35話 お金には目がありません
「わたしたちはダンジョンに向かいます!」
古風な宿屋のロビーに、キサラのよく通る声が響き渡った。受付のおばちゃんが、もう少しボリュームを下げろと言いたげに、引きつった笑顔をこちらへ向けている。
「こんな良いクエストなかなかないぞ! とりあえず聞いてくれ」
アシュードは興奮気味に長テーブルへ手をつき、キサラは嬉々としてバッグから地図を取り出す。
俺とメロが特訓している間、キサラとアシュードはクエストの報告のため、冒険者ギルドを訪れていた。
そこで、かなり割の良いクエストを見つけたとのことらしく、臨時でパーティ会議が開かれることになったのだ。
「その前に」
キサラは頬に一本指をトンと添え、茶化すように口を開く。
「わたしたちが働いてる間に、あなたたちは村のはずれでコソコソと…… なーにをやってたのかな?」
「「――すみません」」
キサラは悪戯っぽく頬を歪めながら、しょんぼりと椅子に座る俺とメロを見下ろしている。
「あのー…… 本当に魔法の練習してただけなんですよね?」
俺とメロの間に座るフレンが、場の空気を探るように手を挙げた。今、メロの隣に座るのは、なんというか非常に気まずいので、フレンには間に入ってもらっているのだ。
「さぁ? どうなんでしょ? 詳しくは当事者たちにお聞きください」
「また機会があればそうします……」
フレンはいつものように可愛らしく微笑むだけで、俺とメロに何があったのか、これ以上聞くことはなかった。察してくれるのはありがたいが、本当に何もないからな!
ちなみにサリーは、受付に飾ってある木彫りの熊をまじまじと見つめている。大きな口で魚を咥え、躍動感のある動きを再現した逸品。気に入ったのなら、今度プレゼントしてやってもいいか。
熊に熱中するサリーを、受付のおばちゃんが「かわいい」とこぼしながら眺めている。
「ったく、休んどけって言ったのにメロは懲りねぇな。ダレスも乗せられてどうする」
「返す言葉もありません」
俺はうつむきながら答えた。メロは居心地が悪そうに窓枠に肘をつき外を眺めている。
アシュードは「まぁ、過ぎたことか」と鼻で笑った。
「ダンジョンに行くってことだけど、ダンジョンって何なんだ?」
「よく聞いてくれました! 冒険者に成り立てのダレスに、キサラちゃんがしっかりレクチャーしてあげましょう」
脱線した話題を戻すと、キサラはノリノリで説明を再開する。相当に美味しい話のようだ。
「分かり易く言うと、ダンジョンは魔物の巣のことよ」
「魔物の巣……?」
「そう。発生原因はハッキリしないんだけどね。時折現れて、放っておくと魔物がドンドン出てきて周辺の村や町に危害が及ぶの」
キサラは、恐らくダンジョンのある地点を地図で指差す。そのままなぞって近くの村を丸く囲んだ。
「そこで冒険者の出番ってわけだ!」
アシュードが自慢気に上半身の筋肉を見せつけながら、解説を加える。
「ダンジョンは一般人の生活に与える危険度が高いから、その分報酬が高いんだけど。わたしたちと同じで、ルナール湖の魔物討伐に向かってる冒険者が多いから」
キサラはニヤリと悪そうな笑み。
「ダンジョン攻略に向かう冒険者がいなくて、今は報酬が上乗せされてるみたい。ギルドの偵察によると、階層も浅くて難易度は高くないみたいだから、わたしたちなら楽勝だよ」
目を輝かせながら親指を立てるキサラ。アシュードは隣で腕を組みながらコクコクうなずいている。
「――それで? 報酬はいくらなんですか?」
メロは視線だけをこちらによこし、呟くように言う。
「聞いて驚きなさい。なんと金貨十枚だよ」
「「「金貨十枚!?」」」
俺とメロ、フレンの声が綺麗に重なる。メロは驚きの余り立ち上がり、木の丸椅子が慌ただしく転がった。
「それ本当ですか?」
「ほんとにほんと」
言いながらキサラは、バッグから取り出した一枚の古紙を地図の上に置く。上部に大きく書かれた「ダンジョン攻略依頼」の文字。報酬の欄には赤字で「金貨十枚」と確かにある。
「金貨十枚って、一年は食べるのに困らないじゃないですか!?」
「もちろん五等分するけどね」
興奮するメロを抑えるように、キサラは五本の指を広げて彼女に向ける。
気分が高まるのも無理はない。五等分しても一人当たり金貨二枚だ。しばらくは金を気にせず生活できる。
頭の中で報酬の使い道を思案してふと思い出す。
奇しくも、レーゲの病に侵されたサリーを救うための薬が金貨二枚だったこと。
俺に力があれば……
今更ながらではあるが、そう考えずにはいられない。
「で? みんな異論はない?」
「もちろんです!」
キサラの試すような視線。メロが一番に声を上げる。
お金の力は偉大なようで、さっきまでのピリッとした雰囲気が嘘のようだ。続いて「私も問題ありません。距離もそう遠くないですし」とフレンがそっと手を挙げる。
「ダレスも大丈夫?」
俺は一瞬、受付で戯れているサリーを見る。
「もちろんだ」
キサラの問いに、俺は二つ返事で答えた。
◇◇
翌日。クエストを受注した俺たちは、来た道を少し戻って森の奥へと入って行った。キサラの案内で蒸し暑い獣道を進んで行く。
青い空は次第に木々に覆われ、樹木と樹木の隙間から差し込む日差しが、神秘的な情景を作り出している。あまりの美しさに、俺は思わずため息をついた。昨晩ベッドでメロとの一件を思い出し、悶々としていた俺の心が浄化されていく。
「まだ着かないんですか……?」
険しい顔で汗を流すメロ。隆起した木の根に足を取られかけそうになるのを、必死で堪えている。
「もうちょっと、もうちょっと。キサラちゃんを信じなさい」
「それ、さっきも聞きましたよ……」
振り返りながら余裕の表情を見せるキサラ。「メロはだらしないな」と大きな盾と荷物を背に、アシュードが笑い飛ばす。
「ダレス。ちょっといいですか?」
前を行く三人をやっとの思いで追いかける俺の隣に、フレンはすっと近寄る。
「どうしたんだ?」
「サリーちゃんのことなんですけど」
言いながらフレンは、大剣を背負いながらも身軽に木と木を飛んで進んでいくサリーを指差す。フリフリのスカートを枝に引っ掛けることなく、華麗に舞うように飛ぶサリー。
「あんなに動かして疲れないんですか?」
心配そうに俺の顔を覗き込むフレン。前傾姿勢からの狙ったような上目遣いに、思わず目が泳いでしまう。
「疲れる……?」
足場の悪いこの道を歩くのは疲れるけど、動かしてって……
酸素の足りない頭をフル回転させ、やっと俺はフレンの言葉の意味に気づいた。
「あぁ! サリーのことだな! 大丈夫、大丈夫! こんな道だし、木と木を飛んで移動する方が魔力の消費を抑えれるんだ」
「そうですか。それならいいんですけど」
フレンは眉根を少し寄せて疑念を残した表情のまま、先行するキサラ、アシュード、メロの後を追う。頭から足下まで覆う白いローブは動きにくそうだが、機敏な身のこなしで苔の生えた岩を飛び越えていった。
危ない、危ない。俺は額から流れる汗をぬぐう。
咄嗟に出た言い訳でなんとか誤魔化せたみたいだが、サリーは人形っていう設定をもう少し意識しないといけないな。疲れが重なると気を抜いてしまう。
サリーは太い枝に腰掛け、人形のような目でじっと俺を見ている。サリーのためにも俺がネクロマンサーだとバレる訳にはいかない。
両手で頬を叩いて気合を入れなおし、前を行くパーティメンバーを追いかける。サリーは俺が進むのを確認すると立ち上がり、ぴょんぴょんと木の枝を踏み台に森の中を駆けていく。
俺に近づきすぎず、離れすぎない距離をサリーは常に保っていた。
「ねぇねぇ! ここじゃない?」
進行方向からキサラの騒がしい声。
大きな岩の隙間から触手のように飛び出す木の根を掴み、やっとこの思いで湿り気のある岩肌をよじ登る。
視界に飛び込んできたのは、樹齢何千年とも思わせる立派な大木。
その根本に近い幹の部分を、キサラが慌ただしく指差している。
そこには明らかに自然のものではない、異質ともいえる大きな空洞が存在していた。




