3話 上質な不条理をあなたに
「皆さんの言い分は理解できました。おい、ガドック! 契約書をもってこい!」
「わ、わかりました」
ガドックは慌ただしく馬車に向かい、契約書を取り出して渡すと、テイムズは乱雑に受け取り目を通す。
苛立つ労働者、何も言わず見守る貴族、高みの見物を決め込む王都の群衆。
思いは違えど、それぞれがガインとテイムズのやり取りに注目していた。ガドックの作り出した石柱の一つが崩れ落ち、バサッと土煙をあげる。
「――しっかりと契約書は確認していただけましたか?」
引きつった笑顔から絞り出すように、テイムズは言葉を並べる。
「だから、そんなことよりちゃんと報酬を」
「ここに書いてあるんですよ」
契約書を指差し、ガインに突きつける。
「銀貨三十枚を最高報酬として、宿舎の費用や食事代に手数料。採れる鉱石の値段も日々変動する事を踏まえたうえで報酬を決定すると」
「これを了承して契約を結んだのはあなた方です」
勢いに飲まれるようにガインは尻込みするが、瞳の奥の火はまだ消えていない。
「だけどよ、俺達は必死にやったんだ。なのに銀貨十枚って半分以下で…… ダ、ダレスなんか五枚だぞ。こんなのおかしいだろ!」
「必死とか一生懸命ってのは関係ねぇんだよ!!」
作った笑顔から一変し、テイムズは激しい剣幕で捲し立てた。
「契約書を交わした以上、そこにしか正義はねぇんだ! 文句垂れるならもっと鉱石を採ってこい!」
「そして! 働いた奴を評価するのはお前達じゃねぇ――俺達だ」
その口調と勢いはガドックよりも恐ろしいもので、不本意ながら酷く正当性を貫いた発言にも聞こえた。
言葉に詰まるガイン。
ガインはわずかな希望を探すように周囲に目をやり、ランドハイムを見上げた。
「……なぁ、あんたならなんとかできるんじゃないか…… 偉い人なんだろ?」
「なっ、ランドハイム卿になんて無礼な」
ガインは藁にも縋る様子で、ランドハイムに問いかける。その顔つきは、先程までの力強さを完全に失ったものだった。
「王都グルーケルの民よ、悪いが私にそのような権限はないのだ」
ランドハイムは慈しむ表情をガインに向けたが、その整った瞳の奥に、深い闇を感じずにはいられなかった。
「なんで…… なんで誰も俺達を助けてくれないんだ」
ガインは振り上げた拳を自分の膝に打ち付ける。
労働者たちも、心の折れたガインの背中をみて立ち尽くす。怒りの炎は大量の水を受けたように、跡形もなく消えてしまった。
「……これじゃあ薬が買えないんだよ……」
ガインは朦朧とした目でゆっくりとランドハイムに近づく。
「やめなさい! ガイン!」
ローラの叫びは届かず、ガインの歩みは止まらない。
「本当はなんとか出来るんだろ…… そうなんだろ!?」
「――おいで」
ローブの女が静かに唱えると、ガインの足下に黒い靄が広がる。
「……っ!?」
靄から伸びるように黒く腐敗した手が現れ、ガインの右足に絡みついた。
「うっ……」
次の一歩が出せず、崩れ落ちるように倒れ込むガイン。もう彼の体と、恐らくは心もボロボロだった。
「ガイン!」
見るに堪えないガインの姿。俺は、息を切らして駆け出す。友達を助けるために、無我夢中だった。
必死に走る俺を見て、ローブの女は手の平をこちらにかざす。何か仕掛けてくることは明白であったが、立ち止まる気は微塵もなかった。
「ナターシャよ、放っておきなさい」
「……わかったわ」
ランドハイムの呼びかけに、ナターシャと呼ばれた女は無表情のまま手を下ろす。同時に、ガインの足を掴んでいた禍々しい手が、靄に吸い込まれ消えていった。
「大丈夫か、ガイン!」
うつ伏せに倒れるガインに肩を貸し、ゆっくりと立ち上がる。
「……ありがとうダレス」
ガインの目には大粒の涙。
いつものように陽気な姿はなく、消え入りそうな横顔を見ると胸が締め付けられるようだった。
「俺達は何のために生きてるんだろうな」
「それは……」
ガインの問に言葉が出ない。
生きてて良かったことなんて欠片もなくて、辛いことばっかりで。今もその最中で――
「なんで、働けるようになったら世界が変わると思っちまったんだ…… こんな事がこれからずっと続くのか……」
支えているガインの体は鉛のようにずっしりと重く、立つ気力さえ失っているようにみえる。
「感傷に浸っているところ申し訳ないが、ここで一つ、仕事を済まさないといけないんだ。目の前で暴挙が行われた以上、私にはそれを納める責務がある」
ランドハイムの言葉に、俺とガインは戸惑いながら顔を上げた。
「聞く限りでは、契約書を交わした後にも関わらず、労働者が不当な申し立てをして騒動になったと」
ランドハイムは一連の出来事を整理するように、淡々と話しを続ける。
「ガドックといったか…… この石柱は君が作り上げたようだが、理由を教えてもらえるかい?」
ランドハイムの視線に、ガドックは驚きと恐怖が合わさった顔を見せた。
「へ、へい! ――そこの二人から暴行を受けた後、他の連中からも襲われそうになったため仕方なく…… ほんと、仕方なくなんです!」
「なるほど、正当防衛というわけだね」
顎を触りながら頷くランドハイムを見て、ガドックは安堵の表情を浮かべる。
「――だが、これだけの実力があるなら、もう少し別のやり方あったと言わざるを得ませんね」
うずくまる数名の労働者を視界に捉えながらの発言に、ガドックの表情は直ぐに崩れた。
「では、こうしましょうか」
ランドハイムはパンと手をたたき、周囲の注目を集める。
「今回の件は首謀者に罰を受けてもらいます。幸いなことに証人も多いようですしね」
そう言って、俺たちを取り囲む王都の群衆に目をやった後、大きく手を広げた。
「本来ならば暴動を起こした全員に罪はある。――しかし、ガドックの行為は正当防衛を超えたものであり、その痛みを持って労働者は罰を受けたものとする」
「おぉ、なんと慈悲深い」
声を張り上げるランドハイム。その横で、テイムズが媚びるように合いの手を入れる。
「ただ、騒動の引き金を引いた悪意ある首謀者は、王都の安寧を脅かした罪を償う必要がある」
「首謀者は名乗り出よ!」
ランドハイムの言葉に胸がざわつき、冷や汗が流れ出す。罪という烙印を押された事実から目を背けたくなる自分がいて。俺は自然と口を結んでいた。
「俺だ…… 俺が首謀者だ」
ガインは俺の手を振りほどき、自らの両足で立ち上がった。その姿は地に根を深く張った大木のようで、ランドハイムの言葉に圧倒された俺とは比べ物にならなかった。
「何言ってんだガイン! 俺が……」
「お前は黙ってろ!」
ガインの拳が頬に突き刺さる。俺はこらえる事ができず、冷たい地面に背中が重なった。
今まで殴られたことは何度かあったが、ガインの手から、痛みよりも優しさを強く感じた。
「君が首謀者だったか…… ガドック! 間違いはないですか?」
ランドハイムの気迫に押されたのか、カドックは無言でブンブンと頷いている。
「なんで…… 母親のことはいいのか?」
「どのみち薬が買えないんだ―― きっともうお袋は……」
ガインは握りしめた拳を見つめ、物憂げな表情を浮かべる。
「それに、お前の行動に勇気もらったんだぜ。このままじゃだめだって」
握った拳を俺に向ける。
その拳を見るとガドックを殴った感触が脳裏にじわっと蘇った。
「この不条理を変えるために、誰かが動かなきゃ行けないと思った。もう貧民街から、俺と同じ思いをする奴を出したくない――」
「ダレス、お前は妹達を大事にしてやれよ…… ってそこは心配しなくていいか」
「ガイン……」
微笑むガインを見て胸が熱くなる。俺の友達はここにいる誰よりも、強い信念を持ってここに立っている。それがとても誇らしかった。
「覚悟はできているようだね」
「ああ」
力強い眼差しを向けるガインに、ランドハイムは「そういえば」と思い出したかのように口を開いた。
「名前は何と言うんだい?」
「ガイン・ダイラスだ」
「そうか…… ガイン、残念だが君にはもう一つ罪がある」
「私に対する不敬罪だ」
俺とガインは目を丸くする。ランドハイムのことを明らかに身分の高い人間だとは判断していたが、そんな罪があるとは初耳だった。
貧民街では貴族と接する機会など当然なく、表情から察するにガインも俺と同じ考えらしい。
「その様子だと知らないみたいだね」
ランドハイムは右手を左胸に当て、笑顔を作る。胸まで覆う金色のネックレスが、ガシャリと音を立てた。
「私の名前はシリウス・ジン・ランドハイム。君が働いていた炭坑の管理もしている貴族だ」
「貴族は民を守ることが使命ではあるが、立場上、我々の名誉や尊厳を害されることは罪になる。君の言葉や、私に敵意を持って近づいたことはそれに値する」
「知らなかった、では許されないのだよ」
不気味な笑みを崩さないランドハイム。ガインは唇をぐっと噛み締めた後、ゆっくり口を開いた。
「わかった、受け入れるよ。早く何処へでも連れて行けよ」
「君は勘違いしているようだが、私はここで仕事を済ませる必要があると言ったんだよ」
そう言ってランドハイムはガインから少し距離を取る。ガインは何も言わず首を傾げ、広場には少しの沈黙が流れていた。
「ガイン・ダイラス。そなたは今回の暴動の首謀者として、王都の安寧を脅かした」
広場の全員が息を呑み、力強い言葉を傾聴している。
「そして、私、シリウス・ジン・ランドハイムに対する不敬を――」
「死をもって償いたまえ」
言葉が宙に舞い広場に降り注ぐと、時が止まったような静けさが広がった。
あいつは今なんて言った? 俺の聞き間違いか。本当に死で償えと言ったのか。そんなことが許されるのか?
いくつもの思考が頭を巡り、ガインに視線を向けると示し合わせたように目が合う。驚きを隠せない表情がガインの心情を物語っており、声をかけようとしたその時だった。
「燃え尽きろ」
ランドハイムは左手で右の手首を掴み、静かに言葉を発した。
立ち尽くすガインを囲むように、地面から円状の光が差し込む。その光はテイムズ商会の屋敷よりも高い火柱となり、ガインを包みこんだ。
「あああぁぁぁぁぁ!!!」
「ガイン!」
ガインは断末魔の叫びをあげ、一瞬の内にその声は途絶えた。熱風が体中に吹付け、思わず目をすぼめ手で顔を覆う。肺は燃えるように熱く、飛び散った火の粉が全身に降り注いだ。
いったい目の前で何が起こっている――
理解が追いつかない。
「――なんでガインが燃えて……」
助けないと―― 右手が自然に火柱の方へと向かう。
「ダレス! 離れなさい!」
ローラの声がかすかに聞こえた後、両足は地面を離れ、伸ばした手がガインから遠ざかる。
「ガインが…… ガインが……」
「あなたまで死んでしまうわ」
ローラに担がれた俺は、成す術なく燃え盛る炎から引き離された。
まだ話したいことがたくさんあった。感謝したいことも。
そんな俺の思いなど簡単に破り捨てるように、ガインはこの世からいなくなった。