55話 約束の続きを
キサラは弾かれるようにして地面に倒れ込んだ。破れたリュックから、パラパラと中身がこぼれ落ちる。
キサラを襲った水の塊は、何事もなかったかのように直進し、茂みの中へと消えていく。少しして、バンという破裂音が森の中に響いた。
そして粘っこい足音を立てながら、草木を揺らして不気味な眼が姿を現す。今日、サリーの剣で何度も切り裂いた魔物。アクアトードだ。
「お前か……!」
俺は一心不乱に、アクアトードに向けて手を振るう。キサラを狙ったあいつを攻撃しろと、サリーに強く念じた。けれど俺が動くよりも先に、サリーはアクアトードの脇腹に飛び込んでいた。
サリーが乱暴に大剣を振ると、アクアトードの体は容易く真っ二つに引き裂かれた。確実に絶命へと至らしめる一撃だ。
だが、サリーは攻撃を止めることはない。無表情のまま、まるで何かに取り憑かれたように、アクアトードの体を粉々になるまで刻んだ。切断する感触が、サリーを伝って脳にまで痺れるように伝わってくる。だけど俺は、サリーを止めようとはしなかった。
「大丈夫かキサラ!? おい…… 嘘だろ……」
俺はキサラの下へ駆け寄り、すくい上げるように体を抱き寄せる。真っ赤に染まった左肩。その先にあるべきはずの腕が、どこにもなかった。
「はぁ…… わたしとしたことが、油断しちゃったな……」
「こんな時まで、何言ってんだよ」
傷口から流れ出る血に止まる気配はない。キサラは呼吸を荒くしながらも、強がるように笑った。それは、俺を心配させないためだとすぐに理解できた。
「早く止血を…… そうだ、ちょっとだけ待ってろ! フレンを呼んでくるから」
「待って、ダレス……」
立ち上がろうとする俺の腕をキサラは右手で掴む。そして俺の目を見つめると、力なく首を横に振った。
「たぶん、これダメなやつだ……」
その言葉はまるで何かの呪いのように俺の体に入り込み、きつく心臓を締め上げた。
緩く弧を描くキサラの両目から、涙がこぼれ落ちる。
「だから、ダレス。最後のお願い。今だけわたしのそばにいて……」
「そんなこと言うな。言わないでくれ……」
キサラの頬を流れる雫が、大粒の涙の雨で上書きされた。俺の腕からすり抜けるように、少しずつ、でも確実に、キサラの生気が失われていく。俺は震える手で彼女を強く抱きしめた。どこにも行ってほしくなかった。
「はは…… 痛いよダレス…… でも、ありがと」
キサラは軽く微笑みながら、俺の頬に触れる。小刻みに息を吐き出しながらも、親指で俺の涙を拭った。
「世界は美しいって教える約束…… 守れなくてごめんね……」
「もう喋らなくていい……」
「わたしのことは…… 気にしなくていいから…… 前を向いて歩いていってね」
「そんなことできるわけないだろ……!」
俺の頬を包んでいた手のひらが、力なく滑り落ちていく。声が届いていないのか、キサラは満足そうに笑って応えるだけで。辛そうに繰り返していた呼吸は、もう止まっていた。
「なんだよ…… なんでだよ!」
この瞬間を何度も見てきた。あまりに経験しすぎて感情が鈍くなるほどに。でも目の奥から、次から次へと涙が溢れてくる。せき止めきれなくなったものを、俺は子供のように吐き出した。この気持ちは自分にとって、キサラが大切な人であったことの証拠だ。
アクアトードの死骸の前で、サリーはじっと俺のことを見つめている。
サリーと視線が重なり、俺は思い立った。最後まで強くあろうとしたキサラに、未練はなかったのか。その本音を確かめたいと。
もしも、まだ生きたいと願うなら、ネクロマンサーの俺にはそれを叶える力がある。
俺は目を閉じ、神経を研ぎ澄ませる。両腕の中で、星のように瞬く光に耳を傾けると、キサラの声が頭の中で広がっていった。
『――死にたくない。まだ、みんなと一緒にいたい』
とても儚く、脆いキサラの叫びが、俺の胸に深く突き刺さる。
『ダレスと、この先も歩いていきたい』
「……っ!」
俺もだキサラ。こんなところで終わっちゃいけない。
死者は嘘をつかない。ナターシャから教わったことだ。それが本当かどうかは確かめようがないが、きっとこの声は本物だ。だから――
腕の中の光を優しく抱きしめるように。決して離さないように。
「キサラ。共に、行こう――」
「何をやっているんですか?」
キサラに向けた意識を遮断する声に、俺はびくっと肩をすくめる。
木々の間を抜けてきた風が、彼女の白いローブを静かに揺らした。声の主はフレンだった。
「フレン! キサラが…… 魔物にやられて、もう息をしていなくて…… 治癒魔術はまだ使えたりしないのか?」
湧き上がる感情のまま、俺は状況を説明した。けれどフレンは血を流すキサラに目もくれず、射抜くような鋭い視線で俺を見る。
「私の質問に答えてください」
「えっ……?」
「どうしてあなたが、ネクロマンサーの術を使っているのですか?」




