58話 霧の中に潜む者2
ガシャンガシャンと鎧の擦れる音が近づいてくる。ミラーデーモンが変身した騎士は、へたりと座り込んだフレンへと真っ直ぐに進む。
近くでアシュードとメロが何度もスキルを使っているが、全く眼中にないようだ。右手に握った剣がゆらりと揺れながら、煙のように漂う霧を割いていく。
「うっ……」
意識がまだはっきりとしない。
俺は未だ固い地面に座り込んだまま額を押さえ、ただぼんやりと目の前の光景を眺めていた。
俺は、何をしていたんだっけか……
峠の下層で流れる濁流が、耳鳴りのように俺の鼓膜に張り付いている。その中で微かに光を放つ声に、俺は意識を向けた。
「……レス……! ……ダレス……!」
この声はキサラか……? すまない。俺はまだ起きられそうにないんだ…… そっとしておいてくれ。
「起きて……! お願いだから……」
もう少し休んだら起きるから。もう少しだけ……
「お願い…… フレンが、フレンが死んじゃう……!」
キサラの叫びが、混濁した頭の中で光を増していく。
フレンが、死ぬ……?
そうだ、フレンは俺とサリーのことを庇ってくれたんだ。
攻撃する手段なんて持っていないのに、俺の前に立ってくれたフレンをこのまま放っておいていいのか。何よりも大切なサリーを守ってくれた恩人を、助けないでどうするんだ。
俺は膝に手をついて立ち上がりながら、サリーに向けてもう一方の手を伸ばす。すると、サリーは跳ねるように起き上がり、ステップを踏んで落とした大剣を拾い上げた。
小さな体にさっきまでの震えはない。そして俺と呼応するように、サリーは剣の先端をミラーデーモンに勇ましく向ける。
「ダレス! 地面を狙って!」
キサラの助言の意図を俺はすぐに理解することができた。このままミラーデーモンに斬り込んだところで、全く歯が立たないのは目に見えている。
むしろ奴の標的がまた俺に移れば、パーティーはまた攻撃役を失って追い詰められることだろう。それに、フレンの意思を無駄にしてはいけない。
だから俺の取るべき行動はただ一つ。
自分の中のありったけの魔力をサリーに送る。魔力の扱いに関して経験不足の俺だが、サリーのことを考えると不思議と難しくないように思えた。
全身を流れる血の巡りを意識して、伸ばした手の指先に魔力を集める。剣を構える妹目掛けて、俺はそれを念じるように飛ばした。
サリーは軽く剣を横に振り、姿勢を落として腰に持ち手を沿わせる。
凄い…… サリーの感触が手に取るようにわかる。俺の背丈ほどある大剣が、まるで木の枝のように軽い。
後はサリーと共に大地を割るだけだ。
俺が手をなびかせるとサリーは漂う霧を貫き、一瞬でミラーデーモンに詰め寄った。ミラーデーモンは気づいてはいるのだろうが、視線をフレンから外すことはない。
「落ちろ!」
俺が大きく手を振り下ろすと、サリーは地面をすくい上げるように大剣を振り回す。
きらりと光る刃は硬い大地を容易く切り取り、ミラーデーモンの足場を奪った。
重厚な鎧が仇となったのか、ミラーデーモンは土砂にのまれ霧の膜で覆われた下層へと姿を消す。ごろごろと岩の転げ落ちる音に、キサラの「やったー!」と歓喜の声が混ざった。
このまま川まで落ちてくれと、俺は淡い期待を抱く。
「フレン!」
キサラはフレンのもとへ走り寄り、凍えるように震えた体を抱きしめた。ローブのフードがふわりと剥がれ、フレンの癖のある金髪があらわになる。
「フレン、大丈夫? ごめんね、ちゃんとあなたの言う事を聞いておけば……」
キサラは涙ぐんだ声で呼びかける。フレンは呼吸を整えながら、キサラの頭を優しくなでた。
「キサラのせいじゃありませんよ」
フレンはゆっくりとパーティメンバー全員を見回す。そして大きく深呼吸をした後、花が綻ぶように笑顔を見せた。
「みなさん無事で良かった――」
急にぐったりと体を傾けたフレンを、キサラは両腕で抱き寄せる。
「フレン! 大丈夫か!?」
「大丈夫だよ、気を失っただけ」
俺の問いに、キサラはフレンに柔らかな眼差しを向けたまま答えた。キサラの腕の中で、フレンは瞳を閉じたまま心地よさそうに頬を緩ませている。
「あとでちゃんと、フレンにお礼を言わないとね」
キサラはにっと笑いながらみんなに呼びかけた。同時に、霧を晴らすように朝日が差し込む。キサラの目尻に残った涙がきらりと光った。
俺たちは当たり前だと言わんばかりに頷いて二人に駆け寄る。
ただ――
一つだけ胸に引っかかることがある。
ミラーデーモンが変身した、白銀の鎧を身に着けた騎士。きっとフレンにとっては大切な人。
俺はどこかであいつを見たことがある。




