5話 親友のために
明らかな敵意を含む俺の眼差しに、ナターシャは失笑で応えた。その間にも、動く屍となったガインは彼女へと歩みを進める。
「話を聞いてなかったの? この子はもう私のものよ。返してほしかったら、お友達に説得でもしてみたら? まぁ、耳はもう無いんだけどね」
「なんだと!?」
頭の中では安い挑発だとわかっているのに、足が勝手に動き出す。ガインを、親友を渡してたまるものかと。
「もうやめなさい!」
後ろからローラに押さえ込まれ、俺はうつ伏せに倒れ込む。レンガ造りの地面にはまだ火柱の熱が残っていて、触れた肌はじんわりとした痛みを感じた。
「ガインの死を無駄にしてはいけないと言ったでしょ」
「くっ……」
「もう一人のお友達は、状況をしっかり把握できるみたいね」
ナターシャは皮肉交じりに笑い、倒れる俺を見下していた。
悔しさと己の無力さに腹が立つ。だが何もしないわけにはいかない、きっとその選択は一生の後悔として残る。
俺にできることは――
「ガイン! 戻ってこい! そんな奴に負けるな!」
無我夢中で叫ぶことだった。
「ほんとに喋りかけてる―― って…… なんで……?」
ナターシャの顔から笑顔が消える。俺の叫びに応えるように、スケルトン、いや、ガインの足が止まったのだ。
「そうだ、ガイン! こっちへ来い! 家に帰ろう、お前の母さんもきっと待ってる」
ガインがゆっくりと俺の方を向き、視線が交わる。姿は変わり果てていても、子供の頃からよく知る親友の面影は確かにそこにあった。
疑念が確信へと変わる。ナターシャの表情から察するに予想外のことが起こっているのだろう。
恐らくスケルトンに人間の言葉は届かない。
だがガインは違う。俺の声に反応している。
ガインはまだそこにいる。
「こいつはただのスケルトンよ! こんなこと、私は認めない!」
ナターシャは顔を引きつらせながら両手を広げ、指先をガインに向ける。そして手首を曲げ、指をしなやかに動かした。
俺へと踏み出したガインの一歩が空中で止まってしまう。まるで、目に見えない糸でナターシャに操られているかのようだ。
「ガイン、頑張れ! 負けるな!」
俺の呼びかけに応え、手足を振って抵抗するガイン。
「あなたは一体なんなのよ!」
ナターシャは降りかかる火の粉を払うように大きく手を振る。ガインは骨を散らしながら、ゆっくりと俺に白い背を向けた。
「ガイン!」
俺の声に反応を示さず、ガインは遠ざかっていく。
「ガイン! 応えてくれ!」
足取りを緩めることなく、ガインはナターシャのもとへ向かった。
もう俺の声は届かなくなっていた。
「ダレス、もうやめなさい…… あなたまで殺されてしまう……」
俺の頬の一点にひんやりとしたものが落ちてくる。一つ、また一つと雨のように打ちつけては、一筋の流れとなって顎を伝い、地面にこぼれた。
ローラの嗚咽混じりの声が、頭に上った血を冷ましていく。俺は目を伏せると、握りしめた拳を地面に打ちつけた。
「いいものを見せてもらいました」
満足げにランドハイムはナターシャに微笑みかける。ナターシャは舌打ちで返した。
「では参りましょうか」
ランドハイムは外付けされた馬車の手すりを持ち、ステップに足をかける。身に着けた装飾品が動きに合わせ嫌な音を立てた。
「――わかったわよ」
ナターシャが歩み寄るガインに向け手をかざすと、白い脚を包むように黒い靄が現れる。吸い込まれるようにして脚、体、頭頂部まで沈み込むと靄はなくなり、ガインは跡形もなく消えてしまった。
「……ガインをどこにやった」
「あれは私のものよ、あなたに関係ないわ」
ナターシャは吐き捨てるように言うと、馬車に乗り込むランドハイムに続いて、ステップに足を掛ける。
「まぁ、また会えたら教えてあげてもいいけど」
人差し指を頬に当て、意味深な表情を浮かべながらナターシャは馬車に乗り込んだ。鞭を打つ音が広場に響いた後、馬車はガラガラと車輪を回し王都の正門へと向かっていく。
残ったのはボロボロになった貧民街の労働者と、罵詈雑言を浴びせる王都の群衆だけだ。
「ローラ、すまなかった……」
「こっちこそごめんなさい、私がガインを止めていればこんなことには――」
ローラに手を引いてもらい俺は立ち上がる。広場の街灯に照らされた彼女の頬には、まだ涙がうっすらと残っていた。
大切な人がまたいなくなった。
貧民街での生活は常に死と隣り合わせだ。
でもどこかで、自分と縁のある人は大丈夫だと、そう簡単にいなくなったりしないと、他人事のように考えていたことに気づく。二年前、母さんを失ったはずなのに……
燃えたぎっていた広場を冷ますように、雨が降り出した。空の彼方ではゴゴゴと雷鳴が轟き、同調するようにして雨脚が徐々に勢いを増す。
威勢の良かった王都の群衆は、慌てて広場から離散していった。
「痛っ……」
俺は反射的に右腕を押さえる。雨に濡れた腕は刺すような痛みを持ち、火傷を負ったことを今になって認識した。
「ローラ、行こう」
「ええ……」
重い足を無理やり動かし、俺はローラと共にガインが焼かれた場所へと向かう。
円形に黒く変色した地面に腰を下ろし、焼け焦げた銀貨を集める。一枚、また一枚。拾うたびに胸が強く締め付けられる。
「これだけしか残らなかった……」
震える手で握った銀貨は、嘘みたいに軽かった。
「子供の頃は、二人でよく貧民街の抜け穴から外に出て、野イチゴや野草を採りに行ったんだ。いつも腹を空かせた俺たちは、どっちが先に食べ物を見つけたかで取り合いの喧嘩になって。――俺は一度も勝てたことがなかった。結局は分け合うんだけど、あいつの飛び蹴りはほんと痛くてさ……」
思いがけず口から昔話がこぼれた。
今でも二人で過ごした日々を鮮明に思い出せる。春風を全身に受けて草原を走ったこと、ふざけて机代わりにしていた樽を壊して叱られたこと、お互いの夢を語り合ったこと。
でも、大切な思い出を紡いだあいつはもういない。
「――なんでいなくなるんだよ」
握りしめた銀貨に、雨に混じって涙が落ちてくる。
「ガインのためにも生きましょう」
ローラは後ろから、俺を包むように抱きしめた。




