50話 ダンジョンの底
「ちょっとちょっとちょっと! どうしよダレス!」
「どうしよって、落ちてるんだからどうしようもないだろ!」
突如として崩落したボス部屋。きっと、トレントが倒れ込んだせいで地盤が崩れたんだ。
俺とキサラは成すすべなく闇の底へと落ちていく。
「死んじゃうよー」
何かを掴もうとするように、キサラは両手を振りながら慌てふためいていた。一つに結った髪が、重力に逆らって持ち上がる。
どうしたものかと俺は視線を巡らす。視界の端でレースのあしらわれたスカートが目に入った。
「キサラ、こっちに来い!」
「えっ、ちょっといきなり何すんの」
「いいから!」
俺は嫌がるキサラを引き寄せ、正面から抱きかかえた。
「サリー、頼む!」
落下する岩を足場に、サリーは身軽にぴょんぴょんと飛んで俺の背後へ回り込む。そして、俺たち二人を下から支え上げるようにしてまた飛んだ。
サリーは岩と岩の間を華麗に飛び跳ね、落下の勢いを殺しながら暗闇の中へと降りていく。
始めは嫌がっていたキサラも、俺の首筋に両手を回して必死にしがみついていた。震えて強張った手と甲高い悲鳴から、彼女の恐怖心が痛いほどに伝わってくる。
バシャンという激しい水音の直後、凍えるように冷たい水が全身を包み込んだ。どこまで続くのかと思えた落下は遂に終わりを迎えた。どうやら俺たちは水面に落ちたようだ。
落下の勢いは消えたものの、体は水底へと沈んでいく。キサラは未だ怯えるように、俺から離れようとしなかった。
地面に落ちなくてよかったと安堵する間もなく、溺死という言葉が頭の中へと広がる。焦りで吐き出した息は、無数の泡に変わって水中を上っていった。
脱出しなければ――
思考を切り替え脚を動かそうとした矢先。まるで魚になったかのようなスピードで、体が水をかき分け急上昇していく。俺とキサラはあっという間に水面に到達し、勢いよく顔を出した。
俺は口を大きく開け、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
「あれっ……? ゴホッ、生きてる……?」
キサラは息を荒げながら、額から伝う水を取り除くように目元をこすった。
ここでもダンジョンと同じように、壁に敷き詰められた光の粒が青白く淡い光を放っている。揺れる水面で乱反射する光が、キサラの顔を幻想的に浮き出させていた。
「ダレス! わたしたち生きてるよ!」
「キサラ、ちょっと痛い」
腕の中のキサラが、弾ける笑顔で俺に抱きつく。頬と頬が触れる感触はとても冷たい。けれど、震えが収まった腕からは安心の気配を感じ取れた。
「あっ、ごめんね。嬉しくてつい」
キサラは慌てるように顔を離す。緩んだ頬はほんのり赤みがかっているように見える。気まずそうに視線をそらすキサラであったが、俺の首筋に回した両腕を解くことはなかった。
「助かったのはサリーのおかげだ」
俺の両脇を支える小さな手。振り返りながら、俺は水面から顔を覗かせるサリーに向けて笑顔を作る。
「ありがとね! サリーちゃん! ダレス!」
「俺は何も……」
「何もって…… サリーちゃんを操ってるのがダレスじゃん」
「そ、そうだけど、仲間を助けるのは当たり前のことだし」
キサラは不思議そうに上目づかいで俺の顔を覗き込む。
だめだ、だめだ。気を抜くと人形師の設定を忘れそうになる。
俺とキサラを助けたのは、他でもないサリーだった。水中で人二人を抱え、大剣を背負ったままでもサリーは余裕で泳ぐことが可能だったのだ。
死者という性質上、呼吸は必要ないので溺れる心配はないのだろう。魔力さえ供給できれば動けるとナターシャも言っていたし。
反省混じりにサリーの分析をしていたところで、俺たちの真横に巨大な岩が落下してきた。大きな音の後、激しい水しぶきが襲いかかる。俺はキサラを守るように、岩の落ちてきた方へ背を向けた。
「あ…… ありがとう」
キサラは目線を落としてボソッと呟くように言う。心なしかいつもの元気はないし、まだ顔はほんのり赤いままだ。崩落のショックが拭いきれないのだろう、なんとか俺が支えてやらないと。
「ここも危ないな。どこか安全なところへ避難しないと」
俺は濡れた前髪を払いながらサリーに目配せする。サリーはすぐに俺の意図を汲み取ってくれたようで、バタバタと足を上下させ移動を始めた。
落下物をかわしながら、およそここよりも安全な方へと進んでいく。
俺は改めて息を整え、周囲を見渡した。
天井から伸びる棘のように鋭く尖った岩の数々。穏やかな水面の上に広がる洞窟のような空間。
「ここは……」
「たぶん地底湖だね」
「地底湖?」
「地下水や雨水が溜まってできた、文字通り地の底にある湖だよ。まさかダンジョンの中にもあるなんて」
キサラは神妙な表情で辺りを観察する。湖面に叩きつけるように落ちては沈んでいく岩の音が、徐々に遠くなっていく。
「とりあえずの安全は確保できそうだけど、俺たちここから帰れるのか?」
偶然にも地底湖に落下したおかげで命は助かったものの、この先のことはまだ何も見えてはいない。
ここから出る方法が無ければ、俺たちは転落死ではなく餓死してしまうだけで、死を先延ばしにしているだけに過ぎないだろう。
まぁ水分には困らないし、なんとかすれば魚は取れるのかもしれないが…… そんな生活、生きているとは言えない。
「絶対帰れるよ、大丈夫。キサラちゃんを信じなさい」
キサラはパチリと片目を閉じる。
「ダンジョンの中には独立した空間なんて存在しないの。必ずどこかに通じていて、辿っていけば入り口まで行けるようになってる」
「そうなのか?」
「だから心配しないの」
キサラはパンと俺の肩を軽く叩く。
俺の心の内を見透かしたように、キサラは安心する言葉を投げかけてくれた。俺が支えないと、なんて息巻いていたのが恥ずかしい。
「あっ! ほら、見て! あそこから上がれそう」
キサラは俺の体に身を預けるように前のめりになり、弾むような声で言う。
振り向きながらキサラの指差す方を見ると、地底湖の先が緩やかな坂のようになっていた。
サリーは進行方向を変えて陸地を目指す。
次第に見えてきたのは、坂の上にある洞窟の入口。岩壁できらめく光の粒が、さらに奥まで続いている。やはりキサラの言っていたことは本当らしい。
「ほらね」
キサラは自信満々に鼻を鳴らす。
「やっぱりすごいなキサラは」
「でしょ。でもなんで笑うの」
「ごめん、なんか安心したんだと思う」
強張っていた頬が緩んでいくのを感じる。
キサラは不機嫌そうに唇を突き出していたが、すぐに笑顔を取り戻していた。
あんなに冷たかった水温が、今は少しだけ心地よかった。




