度で、黒ずんだ床で膝を抱えたままの子が多い。
「オリバーは、その…… ちょっと調子が悪いんだ」
太陽に雲がかかるように、ロイの表情がひどく沈んだ。ふいにリゼに目をやると、下を向いたまま首を横に振る。事情を察するには充分だった。
「――でも、今度三人で誰が速く木登りできるか勝負する約束してるんだ! オリバーは約束破ったことないし、きっと元気になって……」
無理に明るく振る舞おうとするロイの目から、大粒の涙が流れた。
一度体調を崩した子供がどうなるのか、ロイも何度となく見てきただろう。八歳の男の子が背負うものとしては大きすぎる。
「ああ、きっとよくなるよ――」
俺はしゃがんでロイの頭を撫でる。ぼさぼさの茶色い髪を梳かすように優しく、優しく。
手の平を数回動かすと、ロイは「わーっ」と声を上げて泣き出した。
「……っ、簡単によくなるとかっ…… 言うなよ!」
隣で下を向くベンの目からも涙が溢れ出す。嗚咽混じりの声に、心が強く揺さぶられる。
無責任な言葉を口にしたのは、自分が一番良く分かっている。助からない仲間を何度だって見てきた。きっとこの二人も俺と同じ経験を重ねていくのだろう。
ただ、ロイとベンに希望をなくしてほしくはないという、心からの願いだった。
ベンは顔を上げ、目を真っ赤にして俺を見つめる。
少し口を開き「大丈夫だ」と言いかけたが、上手く言葉が出てこない。俺は何も言わず、泣きじゃくる二人の肩に手を回し、優しく抱きしめた。
今の俺にはそれしかできなかった。




