53話 竜退治
「やっと帰ってきたな……!」
俺たちの帰還をいち早く察知したのはアシュードだった。振り返った横顔から覗く消え入りそうな笑みには、いつものような力強い覇気が感じられない。疲労困憊のその表情は、水竜と戦い続けた時間の長さを物語っていた。
そして再会の余韻に浸ることなく、直ぐ様水竜の振り下ろした腕を盾で受け止める。激しい衝突音が、岩壁に囲まれた湖畔に響いた。砂浜には、空になったポーションの瓶が無残に散乱している。
「みんなお待たせ!」
息を切らして高々と手を振るキサラ。
「すまない、遅くなった! みんな無事か!?」
キサラの後を追いながら、俺も戦っているみんなを鼓舞するように叫んだ。さらに後ろを、トージを含めた数人の冒険者が続く。
「信じてましたよ二人とも」
メロはニッと微笑みながら親指を立て。
「水竜はまだまだ健在です。ですがこちらは、魔力回復のポーションが底をつきかけてます」
フレンは不安気な声色で、今の状況を伝えてくれた。「早く勝負を決めないとやばいね」と、キサラの表情に翳りが見える。魔力が無くなってスキルが使えなくなれば、水竜の攻撃を防ぐことができず、一気に戦線が崩壊してしまうからだ。
場の空気が変わったのを感じとったのか、水竜は俺たちを威圧するように羽根を広げ、激しく吠え立てた。押しつぶされそうになるほどの大きな音の塊は、湖畔を囲うようにそびえ立つ岩壁に沿って、衝撃波のように俺たちを襲った。
「こんなの敵うわけないって」「もう無理だ……」
あまりの圧力に、冒険者たちは耳を塞ぎながらしゃがみ込む。ここにいるのは剣士などの近接職と、ブロンズランクの冒険者だけ。さっきまでの威勢の良さは、実際に水竜を目の前にして脆くも崩れ去ったらしい。こればかりは仕方ないか……
「大丈夫…… なんですよね?」
頬を引きつらせながらメロが言う。
「大丈夫だよ! 作戦は考えてる」
みんなを安心させるように、キサラは自信たっぷりに胸を叩いた。そして、大きく息を吸い込み口を開く。
「アシュード! 思いっきり水竜の注意を引きつけて!」
「よしきた! 俺の全力をくらわせてやるぜ……」
キサラの指示を受け、アシュードは苦しそうに眉をひそめながらも勝ち気に笑う。その間も水竜は攻撃の手を緩めない。
人の肉など容易く切り裂く鋭い爪と牙の連続攻撃。大きな木の盾を振り回すようにして、アシュードはそれを防ぐ。凄まじい攻防だ。
大振りの攻撃の反動で、水竜は僅かに後ろに下がる。大木のような足で水面を踏みつけると、バシャンと激しくしぶきが上がった。
息を呑む戦闘の中で生まれた一瞬の隙を、アシュードは見逃さない。
「俺を見ろ!!」
片足を引きながら腰を落とし、盾に身を隠しながらアシュードはスキルを放った。どこまでも届きそうな全身全霊の叫びは、俺の脳を熱くさせる。
水竜は威嚇するようにカバっと口を大きく広げる。青く輝く瞳はアシュードだけを捉えていた。
「よしっ! みんなやっちゃって」
言いながらキサラは、右手をピンと上に伸ばして振り下ろす。それを合図に、水竜を挟むようにそびえる岩壁の上から、冒険者たちがぞろぞろと顔を出した。足場のない湖を除いた場所から水竜を包囲した形だ。
「凄いじゃないですか、キサラ、ダレス」
メロは振り返りながら目を輝かせる。キサラは「まぁね」と、得意気に腕を組んだ。
「メロ、デバフを頼む。ここから反撃開始だ」
「はい! 任されました」
俺の目を見てメロは力強く頷き、水竜の方へと向き直る。背丈に似合わない大きな杖を掲げると、先端の宝石がきらりと輝いた。
「ウィールス・ガード!」
青い光に水竜が包まれる。相手の防御力を下げる魔法だ。直後に、「今だ!」と勢いのある声。少し遅れて数本の矢が降り注いでくる。この声は恐らくルナードのものだろう。俺たちは祈るような思いで、鈍く光る矢尻の行方を目で追った。
観察眼に優れた水竜を討ち取るため、キサラの発案した作戦はこうだ。
まず、ルナードを中心とした遠距離攻撃主体の冒険者部隊を編成。主に弓使いと魔術師たちだ。
彼らを二手に分かれさせて、水竜を囲うように岩壁の上に配置。幸い、頂上までの斜面は緩やかで、時間をかけずに陣取ることができた。そして、キサラの合図で一斉に攻撃を開始する。
これなら水竜といえど、全てを避けることは容易ではないはずだ。
しかし水竜はアシュードだけを睨んだまま飛び上がると、矢の間を縫うように攻撃をかわした。まるで、空気の微弱な淀みを読み取っているかのようだ。
「やっぱり簡単にはいかないね」
キサラはぐぬぬと唇を噛みしめる。だけど、その大きな瞳から光が消えることはない。
空中で体をうねらせ矢をかわす水竜に、次の攻撃。魔術師の淡々とした詠唱が、岩壁の上から湖畔に広がると、数本の炎の槍が水竜に迫った。
「これは……! 援護します!」
メロは炎の槍が降ってくるのを確認すると、間髪入れずに杖を振りかざす。メロの魔法で水竜が紫色のベールに包まれた直後、炎の槍が水竜の翼をかすめた。ちりちりと燃える翼の先端。そこから、まるで紙が燃えるように片翼が焼けていく。
「よし! メロのデバフもちゃんと効いてる」
キサラがしたり顔で拳を握りしめる。その間にも、水竜は悲鳴のような咆哮を轟かせながら、砂浜に落ちていく。残った一枚の翼を懸命に動かしてはいるが、あの巨体を支える力はないようだ。
ここまでキサラの作戦通り。最後は――
「俺から水竜に攻撃を仕掛けます。あいつが隙を見せたら、そこを狙ってください」
俺は頭だけ振り返りながら、近接職の冒険者たちに声をかける。「おう」と返事を返したのはシルバーランクの冒険者だ。さっきまで怯えていた冒険者たちだが、落ちていく水竜を見て足の震えは止まったようだ。
「ブロンズランクの冒険者は、合図があるまでここで待機。ある程度水竜が弱りきったところで、攻撃に参加してください」
俺の声量の半分以下だろうか。下を向いたまま弱々しい声がぽつぽつと返ってくる。戦闘経験がほぼ無いブロンズランクの冒険者たち。流れに逆らえず嫌々ついてきた人もいるだろう。
彼らにも参戦してもらうのは正しかったのだろうか? だが、確実に勝利を収めるためには、手を借りるしかない。
「心配すんなって。俺たちも冒険者だ」
トージはくだけたように笑いながら、俺を見る。不安が募る胸の内を見透かしているようだった。彼の一言で、曇りかけた心に光が差す。
「ああ。任せた」
笑顔を返し、俺は前を向いた。ここからは、俺の番だ。意識をサリーに集中させて魔力を送り、華奢な体を操る。
サリーは空から落ちてくる水竜に向かって駆け出す。メロとフレンの間をさっと抜けると、二人のローブが慌ただしくはためいた。小さな足でえぐる地面は草の緑から砂浜の白へと変わっていく。
サリーの接近を前に、水竜は水しぶきを上げながら波打ち際に着地。殺気を感じとったのか、真っ直ぐに進んでくるサリーを迎え撃つように、牙を剥き出しにして片翼を広げた。
自らを生物の頂点だと知らしめるような出で立ち。無意識の内に、自分の肩に力が入る。
俺の異変と連動するように、サリーはわずかに減速した。ここにきて魔力の供給がうまくいかない。冷静さを失ったように心臓は拍動を速める。額からはじわっと汗が流れ落ちた。
一度引いて体勢を整えるべきかと脳裏に浮かんだ瞬間、水竜の前に、盾を構えた大きな背中が割って入った。
「お前の相手は俺だぜ」
アシュードがスキルを交えて挑発すると、水竜はアシュード目掛けて鋭い爪を振りかざす。ガンッと攻撃を凌ぐ衝撃音が耳に刺さった。どうやらサリーは、水竜の標的から外れたようだ。
俺は再び全神経をサリーに集中させる。アシュードの背中は心強い。体の強張りが解けていくのを感じる。
アシュードのすぐ後ろで、サリーは風を切るように右へ飛び、水竜の焼けた翼の方へと回り込む。着地の衝撃でザッと踝が砂に埋まった。水竜はアシュードに視線を奪われたままで、サリーを気にする様子はない。
このまま一気に斬り込もうと大剣を構えた刹那、水竜の青い瞳が、まるで獲物の存在に気づいたようにぬるっとサリーの方を向いた。その瞬間。
ピュンと風を切りながら降ってきた矢が、水竜の左目に突き刺さる。水竜は甲高い声で鳴きながら、目をこするようにもがいた。
「ぶちかましてやれ!」
岩壁から身を乗り出し、ルナードが叫ぶ。燃える翼に、損傷した瞳。水竜の左側は死角だらけだ。
俺が拳を突き上げると、サリーはすかさず水竜の首筋に斬り込む。
「よしっ!」
自分の両手に伝わってくる確かな手応え。水竜は体を仰け反らせながら後ろに下がる。サリーの渾身の一振りは水竜に届いた。しかし水竜は、長い首の根元から血潮をまき散らしながらも、もう片方の目で睨みを利かせる。そして足下のサリーを巻き込むように、アシュード目掛けて腕を振った。
サリーは後方に飛びながらこれを難なく回避。しっかりとダメージが入ったのか、相手の攻撃はかなり雑になっている。アシュードはいつもの調子で攻撃を受け止めると、控えていた冒険者たちが水竜の死角から次々に迫った。
首筋だけでなく、胴に足。至るところに近接職の冒険者は斬りかかる。メロのデバフが効いているのだろう、攻撃を受けて水竜は勢いを失っていった。岩壁の上からは炎と矢が休むことなく降り注ぐ。さらに追い討ちをかけるように、ブロンズランクの冒険者も参戦。一丸となった冒険者の猛攻に、水竜は虚しく吠えて抵抗するだけになった。そして遂に――
「やったよー! みんな!」
キサラが拳を突き上げると、八方から冒険者の歓喜の声が響き渡った。
水竜は砂浜に横たわったまま動かない。打ち寄せる波が、矢の突き刺さった水竜の瞳を洗い流す。
俺たちは勝った。逃げる者は一人もいなかった。
全員で掴んだ勝利に、今はただ酔いしれていた。




