51話 冒険者のカタチ
やっとの思いで辿り着いた地面は、水分を多く含んだ砂地だった。
歩くたびにちゃぷちゃぷと靴の中の水が跳ねる。この感触は言い表し難い気持ち悪さがあるが、それ以上に、絶体絶命の局面を切り抜けられたという安堵感が俺を包みこんでいる。
俺とキサラは大きくため息をついた。その横でサリーは、さっきまで浸かっていた真っ青な地底湖を眺めている。
「さすがにちょっと休もっか」
キサラはリュックを降ろして結んだ髪を解いた。軽く水が跳ねると、頬にしっとりとまとわりつく。いつも元気で明るいキサラから妖艶な雰囲気が漂う。
そのまま服の裾をギュッと絞ると、わずかに持ち上がった生地の隙間から、白い肌がうっすら顔を覗かせた。捻れた生地から滴り落ちる水の雫が、引き締まった腹部の表面スレスレを通過していく。
俺は何故か見てはいけないものを見ている気持ちになり、意味もなく頭をかきながら視線を洞窟の入口に向けた。
「大丈夫なのか? その…… 魔物とかは。それに、みんなに無事を伝えないと」
「どっちも大丈夫なはずだよ。魔物の方は特にね」
キサラは盛り上がった岩の上に腰を下ろすと、革のブーツを脱いで中に溜まった水を捨てた。
俺もキサラの真似をするように、地面に座って靴の水を捨てる。まとまって落ちた水滴は、砂の斜面をするすると滑って地底湖と混ざった。
「ボスを倒したら、ダンジョンの魔物は動かなくなっちゃうの。魔力切れって感じで。だから魔物に襲われる心配はないよ」
「そうなのか」
「そうそう。だからメロたちも大丈夫なはず」
「あっ……」
キサラに言われ、俺は大きな罪悪感に襲われた。ボス部屋の崩落で分断され、自分の心配しかしていなかったが、そもそも俺たちのパーティーの攻撃役はサリーしかいないのだ。
変則的ではあるがメロも攻撃魔法を使えるけれど、どの相手にも有効とは限らない。もし魔物が動いたままだったら、あいつらが全滅する危険もあった。
自分も恐い思いをしたはずなのに、キサラは俺と違って仲間のことを考えているのだ。
「キサラは偉いな」
「ほほーう。ダレスもようやくキサラちゃんの凄さに気づいたようだね」
キサラは脚を組み、ふざけるような口調で言う。
「前から思ってるよ、キサラは凄いって。こう見えて尊敬してたりするんだぜ」
「ちょっと、ちょっと。そんなに本気っぽく言わないでよ、照れるじゃん」
「本気も本気だよ。それに感謝もしてる」
「何それ。あーもう、調子狂うな」
キサラは俺から目線を外し、手でパタパタと顔を扇ぐ。髪の隙間から見える耳の先端は少し赤みがかっていた。キサラの反応を見て、俺は力の抜けた笑みをこぼす。
「あと、私たちが無事だとみんなに伝わってるってのはね」
仕切り直すようにキサラは立ち上がる。大きなリュックを背負うと「冷たっ」と反射的に声を漏らした。
「水の音よ」
「水の音? かなり静かだけど」
地底湖の水面は、岩壁から放たれる無数の光を吸収して青く輝いている。視覚的には訴えかけているものはあるが、波一つ立っていない湖面は静寂そのものだ。
「よく耳を澄ましてみて」
言われるままに、俺は口を閉ざして聴覚に意識を集中させる。聞こえてきたのは――
「確かに、水の跳ねるような音がする。何かが落ちてきたような……」
「そう。まだボス部屋の崩落は続いてる」
話の本筋が見えず、俺は首を傾ける。
「わたしたちがボス部屋から落ちた時、大きな岩も一緒だったでしょ。結構な高さだったし、岩が地底湖にぶつかった音はかなりのものだったと思う」
キサラは顔の前で指を立て、天井を指した。
「きっと、みんなにもこの音は届いてる。で、ボス部屋の下には水があって、一定の空間が広がっているって事に気付くはず」
「水の上に落ちたのなら、生きている可能性があるってことか」
「そういうこと」
キサラはニヤリと微笑み、天井を指していた指を俺に向ける。
「あとはダンジョンの特性を知っているかどうかね」
「さっき言ってた、ダンジョンの部屋は必ずどこかの部屋に繋がってるやつだな」
「覚えがいいね、ダレス。キサラ先生は感心しております」
「いつから先生になったんだよ」
俺は怪訝な視線をキサラに向けながら、靴を履き直す。キサラは俺の反応を見て、クスクスと嬉しそうに笑った。
「まぁそこも大丈夫でしょ。向こうにはゴールドランクのフレンがいるし。きっと今頃わたしたちのこと探してるよ」
キサラは両手の指を絡めて大きく伸びをした。
俺は立ち上がって、ローブに付着した砂を手で払う。靴の中に溜まった水を捨てたはずなのに、足底から伝ってくる不快な感触はあまり変わってはいなかった。
「じゃあ、長いことじっとしてもいられないな」
「そうだね。まだ完全に助かったわけでもないし」
俺は心の中でサリーに呼びかける。
サリーは俺の声に即座に応え、砂の斜面を駆け上がっていった。光沢のある黒いドレスからは、水滴がポトポトと落ちている。
「魔物は大丈夫だと思うけど、一応サリーちゃん先頭で進もっか」
俺たちは地底湖から伸びる洞窟の中を進んでいく。
ここもボス部屋までの通路と同じように、光の粒が俺たちを囲うように輝いている。そのおかげで、足下が見えないなんてことはなかった。
キサラの言っていたように、魔物の姿はどこにも見当たらない。俺の隣で歩くキサラの横顔は、どこか安心したような気配を含んでいる。
冒険者というものに子どもの頃は憧れを持っていた。少しばかり危険は伴うものだと理解してはいたものの、実際のところ、旅を始めて十日もしない内に命の危機に陥っている。
今回は何とかなりそうではあるが、ボス部屋の崩落した先が地底湖だったなんて、ただ運が良かっただけと言わざるを得ない。
まして、俺よりも経験の長いパーティメンバーは、幾つもの死線を潜り抜けてきたに違いない。
貧民街に生まれて何も持っていない俺なんかは、こうして命を懸けないと安定した収入は得られない。
けれど、他のみんなはそうではないだろう。安全を担保された職を手にすることだって出来たのではと考えてしまう。フレンなんかは、良いところの家の出身だろうし。
わざわざ自身の身を危険に晒してまで、冒険者を続ける理由はどこにあるのだろう。
俺は頭の中で考えを巡らせながら、無意識にキサラを見つめていた。




