48話 ルナール湖へ
地平線に落ちていく夕日が、視界いっぱいに広がる湖を茜色に染め上げていく。厳しいレムロン峠を抜けた俺たちは、舗装された道に感謝しながら歩みを進めていた。目的地のルナール湖は、この道を下れば直ぐに着くだろう。
「結局、無事にここまでこれて良かったですね」
メロは大きくため息をついて、強張った肩の力を抜く。疲れがかなり溜まっているのか足取りは重く、体は左右にふらついていた。
「だいぶ警戒して進んだから、ちょっと時間はかかっちゃったけどね。魔物の討伐は明日からにしよう」
先頭を歩くキサラは振り返って、パーティーメンバーの顔色をうかがう。勿論と言わんばかりに、みんなはコクコクと頷いた。
レムロン峠で一夜を明けた頃には、何事もなかったようにパーティーのぎこちない空気は解消されていた。今もフレンはいつも通り、キサラとメロと他愛のない会話を楽しんでいる。ただ、誰もフレンの胸の内を探ろうとはしなかった。
俺は、口元を手で押さえながら微笑むフレンを横目に見る。パーティーに入りかけた亀裂は、後遺症を残さず修繕できたのだろうか。でも、あれから俺は、フレンと当たり障りのないやり取りしか出来ていない。お互いに気を使って、本質的なところには触れないようにしている。
去り際にフレンはなぜ『ミラーデーモン』の話を持ち出したのか。俺と彼女の間に、蟠りは残ったままだ。
「おっ? 誰かこっちに来るぞ」
アシュードの声に釣られ、俺は視線を前方へと戻す。何やら生臭い匂いとともに、武具を身に着けた集団が目の前に現れた。
「あんたらもルナール湖の魔物討伐かい?」
腰に差した剣を揺らし、男が手を挙げて呼びかける。アシュード程ではないが、ぴっちりした上着から見える上腕の筋肉は大したものだ。口振りから察するに彼らも冒険者なのだろう。
「そうなんです。もしかして、もう全部倒しちゃったんですか?」
キサラが少し驚いたように尋ねると、剣士は「そうじゃないよ」と軽快に笑ってみせる。
「かなりの数は倒したけどね」
言いながら、剣士は立てた親指で後方の仲間を指差す。大柄な男二人が担いだ棒には、巨大な魚の尾びれのようなものが幾つもぶら下がっていた。この臭いの発生源はあそこだな。
「だいぶ魔物の数も減ったから、時間効率を考えるとここらで手仕舞いかなって。まだ何組か冒険者は残ってるから、あんたらも急いだほうがいいよ」
「ありがとうございます」
キサラがペコリと頭を下げると、その横を冒険者たちが通り過ぎていく。
「低レベルの冒険者のために、ちゃんと獲物を残してあげる私たちって優しいよね」
「だよねー」
若い二人の女性が失笑しながら、俺たちにチラリと視線を向ける。あの姿はシーフと魔術師だろうか。わざとらしくこちらに聞こえる声量に、仲間の剣士が「やめておけ」と軽く注意した。しかし、彼女たちに気にする素振りなどなく。猫なで声で剣士に寄り添うと、片眉を吊り上げキサラを見下すように睨んだ。
「あちゃー、何かまずいとこ触れちゃったかな」
遠ざかる冒険者たちの背中を眺め、キサラは後頭部をぽりぽりかく。
「少し話したくらいで醜いものですね。わたしたちまで、パーティー内の色恋沙汰に巻き込まないでほしいです」
メロは怪訝な顔でキサラの隣に立った。その視線の先では、シーフと魔術師が剣士を挟んで、各々立派な腕に抱き着いている。
「あの様子では、近い内にパーティー崩壊でしょうね」
「やっぱりメロもそう思う!? 左のシーフがかなりリードしてる感じだよね。ほら、あの剣士もなかなか目を逸らさないし。魔術師の子も頑張って話に入ろうとしてるけど、男の態度あからさまに違うよね」
「そうです! そうです! きっとあの剣士も、パーティーのために初めは平等に接していたんでしょうけど、月日が経つにつれて感情が隠しきれなくなった感じがします」
「わかる! 何なら初めからシーフとできてましたよって線もあるかも」
「うわー。もう最悪じゃないですか」
さっきまでの疲れがどこかへ飛んでいったようで、キサラとメロは顔を寄せ合い興奮気味に話を続ける。
よくもまぁ、他人のことでここまで盛り上がれるものだ。
「そんな妄想が一体何になるんだ?」
「もう、ダレスはわかってないね」
キサラは額に指を添えて、やれやれと頭を振る。メロも「そうですよ」と首を縦に振った。
「男女関係のもつれってのは、見ている分には刺激があって面白いものだよ。これも一つの娯楽だね」
「そうです、そうです。当事者にさえならなければですけどね」
「そういうもんか?」
なんとも悪趣味に感じるが、女の子はみんなこういう話が好きなんだろうか。
「フレンはどう思いますか?」
「ええっ……?」
メロが嬉々として問いかけると、フレンは明らかに困惑した様子で首を傾げた。ほら見ろ。一番大人っぽく見えるがフレンは純粋で、ドロドロした話は好きじゃないんだよ。
「シーフと剣士が関係を持っているのは間違いないでしょうね。近い内に魔術師が悪者扱いされて、パーティーに溝が生まれる。そして、傷心した魔術師を射止めようと、棒を担いでる二人の男が取り合って…… 破滅ですね」
「フレンはそこまで見えてるんですね!」
「泥沼じゃねぇか」
フレンは考え込むように顎をさすりながら、妄想を広げる。キサラとメロは目をきらきらと輝かせて、フレンに食いついていた。フレンもこういう話題は好きなのか。でも俺の目には、彼女が無理に話を合わせているかのように映っていた。
「魔術師の子もかわいいんだけどね。でもやっぱり、あるとないでは決定的な差が生まれてしまうのか……」
腕を組みながら、キサラはフレンの豊満な胸部に熱視線を送る。
「ちょっともう、なんですか」
いやらしい視線に即座に気づいたフレンは、包み込むように胸元を両手で隠した。
「わ、わたしだって本気を出せば、少しくらいは」
「はいはい、メロはなんでも張り合おうとしないの。っていうか、あれに勝てる人わたし見たことないよ」
見せつけるように突き出したメロの存在感の無い胸を、爽やかな風が虚しくなでる。なんだこのやり取り。深入りしたくはないけど、メロには頑張ってもらいたい。
「ダレスは…… ダレスはどう思うんですか!?」
「ええっ、俺?」
メロは涙目になりながら、すがるような視線を俺に向ける。どう思うって、そりゃあるのもいいし、ないはないでいいし。価値はそれぞれにあるから、良い悪いの問題ではないような。そもそも実物を見たことないのに評価するなんて、判断基準が明確じゃない俺には荷が重いんじゃないのか。
脳はフル回転するが、わけのわからない自問自答を繰り返している。気づけばキサラも、何か期待するような目で俺の顔を見つめていた。
「えっと、それぞれに良いところがあるんじゃ、ないかな……?」
萎んでいく力ない言葉を、妄想豊かな女性陣のため息がかき消していった。
「ダレスに聞いたわたしが間違っていたみたいです」
「ああ、なんてかわいそうなメロなの」
がくりと肩を落とすメロに、キサラは芝居がかったように優しく寄り添う。そして二人は俺に、汚物でも見るような視線を向けた。俺、そんなに悪いこと言ったか?
「ダレスはわかってないですね」
フレンは力の抜けた笑みで俺の目を見る。俺は「そうなのか?」と、流れるように返事をした。ふいに向けられた笑顔に、気まずい関係を忘れてしまいそうになる自分がいる。けれど、フレンのそれは本心ではなく、パーティーの雰囲気を壊さないためのものなんだろう。
「俺はでかいほうがいいけどな」
「アシュードには聞いてないんですよ!」
大きく口を開けて笑うアシュード。その腹目掛けてメロが杖を振りかぶる。ポスンと貧弱なメロの攻撃に、アシュードはより笑い声を大きくした。メロが悔しそうに唇をとがらせるのを見て、パーティーメンバーは肩を揺らして笑う。
この中できっと、フレンだけは仮面を被ったままだろう。けど、みんなで笑いあえるこの空間はとても居心地が良い。実はフレンも同じ気持ちだったらなんて考えは、虫が良すぎるだろうか。




