49話 分断
「盛り上がってるところ悪いんだが、そろそろヤバいぞ」
いつもの豪快な笑みは消え、険しい表情でアシュードはこちらに向かって走ってくる。低い声には、普段の余裕とは異なる切迫感が潜んでいた。
その奥には両膝を突いた燃え盛る大木の巨人、トレント。弾ける音を立てて飛び散る火の粉が、あたりに生い茂る草花を燃やしていく。
ボス部屋は火の海になる直前だった。
「このままでは私たちまで丸焦げになってしまいます。すぐに脱出を」
フレンはローブのフードを深く被り直し、ボス部屋の出口を指し示す。
危険な状態ではあるが、この火の勢いなら走れば十分間に合いそうだ。
膝をついたトレントは、その巨体が崩壊するようにうつ伏せになって倒れ込む。
あまりの衝撃に地面が激しく揺れ、俺は転ばないよう腰を少し落としてバランスを取る。
目の前には燃え盛るトレントの頭部。
またしても再稼働しないかと、俺は恐る恐る身を引いた。だがトレントは動くことなく、ただ自然現象として周囲の物体を燃やす火種と成り果てた。
「あぁー素材が燃えてく…… トレントの体は高級品なのに!」
キサラは悔しそうに髪をワシャワシャとかき混ぜる。その隣を「命あっての金だろ」とアシュードが盾を担ぎながら通り過ぎた。
「わたしたちも逃げましょう」
「そうだな」
言いながらメロは出口に向かって駆けていく。俺は、隣に戻ってきたサリーを褒めるように頭をなでて後に続く。
最後尾だった俺は少し遅れているキサラに並んだ。彼女は目元を手で覆いながら鼻をすすっている。素材を回収できないことがよほどショックだったらしい。
「泣くなキサラ、ちゃんと前を見ろ」
「だってー」
「ボス討伐の報酬はちゃんと出るんだろ? 今回は諦めろって」
「そうだけどー。そうだけどー」
声を震わせ顔をブンブンと横に振るキサラ。心の中の葛藤がひしひしと伝わってくる。しかし、しっかりと足を動かしているところをみるに、この状況が仕方無いというのは理解しているのだろう。
「二人とも急いでください!」
ボス部屋を抜け、扉の奥でメロが両手を頬に添えて叫んでいる。
前を行くアシュード、フレン、メロは無事に脱出できたようだ。背中に激しい熱を感じながら、俺はさらに足を速める。
「キサラ、もう少しで――」
言葉の途中で喉が強張り塞がった。踏み込んだはずの地面がわずかに沈み込んでいるような、奇妙な感覚が全身を駆け抜けたのだ。
焦って地を這うツルに絡まったのかと思ったが、足下にそんなものはない。
「うわぁ!」
隣でキサラが何かに躓いたように転倒した。膨らんだ大きなリュックが、彼女を押しつぶすようにのしかかる。
「大丈夫かキサラ!」
「ごめんね…… わたしとしたことが」
俺は一度立ち止まり、キサラに駆け寄った。キサラは申し訳なさそうに笑顔を作りながら、起き上がって四つん這いになる。すぐそこまで近づいた火が、彼女の整った輪郭をくっきりと照らしだす。
そして俺は、違和感の正体に気づいた。
キサラを囲っているここ一帯の草花は、一様に同じ方向へ垂れ下がるように伸びている。ボス部屋の天井ではなく、後方のトレントに向かって。
ぐるりと周囲を見回すと、炎で赤く照らされた壁に対して地面が斜めに傾いていることに気づく。
キサラは何も無いところで転んだのではない、地面が傾いているから転んだのだ。
燃えるトレントを背に、自分の影を踏みながら走っていたせいで全く気づかなかった。
「あいつら、全く……」
「待ってください!」
アシュードが盾を置いてボス部屋に戻ろうとしたところを、フレンが腕を出して遮る。
突如として地底から、腹の奥まで貫くような轟音が響く。足元の地面がまるで生き物のように脈打ち始めた。
今まで静止していた世界が、突如として怒り出したかのように激しく振動を始めたのだ。
「嫌な予感がする。キサラ、早くここを出よう」
倒れ込んでいるキサラに手を伸ばした瞬間、内臓が逆流するような強烈な浮遊感に襲われた。
足の踏ん張りが効かなくなり、差し伸べた手は空を切る。
「ダレス! キサラ!」
慌てるメロの声が上方に遠ざかっていく。さっきまで踏みしめていた地面が、剥がれ落ちて俺の隣で浮いている。
ボス部屋は、一瞬の内に崩落した――




