14話 ここでやらなきゃ
岩陰に隠れていた何かが、高くそびえるその岩肌を駆け上る。
瞬く間に頂上へたどり着くと、鋭い眼光で俺たちを睨んだ。灰色の毛が、燃えるような夕陽の赤に染まる。
あの顔立ちは狼か…… なにより、この距離からでもわかる巨体。大の大人三人分はある。立派な四本の足で勇ましく立ち、鋭利な牙からはよだれが滴り落ちている。
「おい、ナターシャ! 何とか言えよ!」
非常事態を知らせる俺の声は届かない。ナターシャは今もなお、椅子に腰かけ読書に夢中だ。呑気なお姫様を、何十体ものスケルトンが守っている。
狼は周囲を見渡した後、天に向かって咆哮した。
殺気に満ちた深紫色の瞳が、もう一度俺たちを捉える。号令を受け、周囲の岩場から他の狼達がぞろぞろと顔を出し始めた。恐らく、頂上にいるあいつが群れを仕切っているのだろう。
呼び出された狼の中には小さいのもいるが、あの牙に食らいつかれたら一巻の終わりだ。
「あら、デザートウルフね。闇に紛れて狩りをするのが彼らのやり方なのに、まだ明るいうちに姿を見せるなんて…… よっぽどお腹が空いてるのかしら?」
ナターシャは相変わらず本と向き合いながら、冷静に知識を披露する。こんな状況でよく落ち着いていられるものだ。実は、それほどこの獣は脅威ではないのか?
無防備なナターシャを狙い、一匹のデザートウルフが牙を剥いた。姿勢を低くし、助走をつけながらの突進。
しかし、ナターシャを守護するスケルトンが見過ごすわけもなく。数体集まって骨の壁を作り、単身の突撃を受け止める。ガシャンと音を立て、スケルトンが足元から崩れ落ちた。
勢いを失ったデザートウルフ目掛け、控えていたスケルトンたちがすかさず剣を振り下ろす。
しかしデザートウルフは華麗にステップを踏み、軽々とかわして後方へ引いた。
絶命を狙う一撃は空を切り、武器同士が重なる金属音が荒野に響く。
「なんて身のこなしだ……」
俊敏な動きに見惚れていると、続けて五体のデザートウルフが突っ込んでいく。
ガシャン。またスケルトンが壁を作ってこれを受け止めるが、肝心の反撃がかすりもしない。
一体、また一体と激しい突進が続く。スケルトンの体はバラバラと地面に散らばり、灰色の獣毛が舞い上がる。
数ではこちらが勝っているが、このままではその優位性が危うい。
「ナターシャ! もう本なんて読んでる場合じゃないだろ、なんとかしてくれよ」
ナターシャはため息をつき、本を開いたまま冷ややかな目で俺を睨んだ。
「もっと状況をよく見なさい。追い込まれてるのはこっちじゃなくて、あの子たちよ」
「何言ってるんだ、スケルトンがやられてるだろ…… って、えっ?」
散らばった骨を指差したつもりが、その先には、何もなかったように武器を構えたスケルトンが立っている。地面を注意深く観察するも、骨片一つとして見当たらない。
またデザートウルフが突進し、スケルトンがその身を崩して受け止め、当たらない反撃を加える。
数秒前にもみた光景。デザートウルフがひらりと攻撃をかわし、離れる瞬間。
「もとに…… 戻ってる……?」
地面に散乱した骨が一箇所に集まり、下半身から人体の基盤を形成する。そして何事もなかったかのように、落とした剣を拾った。
「わかった? あの程度じゃこっちに損害はない。むしろ、体当たりした方も同じ衝撃を受けるんだから、自分で自分の首を絞めてるようなものね」
諦めずに突進を繰り返すデザートウルフ。統率された動きではあるが、それぞれ不格好に口を開けだし、体全体で呼吸をするようになった。
そしてその時が訪れる――
甲高い悲鳴のような鳴き声が、俺の耳を突いた。
スケルトンの振りかざした剣が、ついにデザートウルフを捉えたのだ。
地面に倒れ込んだところを、別のスケルトンが槍で何度も突き刺した。デザートウルフの動きが完全に止まる。
思わず目を背けたくなる光景だった。夕陽で赤く染まった大地の上を、より濃い赤が流れる。不毛なやり取りだった攻防が次の展開を迎えた。
「相手がスケルトンじゃなければ、こんな結果にならなかっただろうに…… 自慢の牙や爪も、切り裂く肉の無い相手じゃ意味をなさない。それに、疲れの知らない兵隊にこんな戦い方…… ほんとかわいそう」
視線は本に向けたままで、淡々とナターシャは言葉を並べた。そんなこと微塵も思ってないだろうに。
後方で控えるスケルトンたちが、木を編み込んで作られた杖をかざす。杖の上部に埋め込まれた黄色の魔石から稲妻が走り、デザートウルフの群れを襲った。
バリバリと空気を裂く音に、獣の悲鳴が重なる。
すでにデザートウルフたちの動きにキレはなく、攻撃をかわしたのは数体だけだった。
痺れて横たわる狼と、とどめを刺そうと詰め寄る骸骨の群れ。もう決着は付いたといっていいだろう。
俺は、こわばった体をほぐすように深く息を吐き出す。
圧倒的な力の差。ナターシャが余裕の表情なのも納得の展開だ。
生き延びた数頭のデザートウルフが情けない声を上げ離散していく。
岩壁の上でたたずむ群れのボスは、歯を食いしばって低く唸り声を上げた。
「それとダレス」
ついに本から目線を外すと、ナターシャの黒い瞳が俺を捉えた。どこか、もどかしさを訴えかけるような目だった。
「あなたは私に頼りすぎ。力の使い方は教えたんだから、このぐらい自分で対処できるようにならないと私の協力者にはなれない。――こんなんじゃ薬は渡せないわね」
「でも…… まだネクロマンサーの力は使えないし、体も限界なんだ。それに――」
後方から微かに石の跳ねる音が耳に入る。俺は喉を通り越しそうだった言葉を飲み込み、すぐさま音の方へ体を向けた。
小刻みに体を上下に揺らす三つの影。デザートウルフが息を荒くし、俺に向かって迫ってくる。
スケルトンの攻撃を受けて逃げたのではなく、回り込んでいたのか…… ナターシャには勝てないと理解し、せめて俺だけでも捕食しようと。
だが、まだ距離はある。追い込まれた相手の焦りが、俺にその存在を知らせた。
さっきの雷なら近づく前に倒すことができるはずだ。
「ナターシャ! おい……!」
敵から目をそらし、俺は手を挙げ救援を求めたのだが……
ナターシャは足を組んで頬杖を突き、ジトッとした目を向けるだけで何も言葉を発しない。
――そうかよ。
ナターシャのやつ、最後は俺が狙われるってわかってたな。
熱を失った大地に手を置き、爪の先から土を握り込む。
殺気がする方へと体を戻すと、デザートウルフはさらに距離を詰めていた。
激しい息遣いが聞こえる。誰も俺を助けてはくれない。ただ、自然と頭の中は冴えていた。
結局は誰かに頼ってばかりで、何もできない自分が嫌いで。そんな俺に力が芽生えようとしている。
ここでやらなきゃ意味がない。サリーも救えない。自分の力で全てを変えるんだ!
俺は握り込んだ土を投げつける。砕けながら弧を描く礫はデザートウルフに届きもせず、ぱらぱらと地面に散らばった。相手は減速する様子を見せない。
この程度じゃ反応しない。ただ時間を稼がないと。
振りかぶった手が、ポケットの小瓶に触れた。フレンからサリーのためにと貰ったポーションだ。これならどうだ。
そのまま小瓶を掴んで突き出すと、デザートウルフは驚いたように二本の前足でブレーキをかけた。
未知の物体を警戒するように、動かなくなる。
さっきまでの戦闘が効いているのだろう。仲間があれだけやられたのだ、想定外の出来事は警戒せざるを得ないとみえる。
「フレン、すまない」
小瓶の中身を俺は勢いよく飲み干す。
血のように赤く揺らめいていた液体は、その見た目に反して口の中を甘い香りで満たした。喉を通り越すと、体のだるさが嘘のように消えていく。
役目を果たした瓶を放り投げ、軽くなった腰を上げる。デザートウルフは姿勢を低くして少し後ずさりした。パリンと乾いた音が余韻を残す。
フレンの好意を台無しにしないためにも、ここで勝って薬を手に入れる。
デザートウルフはグルルと唸るだけで、まだ襲ってはこない。
立ち上がった俺を見て、警戒心を強くしている証拠だ。
俺は右手を前に突き出し、目を閉じる。相手に隙を見せることになるが関係ない。
まだ未熟な自分が、死者を呼び出すには絶対必要な工程だ。手足を引き裂かれようが、この姿勢を変えれば俺は負ける。
死者の叫びが聞こえる、ちょうど足下からだ。頭の中に憎しみと怒りの声が響き渡る。
『死者の声を握りつぶして支配しろ』、ナターシャはそう指南したが、今の俺にはそれが正しいとは思えなかった。
自分の信じるままに死者の声に耳を傾ける。深く、心の奥底をすくい上げるように。
その憎しみは、怒りは、どこに向けられたものなのか。何が根源にあるのか。お前も俺と同じように、不条理に押しつぶされたんじゃないのか。
死者を支配するのではなく、俺は対話することを選択した。
死者の言葉の一つ一つを咀嚼する。溶け込むように、同化するように、死者の意志が脳に流れ込んだ。
そして呼びかける。その怒りを、その憎しみを。俺の妹を救うため、家族を守るために解き放ってくれないかと。
鼓膜を貫くような咆哮が荒野に響いた。
群れのボスからの、攻め時を見失った配下への攻撃命令だ。夕空に吸い込まれていく遠吠えに、地面を弾く三匹の足音が混ざる。
――勝負の時。
俺は突き出した手を強く握り込み拳を作る。彼を呼ぶ言葉は乱暴なものではいけない。
共に――
「行こう」
地鳴りとともに大地が揺れる。
勢いよく開いた俺の瞳に飛び込んできたのは、獲物を目前に戸惑う捕食者と、漆黒の鎧を身に纏う巨大なスケルトンだった。




