23話 共に行こう
俺の腕の中から、サリーは静寂な墓場へと降り立った。この世の理から外れた、生ける屍となって。
フレッドさんは驚いたように足を止め、右手に握った短剣を俺の喉元へと向ける。
「妹を盾にするとはなぁ。そんなに金が大事か、ダレス!」
額に左手を当てて挑発混じりに笑うと、フレッドさんはまた歩みを進めた。伸びきった雑草が踏み潰され、その先端が力なくサリーの足下へと倒れる。
「サリーもリゼも俺の家族です! 何があっても俺が護ります!」
俺は、荒野でスケルトンと共に戦った記憶を呼び起こす。
前回は途中で魔力が尽きて、絶体絶命のところをナターシャに助けてもらった。
だけど今は、自分の力でこの窮地を乗り越えなければならないと思った。
ここでリゼを護れなければ、この先もずっと何もできない自分のままだ。
目の前にいるサリーの小さな背中を見て、不思議と恐怖心が薄れていく。大の大人に敵うはずのない、普通の女の子のはずなのに。
それはきっと、一緒に戦うのが共に生き抜いてきた家族だから。
俺たちのリゼを助けたいと思う気持ちは、欲に溺れた大人に負けるはずがないから。
「護るだぁ? なら後ろに隠れてんじゃねぇよ! そんなんじゃ妹を失っても文句言えねぇぞ!」
怒りに染まった目で振りかざした短剣が、サリーへ迫る。迷いのない一振りに、俺は反射的に手を払った。
その瞬間、サリーの手を包むように、虚空から黒い靄が現われる。
「なんだ……!?」
カンッと、王都まで届きそうな金属音が響く。
振り抜いたはずの短剣はフレッドさんの手を離れ、回転しながら天高く舞い上がった。
血の気が引いた、フレッドさんの視線の先。
そこに、巨大な大剣を軽々と振り上げるサリーがいた。
「おいフレッド! ガキ相手に何やってんだ!」
後退りするフレッドさんを馬面の男が引き止める。
「でもよ、急に剣が現れて…… 一体何がなんだか…… ひっ……!」
空から降ってきた短剣に、持ち主は情けない声を上げて腰を抜かした。
俺の手の動きに連動するようにサリーは動いた。スケルトンと戦った時と一緒だ。
だが、なぜ何もないところから剣が現れた? ……いや、今はそんなことなど考える余裕はない。
場を圧倒させたまま、サリーは自分の頭身程の長さの剣を肩に担ぐ。
その様は歴戦の戦士そのものだが、剣とのアンバランスな出で立ちには、違和感を覚えずにはいられない。
「もうやめてください! フレッドさん!」
これは好機だ。力の差を示したことで無用な争いは避けられる。
しかし、俺の思惑に反してフレッドさんは怯えたまま口を開かない。
「ったく、そのでかい図体で情けねぇな」
馬面の男が鼻で笑いながら転がる短剣を拾い、その切っ先を俺に向ける。
「ダレス君、早く金を渡したほうがいい。フレッドを黙らせて強気になってるかもしれないが、俺たちと同じ考えの住人は貧民街にたくさんいる。君も知ってるだろ?」
あくまで冷静に馬面の男は話を切り出した。不敵な笑みを浮かべ、探るようにして俺とサリーを交互に見る。
「俺を脅してるんですか?」
「脅すなんてとんでもない、君たちを案じているんだよ。金の情報はすぐ広まる。ここを退けても、次はいつ襲われるかわからんだろ。もしかしたら寝込みを襲われるかもしれない。なぁ? 今、金を渡せば君の家族の安全も保証してやるから…… さもないと……」
「さもないと……!?」
払うように手を振ると、俺の意志に応えるようにサリーは剣を構え、一直線に馬面の男へと飛び込んだ。
薄い生地のスカートはひるがえり、肩まで伸びた髪はバサリと揺れる。直後に、耳をつんざく剣を弾く音。
サリーは鋭い横振りで、短剣を弾き飛ばした。そのまま、手を抑えて蹲る馬面の男に剣を向ける。
「家族に手を出す奴は許さない! 何があってもだ!」
「ば、化け物が……!」
「なに……?」
後退りする馬面の男の目が、恐怖の色に染まる。
サリーを化け物と罵るこの男を切り刻もうと考えた矢先、隣で軽快に手を叩く音が、俺の頭に上った血を冷ました。
「凄いじゃないダレス、やっぱりあなたは私の男ね」
甘ったるい声でナターシャは煽るように言う。
不快そうに俺が目を細めると、彼女は喉の奥で笑いながら腕を組んだ。
「はい、あなたたちの負け。弱い男には興味ないから、さっさと消えてくれない?」
さっきまで饒舌に喋っていた馬面の男が、歯を食いしばって何も言えずにいる。
そうだ、もう勝敗はついた、冷静になれ。
一時の感情に流され、俺はサリーに酷いことをさせようとしていた。
拳を作り、自分を戒めるように胸をドンと叩く。
今回ばかりはナターシャに感謝だ。
「私の言ってることが聞こえないの? 早く視界から消えてくれない?」
腰が引けた二人に、威圧するような足取りでナターシャは近づいていく――
「あら……?」
一瞬の隙だった。
痩せた長身の男がナターシャの背後をとった。
細い体を羽交い締めにし、その喉へとナイフを突きつける。そうだ、まだこいつが残っていた。
不思議なことに、男はさっきまで何もなかった空間から、突然ナターシャの後ろに現れたように見える。この距離なら気づけないはずがないのに。
「あんまり調子に乗るなよ嬢ちゃん。命は大事だよな? 金貨を置いて消えるのはあんただよ」
手のひらほどの刃が、陽の光で眩く光る。
本来なら命の危機だが、ナターシャはあくび混じりに余裕の表情だ。
「お前らも! 変に動くんじゃねぇぞ。大事なお仲間が傷物になるぜ」
いや、そいつはどうでもいいんだが…… などとは言えず。
俺は両手を上げて見せ、抵抗する意志がないことを一応示しておく。俺に合わせるようにサリーも剣を下ろした。
「ひどいわ、ダレス。私を見捨てるのね」
「あくびしながら言う奴のセリフじゃないよな」
俺と視線を交わした後、ナターシャは気だるそうに毛先をいじりだした。
「気配遮断ってとこかしら? お兄さん、並の人間よりは戦えるみたいだけど、これで勝ったと思ってるなら滑稽ね」
「笑わせんな、どう見ても俺の方が有利だろ。てか、さっさと起きろお前ら! こいつから金貨奪い取れ」
フレッドさんと馬面の男はゆっくりと起き上がる。一瞬、フレッドさんは俺のことをきつく睨んだが、言われるがままナターシャに近づいていった。
「取り分は俺が一番だからな。それに、よく見りゃこいつのローブも高級品だ、香水も良いの使ってやがる。このまま連れ去って、金目の物は全部いただくぞ」
痩せた長身の男は、勝利を確信した表情で舌なめずり。
だが手元は緩むことなく、ナイフはいつでもナターシャの喉元を引き裂ける位置にある。
「あら、三人同時なんて興奮しちゃう。だけど…… 弱い男に興味ないって言ったわよね」
ナターシャはため息をつきながら、ゆっくりと目を閉じる。ぬるい風が吹き、長い黒髪がふわりとなびいた。
「――おいで」
突き抜けるように青い空から、全身を押し潰されるような感覚が俺を襲う。
「へへっ、ついに諦めたか。こいつ誘ってやがるぜ」
馬面の男が欲望のまま笑い声をあげた時だった。
ストン。
痩せた長身の男の肘が重力に従って力なく伸び、ナターシャの喉笛に突き立てていたナイフが地に落ちる。
「おい! まだ金貨取ってないぞ、手を緩めるんじゃ…… !?」
ナターシャが体を横に反らすと、痩せた男はうつ伏せに地面へと倒れ込んだ。
背中には三本の槍、その持ち手が天を向く。血の匂いが充満し、男の目から光が消えていく。
「な、なんだ、こいつら!」
死体を乗り越え歩みを進めるのは、三体のスケルトン。突き刺した槍を回収し、怯える二人にその矛先を向ける。
「あぁもう、血がついちゃったじゃない」
眉をしかめながら、ナターシャは赤黒くなった左袖を覗く。
「お、お前の仕業か? さっき戦えないって言ってたよな?」
青ざめていく馬面の男に、ナターシャはケラケラと笑って答えた。
「私、戦うのは嫌いなんだけど―― 苦手じゃないのよね」
嘲笑うナターシャを模倣するように、スケルトンは顎をカタカタと鳴らしながら行進する。
馬面の男は悲鳴を上げ、足をもたつかせながら狭い路地へと消えていった。フレッドさんも怯えた顔で俺を見た後、何も言わず馬面の男に続く。
「これぐらいで逃げ出すなんて、情けないわ」
ナターシャはやれやれと言わんばかりに頬杖をつき、痩せた男に手をかざした。
「命は無駄にしたら駄目よね」
痩せた長身の男を、黒い靄が飲み込んでいく。そして地面に沈み込むようにして姿を消した。
『労働力』と言っていたか…… こうやってナターシャは手駒のスケルトンを増やしているようだ。俺の親友のガインも、同じ様に靄の中へ消えていった。
「あら? 気に障る光景だったかしら?」
「お前は本当にいい性格してるよな」
「そう? 褒め言葉として受け取っておくわね」
ナターシャに俺の嫌味は通じないようで。彼女は鼻歌混じりに、スケルトンを収納した靄を消していく。
墓場に残ったのは、最初に居合わせた四人だけ。
「お兄ちゃん、もう目、開けていい?」
リゼが俺の服の裾を引っ張った。
そうだ。サリーをネクロマンスしたことや、予想しうる諸々の惨劇を見せないために、リゼには目をつむるよう言ってあったのだ。
優しく頭を撫でると、二つ括りの髪がピクリと揺れる。
「もう大丈夫だ、恐い人はいなくなったぞ。だけど……」
静かにたたずむ、剣を握った少女。その背中はサリーそのものだが、纏う空気は別人のようだった。
二人を会わせることで、リゼにまた悲しい思いをさせるんじゃないか。そんな考えが頭を巡り、俺は自然と言葉を濁していた。
「……お姉ちゃん……?」
リゼのくりっとした目に光が灯る。
俺の服を手放し、リゼは一直線に大好きな姉のもとへ駆けていく。
「リゼ! 待って――」
「……!?」
リゼはサリーの手を握ると、反射的にその手を離した。
そして怯えるように後退りする。さっきまでの期待と喜びは、一瞬の内に消え去った。
リゼの反応を見るに、やはりサリーの肌から体温を、生きている人間が持つ温もりを感じることはできなかったのだろう。
膝ほどまで伸びた雑草が小さく揺れ、同じようにサリーの髪がなびく。風に呼ばれたように、サリーは俺とリゼの方へゆっくりと振り向いた。
「っ……!」
わかっていたはずなのに、思わず息を呑む。
お転婆で、花のように笑うサリーはそこにはいなかった。
凍りついたように冷たい目、真っ直ぐ線を引いたような口元。
整った小さな顔からは、感情というものが欠落していた。その顔立ちは、まるで人形のようで――
「お姉ちゃん……」
リゼは今にも泣き出しそうに声を震わせサリーを呼ぶ。だが、当たり前のように返事は返ってこない。
サリーは眉一つ動かすことなく、じっとリゼを見つめている。
あれ……?
俺は一つの違和感に気づく。
ずっとサリーに意識を向けていたはずなのに。墓場から幾つもの死者の悲鳴が頭に響いているのに。
サリーの声だけが聞こえないのだ――




