46話 受けた傷
「あれ…… ここは……?」
「フレン! やっと起きた」
「フレンー 良かったですー」
目を擦りながら起き上がるフレンに、キサラとメロは声を震わせながら飛びついた。俺も二人と同じ気持ちだったが、さすがに異性としてそれはできない。だから。
「ちょっと…… キサラ、メロ、痛いです。あっ、サリーちゃんはずっと抱きついてくれていいですよ」
フレンはキサラとメロを押しのけて、サリーをぎゅっと抱きしめる。一応人形師として、俺は心配と感謝をサリーで表現することにしたのだ。隣でキサラとメロが唇を突き出し文句を垂れているが、サリーの愛らしい抱擁に敵うわけないだろ。
光魔法を込めた魔道具がちかちかと瞬き、真っ暗な洞窟を薄暗い程度には照らしてくれている。フレンはまだ万全ではないだろうけど、すねるキサラとメロを宥める柔らかな表情からは、不安や恐怖といった感情は抜けつつあるように見えた。
ミラーデーモンを撃退した後、俺たちは喜ぶ間もなく直ぐに移動を開始した。キサラ曰く、「濁流に落としたくらいでは、ミラーデーモンにほぼダメージはない」とのことだ。能力自体も厄介なのにこの頑丈さ。やはり、規格外の魔物だったといえよう。
本来ならばこのままルナール湖まで足早に進みたいところではあったが、俺とメロは魔力を大量に消費したし、フレンは気を失ったままだった。
このままでは、ミラーデーモンでなくとも普通の魔物を対処するのも難しい。なので俺たちは、少し進んで峠の岩壁をえぐるようにできた洞窟を見つけると、逃げるようにしてその中に身を隠したのだ。
「私はどれくらい眠っていたんでしょう?」
後ろからサリーを抱きながら、フレンは神妙な顔つきで言う。
「もう日は沈んでいるから、半日以上は寝てたのかな」
「そんなに…… ルナール湖に向かわなくても大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。みんな疲れてるし今日はここで休むから」
立ち上がろうとしかけたフレンを、キサラは慌てて両手をかざして止めた。フレンは申し訳なさそうに顔を伏せる。
「何も焦ることはないさ。それよりちゃんと水分補給しといた方がいい」
アシュードは真剣な口調で、使い込んだ革製の袋からコップに水を移す。
「ありがとうございます」
アシュードから受け取ったそれを、フレンは大切そうに両手で抱えて口をつけた。ホッとしたように小さく息を吐くと、フレンはコップを地面の上に置く。中身はほぼ減ってはいない。
「あと、何か食べれそうか? 食べないと体は良くならねぇぞ」
荒々しい声ながら、心配の表情を浮かべてアシュードは鞄を漁る。半分ほどに千切れたパンを取り出したところで、フレンは「あまり食欲はなくて……」と眉端を下げながら言った。アシュードは少し残念そうに肩を落としてパンを仕舞う。
「ゆっくり休みなよフレン。それと……」
キサラは俺とメロ、アシュードへ目配せをする。応えるように俺たちは小さく頷いた。
「本当にありがとう。フレンがいなかったら、わたしたち全滅してた」
「ありがとうございますフレン。わたしなんか全然役に立たなくて……」
「ありがとうなフレン。本来なら敵の前に立つのは俺の役目なんだが。俺もまだまだだな」
「ありがとうフレン」
キサラに続き、各々頭を下げて感謝の言葉を伝える。
ミラーデーモンは、俺たちの想像の遥か上を行く強さだった。こうして今俺たちが生きているのは、自らの身を顧みず、敵の注意を引いてくれたフレンのおかげだ。
あれが最善の手だったのだとしても、躊躇なく実行できる人間はそういないだろう。俺はそんなフレンのことを凄いと思ったし、精一杯報いなければならないとも感じていた。
「みなさん、そんな…… 顔を上げてください。みなさん一人一人のお陰で私たちは助かったんですよ」
フレンは普段と変わらず、作り上げたような完璧な笑顔を振りまいた。けれど今のフレンには、初めてパーティに加わった時のような、よそよそしさがあって。
「素直に感謝を受け取ってくれればいいのに」
「ちゃんと受け取ってますよ。こちらこそありがとうございます」
煮え切らないような口振りのキサラに、フレンはあざとく微笑んで返す。フレンの変化にはみんな気づいているようだ。キサラに続き、アシュードとメロも何か言いたげに口を開いたものの、フレンに澄んだ瞳を向けられ言葉が出なくなっていた。
ぎこちない空気を察してか、フレンの膝の上で大人しくしていたサリーが、振り返って彼女の顔を覗き込む。フレンは表情を変えず、サリーの黒髪を優しく指で梳いた。
「少し夜風を浴びてきますね」
「まだ休んだほうがいいですよ。それに、外は危ないですし」
メロが語気を強めるが、フレンは気にせず立ち上がりローブについた土を払う。
「何かあれば直ぐに戻りますから。あら……」
言いながら洞窟の出口へ向かうフレンの手を、サリーはそっと握りしめた。フレンは目線を落とし、少し困り顔で頬をかいている。ちなみにこれは俺が指示したわけではなく、サリーの意思だ。
「そうだな。ダレス、お前が着いていってやれ。フレンもいいな?」
アシュードは片目でフレンを覗きながら問いかける。フレンは諦めたように眉尻を垂らし、俺を見下ろした。
「では、お願いしますね。ダレス。」
「わかった。任せてくれ」
俺は乾いた地面から立ち上がると、先に向かっていくフレンとサリーの後を追う。長いこと座っていたせいか、腰がじんわりと痛みを持っていた。
「ダレス」
「どうした、アシュード?」
「フレンを頼むぞ」
アシュードだけでなく、キサラとメロも心配そうに俺の瞳を覗き込む。あれっ、俺ってそんなに信用されてなかったか。
「ああ、もちろんだ」
俺は当然とばかりに力強く拳を握りしめた。
何があってもフレンを守るという決意はある。全快とまではいかないが、魔力もかなり回復したように思うし。
「本当にわかってる……? 頼むよ」
キサラが含みを持たせるように言うと、メロとアシュードはコクコクと頷く。
キサラの話し方に違和感を覚えつつも、俺はみんなを安心させるため、ぐっと親指を持ち上げた。
けれど、俺を送り出す三人の表情は、すっきりと晴れたものにはならなかった。




