4話 黒いローブの女
「このくらいでよいでしょう」
ガインに審判を下したランドハイムが腕を下ろすと、火柱は天に吸い込まれるように消えていった。
広場には体中にじわっと伝わる熱と、何かが焼けた嫌な臭いが立ち込めている。
「ガイン……」
火柱から少し離れた位置で崩れるように膝をつく。円形状に焦げた地面の中心には、折り重なった白い物体と、焼け焦げた銀貨であろう物が散らばっている。
俺はガインであったものから直ぐに目を逸らし、自分の無力さを痛感していた。
周りの労働者達も呆然と立ち尽くし、ガインの亡骸を見つめている。俺達を取り囲んでいた王都の野次馬さえ、声が出ないようだ。
ガインは死んで当然といえるほどの罪を犯したのか?
ガインもある程度の罰は覚悟していただろうが、死ぬなんて微塵も考えていなかったはずだ。
火柱が上がる直前の驚いた顔をみれば、誰もがそう言うだろう。
「絶妙な火加減ね」
「大したことはないさ、君の能力に比べればね」
ランドハイムは、黒いローブのナターシャと呼ばれた女と、何もなかったように談笑を始めた。人を殺しておいて何も感じていないような振る舞いに、ふつふつと怒りが込み上げる。
そうだ―― 王都の群衆もこの惨状を見ていたはずだ。
俺が声を上げて、あの貴族の暴挙が許されないものだと証明してやる。ガインが殺されていいわけない。
周囲から怒号のような声が聞こえる。
ほらみてみろ、こんなことがまかり通って―― えっ……
「あっ…… あああああ!?」
いつからだろう。頭の中では理解していたはずなのに見えないふりをしていた。
受け入れたくなくても、いつだって世界は俺を簡単に飲み込んでいく。
立ち上がる足を、心を、無残にへし折るのだ。
「ランドハイム様ありがとう!」「あなたは救世主よ!」「そのまま貧民街の連中なんて皆殺しにしてやれ!」「一人だけなんて生ぬるいぞ!」
「王都のゴミを消し去ってくれ!」
静寂な広場に響く、吐き気を催す罵声。
王都の群衆がランドハイムを称えるさまは、魔物を討伐した英雄の凱旋そのものだった。
ランドハイムは軽く右手を挙げ笑顔で歓声に応えている。
目も耳も塞ぎたくなる光景に、子供の頃から散々聞いてきた言葉を思い出す。
『貧民街にさえ、生まれなければ助かったのに』
今さらそんなことを考えても仕方ないことは分かっている。ただ、今だけは鼓膜に焼きついたその言葉をぐっと噛み締めていた。
「仕事は片付きましたので、私はこれで失礼します」
夕闇迫る王都。未だに興奮の熱が冷めない群衆をかき分け、煌びやかな馬車が屋敷の前に現れた。
「ランドハイム卿、この度は私の部下がご無礼を働き、申し訳ございませんでした」
深々と頭を垂れるテイムズ。その隣で合わせるように、ガドックも頭を下げている。
「構いませんよ。王都の守護は私の管轄ではないのですが、国を守る者として当然の事をしたまでです」
そう言って笑顔を振りまくランドハイムの顔を見ると、呼吸が荒くなり得も言われぬ嫌悪感がこみ上げてくる。
ランドハイムを映す俺の瞳は、人に向けるようなものではないだろう。
「ダレス、こらえなさい」
ローラは俺の肩に手を回し、人に牙を向ける飼い犬をたしなめるような素振りを見せる。
「本位ではないだろうけど、ガインは私達をかばってくれた、それを無駄にしてはいけない。今はおとなしくしてやり過ごしましょう」
「……ああ」
唇をぎゅっと噛み締めガインの亡骸を見つめる。
ガインの母親になんて説明すればいいのか。自分の薬のために働きに出て、死ぬことになったと知れば正気を保ってはいられないはずだ。
遺骨を回収し、後で話す事をゆっくり考えよう。
湧き上がる怒りを押し殺し、呼吸を整えようとしたその時だった。
「ねぇランドハイム、あの亡骸をもらってもいい? 少し労働力が必要なのよね」
「もちろん構いませんよ、死罪となった民の所有物は国に返す決まりです。亡骸も同様でしょう」
「そう、それじゃあさっそく」
ナターシャは舌なめずりしながら、両手をガインの骨に向けてかざす。
すると骨の一つ一つが黒い靄のようなもので包まれ、カタカタと音を立てて動き出した。
「なんだあれ…… あいつは何をやってるんだ?」
「わからない、私も初めて見たわ」
禍々しい儀式のようなものをローラと見守る。
骨は足元から人の形をなぞるように組み立てられ、気づけば焼け焦げた地面の上に骸骨が立っていた。
肋骨の数は左右対称ではなく、骨盤や足など欠けた部分も多い。その不揃いな出で立ちに、恐怖を感じずにはいられなかった。
「あれはスケルトン!? そんなことができるなんて……」
ローラは息を呑み、目を丸くしている。
「……スケルトンって何なんだ?」
「人の骸骨を模した化け物みたいなものよ。ガインをあんなふうにするなんて……」
拳をぐっと握り、唇を噛むローラ。
今まで経験のない光景の連続に、頭の整理が追いつかない。
「さすがですねナターシャ、ただのスケルトンでも大きな魔力を感じる。あなたのネクロマンスは、かの偉大なレスティーにも引けを取りませんよ」
「――それはどうも」
ランドハイムからの称賛に喜ぶ様子もなく、ナターシャはじっとスケルトンを見つめている。
ふいに夜風が吹き付け、ナターシャの長髪を乱す。髪の間から見えた横顔は、どこか哀愁漂うものだった。
「――おいで」
ナターシャは不敵に笑みを浮かべ合図を送ると、スケルトンはゆっくりと声の下へ向かう。
その足並みに意志というものは見えず、従順な操り人形といった印象を受けた。
「おい! ちょっと待てよ」
こんな仕打ちがあるか。俺の友達を冒涜するんじゃない!
無理に栓をして抑えていた怒りが溢れるように噴き出した。
「ガインを返せ!」
敵意を見せる俺の眼差しに、ナターシャは失笑で返す。
「話聞いてなかったの? この子はもう私のものよ。返して欲しかったら、お友達に説得でもしてみたら? まぁ、耳はもう無いんだけどね」
「なんだと!?」
頭の中では安い挑発だとわかっているのに、足が勝手に動き出す。ガインを渡してたまるかと。
「もうやめなさい!」
後ろからローラに押さえ込まれ、うつ伏せに倒れ込む。まだ地面には火柱の熱が残り、触れた肌はじんわり痛みを感じた。
「ガインの死を無駄にしてはいけないと言ったでしょ」
「くっ……」
「もう一人のお友達は、状況をしっかり把握できるみたいね」
ナターシャは皮肉交じりに笑い、倒れる俺を見下していた。
このまま俺は何もできないのか。悔しさと己の無力に歯を食いしばる。立ち向かったガインは本当に凄いと思った。
だが何もしないわけにはいかない、きっとその選択は後悔を生む。
思考は巡り、俺にできるありったけを思いつく。
その答えは――
「ガイン! 戻ってこい! そんな奴に負けるな!!」
無我夢中で叫ぶことだった。
「ほんとに喋りかけてる、って…… なんで……?」
ナターシャの顔から笑顔が消える。俺の叫びに応えるように、スケルトン、いや、ガインの足が止まったのだ。
「そうだ、ガイン! こっちへ来い! 家に帰ろう、お前の母さんもきっと待ってる」
ガインはゆっくりと俺の方へ振り向く。姿は変わり果てても、その仕草は子供の頃からよく知る友達と重なるものがあった。
疑念が確信に変わる。ナターシャの表情から察するに予想外のことが起こっているのだろう。
恐らくスケルトンに人間の言葉は届かない。
だがガインは違う。俺の声に反応している。
ガインはまだそこにいる。
「ただのスケルトンでしょ! こんなこと、私は認めない!」
ナターシャは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら両手を広げ、指先をガインに向ける。
指や手首、肩から肘まで舞うように動かすナターシャ。ガインは糸で繋がったかのようにナターシャの動きに連動し、歩みを再開する。
「ガイン! 頑張れ! 負けるな!」
俺の呼びかけに応え、手足を降って抵抗するガイン。
「あなたは一体なんなのよ!」
ナターシャは降りかかる火の粉を払うように大きく手を振ると、ガインは骨を散らしながら、ゆっくりと俺に白い背を向けた。
「ガイン!」
俺の声に反応を示さず、ガインは遠ざかっていく。
「ガイン! 応えてくれ!」
足取りを緩めることなくナターシャの方へ向かう。
もう俺の声は届かなかった。
「ダレス、もうやめなさい…… あなたまで殺されてしまう……」
頬の一点にひんやりとした感触を感じる。また一つ、一つと雨のように頬に打ち付けては、一筋の流れを作り、顎を伝って地面にこぼれ落ちた。
ローラの嗚咽混じりの訴えが、頭に登った血を冷ましていく。初めて聞く弱々しい声から、その表情を察することは容易だった。
「いいものを見せてもらいました」
満足気に微笑みかけるランドハイムに、ナターシャは舌打ちして唇を尖らせる。
「では参りましょうか」
ランドハイムは外付けの手すりを持ち、馬車のステップに足をかける。挙動の一つ一つに、身に着けた装飾品が嫌味な音を立てた。
「――わかったわよ」
ナターシャは歩み寄るガインに向け手をかざすと、白い足元を包むように黒い靄が表れる。
地面に吸い込まれるようにして頭頂部まで沈み込むと、靄はなくなり、ガインは跡形もなく消えてしまった。
「……ガインをどこにやった」
「あれは私のものよ、あなたに関係ないわ」
ナターシャは吐き捨てるように言い、馬車に乗り込むランドハイムに続いて、ステップに足を掛ける。
「まぁ、また会えたら教えてあげてもいいけど」
人差し指を頬に当て、意味深な表情を浮かべながらナターシャは馬車に乗り込んだ。
鞭を打つ音が広場に響いた後、馬車はガラガラと車輪を回し王都の正門へと向かっていく。
残ったのはボロボロになった貧民街の労働者と、罵詈雑言を浴びせる王都の群衆だけだった。
「ローラ、すまなかった……」
「こっちこそごめんなさい、私がガインを止めていればこんなことには――」
ローラに手を引いてもらい立ち上がる。まだ彼女の目から流れた涙は乾いておらず、広場の街灯に照らされると薄い光を見せた。
大切な人がまたいなくなった。貧民街での生活は常に死と隣り合わせだと分かっていた。
でもどこかで、自分と縁のある人は大丈夫だと、そう簡単にいなくなったりしないと、淡い期待を抱いていたことに気づく。母さんを失ったはずのに……
燃えたぎっていた広場を冷ますように、ぽつぽつと雨が降り出した。空の彼方ではゴゴゴと雷鳴が轟き、同調するようにして、雨脚が徐々に勢いを増す。
威勢の良かった王都の群衆は、群がる虫が投石を受けように、慌てて広場から離散していった。
「いたっ……」
反射的に右腕を抑える。雨に濡れた腕は刺すような痛みを持ち、火傷を負ったことを今になって認識した。
「ローラ、行こう」
「ええ……」
疲労と心労の蓄積で重くなった足を動かし、ローラと共にガインが焼かれた場所へと向かう。
円状に黒く変色した地面。腰を下ろし焼け焦げた銀貨を集める。一枚、また一枚、拾うたびに胸が強く締め付けられる。
「これだけしか残らなかった……」
震える手で握った銀貨はとても軽く感じた。
「子供の頃は、二人でよく貧民街の抜け穴から外に出て、野イチゴや野草を採りに行ったんだ。いつも腹の空かせた俺達は、どっちが先に野イチゴを見つけたかで取り合いの喧嘩になって。俺は一度も勝てたことがなかった。結局は兄弟の為にもって分け合うんだけどさ、あいつの飛び蹴りはほんと痛くて……」
思いがけず口からこぼれた昔話。雨に混じって涙が溢れ出す。
今でも二人で過ごした日々を鮮明に思い出せる。春風を全身に受けて草原を走ったこと、ふざけて机代わりにしてた樽を壊して叱られたこと、甘酸っぱい野イチゴを分け合って食べたこと。
でも、大切な思い出を紡いだあいつはもういない。
「――なんでいなくなるんだよ」
握った拳を地面に叩きつけると、右手に感じるのは生を感じる鈍い痛み。なんで俺は生きてるんだ……
「ガインのためにも生きましょう」
ローラは俺の背中を包むように後ろから寄りかかり、抱擁した。
雨は俺達のことなど気にもせず降り注ぎ、積もった雨水は広場から正門に向かって川を作る。
落ち葉や木の枝が飲み込まれるように流される様子を、俺はじっと見つめていた。