11話 ここでやらなきゃ
もう何度試しただろう。
折り重なるように積み上がった骸骨は自分の背丈を超えた。大きく息を吐き、熱を失った地面に座り込む。
足下には欠けた頭骨が無造作に転がり、嫌な視線をひしひしと感じる。真上にあった太陽は地平線に近づき、茜色の光とともに冷風が肌を刺す。日中の熱気が嘘のようだ。
体力の限界はとうに超え、精神にも相当な負荷がかかっているのだろう。何もしていなくても、死者の悲鳴が鼓膜に響いたまま離れていかない。
初めは俺のことを眺めていたナターシャも、どこから取り出したのか、骨で組まれた椅子に腰掛け読書を始めていた。ちゃっかりパラソルまで用意して、その陰に隠れて涼しげに足を組んでいたのだ。
もちろん、パラソルも巨鳥か何かの刺々しい骨で作られている。骨の馬車といい本当に趣味が悪い。
死者を呼び出せるのが先か、俺が力尽きるのが先か。そんなことが脳裏にちらついた時、俺を見張るように立ち尽くしていたスケルトンが一斉に動き出し、ナターシャの下へ向かった。
薄く土煙をあげ、おとぎ話で聞いた姫を守らんとする兵士のように、彼女に背を向け武器を構える。
「ナターシャ、どうなってるんだ?」
問いかけに答える様子もなく、ナターシャは本と睨めっこしたままページを捲った。
スケルトンたちの視線の先に目を向けると、岩陰から不自然な影が伸びていた。西日に照らされ長く大きくなった影は、呼吸をするように一定のリズムで揺らめき、生物の存在を示す。
ひんやりとした風に殺気が混ざり、全身を突き抜けていく。疲弊した心臓が力を振り絞って拍動を速め、身の危険を体に知らせる。
本能のまま、自分達を点々と囲む岩場に目を向けると、それぞれに大きさの違う影が不気味に伸びていた。
日中の暑さでベタついた肌を、じわっと冷や汗が上書きする。
「おい、ナターシャ! 何かいるぞ」
振り絞った声に反応したのは、ナターシャではなく影に潜む何かだった。
黒い物体が岩肌を駆け上る。遅れてゴロゴロと岩が削れ転がる音。勢いよく頂上へたどり着くと、俺たちに逃げ場はないと言わんばかりに睨みを利かせた。灰色の毛が、燃えるような夕陽の赤に染まる。
あの顔立ちは狼か…… なにより、この距離からでもわかる巨体、大の大人三人分はある。立派な四本の足で勇ましく立ち、鋭利な牙からはよだれが滴り落ちている。
「――おい、ナターシャ! 何とか言えよ……!」
非常事態を知らせる俺の声は届かない。いや、聞く気がないのか――
狼は周囲を見渡した後、天に向かって咆哮した。
荒野一帯に轟く高音。獲物を捕らえんとする殺気に満ちた深紫色の目。号令を受け、他の狼達が散らばった岩場の影からゆっくりと顔を出し始めた。恐らく、あの狼が群れを仕切っているのだろう。
咆哮で呼び出された狼は、大きさこそ岩壁の上に立つ狼には劣るが、あの鋭い牙に食らいつかれたら一溜まりも無い。
「デザートウルフね。闇に紛れて狩りをするのが彼らのやり方なのに、まだ明るいうちに姿を見せるなんて…… よっぽどお腹が空いてるのかしら?」
ナターシャは相変わらず本と向き合いながら、冷静に知識を披露する。こんな状況でよく落ち着いていられるものだ。実は、それほどこの獣は脅威ではないのか?
呑気にくつろぐナターシャを狙い、一匹のデザートウルフが牙を剥く。姿勢を低くし、助走をつけながらの突進。
しかし、ナターシャを守護するスケルトンが見過ごすわけもなく、数体集まって壁を作り単身の突撃を、身を持って往なす。
集中的に攻撃を受け止めた一体のスケルトンは、ガシャっと音を立て足元から崩れ落ちていった。
すかさず勢いを失ったデザートウルフ目掛け、スケルトン達が武器を振りかざす。が、デザートウルフは華麗にステップを踏み、軽々とかわして距離を取る。
絶命を狙う一撃は空を切り、武器同士が重なる金属音が響いた。
「なんて身のこなしだ……」
俊敏な動きに見惚れていると、続けて五体のデザートウルフが突っ込んでいく。
ガシャン。またスケルトンが壁を作りこれを受け止めるが、肝心の反撃がかすりもしない。
一体、また一体と鋭い突進を受けたスケルトンは音を立てて地面に散らばり、灰色の獣毛が虚しく舞い上がる。
数ではこちらが勝っているが、このままではその優位性が危うい。
「ナターシャ! もう本なんて読んでる場合じゃないだろ、なんとかしてくれよ」
ナターシャはため息をつき、本を開いたまま冷ややかな目で俺を睨んだ。
「もっと状況をよく見なさい。追い込まれてるのはこっちじゃなくて、あの子達よ」
「何言ってるんだ、スケルトンがやられてるだろ…… って、えっ?」
散らばった骨を指差したつもりが、その先には、何もなかったように武器を構えたスケルトンが立っている。地面を注意深く観察するも、骨片一つさえ見当たらない。
またデザートウルフが突進し、スケルトンがその身を崩して受け止め、当たらない反撃を加える。
数秒前にもみた光景。デザートウルフがひらりと攻撃をかわし、離れる瞬間。
「元に…… もどってる」
地面に散乱した骨が一箇所に集まり、下半身から人体の基盤を形成する。その流れで悠々と落とした剣を拾う様は、ダメージなど無いも同然といったところか。
「わかった? あの程度じゃこっちに損害はない。むしろ、体当りした方も同じ衝撃を受けるんだから、自分で自分の首を絞めてるようなものね」
諦めずに突進を繰り返すデザートウルフ。統率された動きではあるが、それぞれ不格好に口を開けだし、体全体で呼吸をするようになった。
甲高い悲鳴のような鳴き声が耳をつんざく。
スケルトンの振りかざした剣が、ついにデザートウルフを捉えた。
逃げる隙をあたえず、倒れ込んだところを残りのスケルトンが槍で突き刺し、動きが完全に止まる。
思わず目を背けたくなる光景。夕陽で赤く染まった大地の上を、より濃い赤が流れた。不毛なやり取りだった攻防が次の展開を迎える。
「相手がスケルトンじゃなければ、こんな結果にならなかっただろうに…… 自慢の牙や爪も、切り裂く肉の無い相手じゃ意味をなさない。それに、疲れの知らない兵士にこんな戦い方…… ほんとかわいそう」
視線は本に向けたままで、淡々とナターシャは言葉を並べた。そんなこと微塵も思ってないだろうに。
後方で控えるスケルトン達が、木を編み込んで作られた杖をかざす。杖の上部に埋め込まれた黄色の魔石から稲妻が走り、デザートウルフを襲った。
バリバリと空気を裂く音に、獣の悲鳴が重なる。
すでにデザートウルフ達の動きにキレはなく、攻撃をかわしたのは数体だけだった。
痺れて横たわる狼と、とどめを刺そうと詰め寄る骸骨の群れ。もう決着は付いたといっていいだろう。
こわばった体をほぐす様に深く息を吐き、駆けるように高まった心拍を抑えにかかる。
圧倒的な力の差。ナターシャが余裕の表情なのも納得の展開だ。
生き延びた数頭のデザートウルフが情けない声を上げ離散していく。
岩壁の上でたたずむ群れのボスは、歯を食いしばって唸り声をあげ、不快感を剥き出しにしていた。
ただ、胸を締め付けるような鋭い眼差しからは、諦めという感情は見えなかった。
「それとダレス」
ついに本から目線を外し、ナターシャの黒い瞳は俺を捉えた。どこか、もどかしさを訴えかけるような目だった。
「あなたは私に頼りすぎ。力の使い方は教えたんだから、このぐらい自分で対処できるようにならないと私の協力者にはなれない。――こんなんじゃ薬も渡せないわね」
「でも…… まだネクロマンサーの力は使えないし、体も限界なんだ。それに……」
後方から微かに石の跳ねる音が耳に入る。喉を通り越しそうだった言葉を飲み込み、すぐさま音の方へ体を向けた。
小刻みに体を上下に揺らして詰め寄る三つの脅威。
肉を簡単に裂くであろう鋭利な牙。漂う生臭い血の匂い。三頭のデザートウルフが息を荒くし、俺に向かって迫る。
さっきの攻撃を受けて逃げたのではなく、回り込んでいたのか…… ナターシャには勝てないと理解し、せめて俺だけでも捕食する気だろう。
だが、まだ距離はある。追い込まれた相手の焦りが生んだ、危機を知らせる音。致命的なミス。
さっきみたスケルトンの雷なら近づく前に倒すことができるはずだ。
迫る敵から目を逸らし、手を挙げ救援を求めたのだが…… そこに救いなどなかった。
ナターシャは足を組んで頬杖を付き、ジトッとした目を向けるだけで何も言葉を発しない。杖を持つスケルトンはピクリとも動かない。
――そうかよ、ここで全てが決まるってことか。
ナターシャのやつ、最後は俺が狙われるってわかってたな。
熱を失った大地に手を置き、爪の先から土を握り込む。
殺気がする方へと体を戻すと、ほんの数秒視界から離れただけで、デザートウルフはもう目の前まで迫っていた。
激しい息遣いが聞こえる。この距離なら誰も助けてはくれない。ただ、自然と頭の中は冴えていた。
恐怖心が無いと言えば嘘になるが、その負の感情を、思考を巡らせるための潤滑油に利用できそうな感覚。
結局は誰かに頼ってばかりで、何もできない自分が嫌いで。そんな俺に力が芽生えようとしている。
ここでやらなきゃ意味がない。サリーも救えない。自分の力で全てを変えるんだ!
握り込んだ土を投げつける。砕けながら弧を描く礫はデザートウルフに届きもせず、情けなく地面に散らばった。相手は減速する様子を見せない。
この程度じゃ反応しない。ただ時間を稼がないと……
振りかぶった手が、ポケットの小瓶に触れる。フレンからサリーの為にともらったポーション。これならどうだ。
そのまま小瓶を掴み突き出すと、デザートウルフは驚いたように、二本の前足でブレーキをかけた。
注意深く小瓶の中の赤を見つめ、歯を食いしばりながら唸り声を上げている。
さっきまでの戦闘が効いているのだろう。仲間があれだけやられたのだ、想定外であれば些細なことでも警戒せざるを得ないとみえる。なら……
「フレン、すまない」
小瓶の中身を勢いよく飲み干す。血のように赤く揺らめいていた液体は、その見た目に反して口の中を甘い香りで満たした。
そのまま、乾いた大地に染み渡るように喉を通り越すと、全身の倦怠感が嘘のように消えていく。
役目を果たした瓶を放り投げ、軽くなった腰を上げる。デザートウルフは姿勢を低くして少し後ずさり。陶器の乾いた破裂音が余韻を残す。
フレンの好意を台無しにしないためにも、ここで勝って薬を手に入れてやる!
目つきは鋭いがまだ相手は襲ってこない、重心は後ろに残したままで、前に出る気配はなさそう。
立ち上がった俺を見て、警戒心を強くしている証拠だ。
右手を前に突き出し、目を閉じる。相手に隙を見せることになるが関係ない。まだ未熟な自分が、死者を呼び出すには絶対必要な工程。手足を引き裂かれようがこの姿勢を変えれば俺は負ける。
死者の叫びが聞こえる、ちょうど足下からか。
頭の中まで憎しみ、怒りの声が響き渡る。
――声を握りつぶして支配しろ。ナターシャはそう指南したが、今はそれが正しいとは思えなかった。
自分の信じるままに死者の声に耳を傾ける。深く、心の奥底をすくい上げるように。
その憎しみは、怒りは、どこに向けられたのか。何が根源にあるのか。お前も俺と同じように、不条理に押しつぶされんじゃないか。
死者を支配するのではなく、俺は対話することを選択した。
死者の声を、言葉の一つ一つを咀嚼し体内に取り込む。
よし、全身の感覚がしっかりとある、まだ攻撃は受けていない。手足に力を入れ、可動することを確認すると、俺はより意識を集中させる。
溶け込むように、同化するように、死者の意志が脳に流れ込む。
ハリル・グラッツ、26歳。モルジス王国軍所属で剣技の優れた戦士。国に妻と娘を残しながら、無謀な強襲作戦で命を落とす。燃えたぎる怒りと憎しみの矛先は国にある。
手に取るように彼の心の内を読み解くことができた。家族を置き去りにした無念、指示を出した無能さえいなければという嘆き。
ハリルに呼びかける。その怒りを、その憎しみを、俺の妹を救うため。家族を守るために解き放ってくれないかと。
鼓膜を貫くような咆哮が荒野に響いた。
恐らくは群れのボスからの、攻め時を見失った配下への攻撃命令。夕空に吸い込まれていく遠吠えに、地面を弾く足音が混ざる。
――勝負の時。
突き出した手を強く握り込み拳を作る。彼等を呼ぶ言葉は乱暴なものではいけない。
怒りを、憎しみを、苦しみを体現した俺達を繋ぐ言葉。
――共に。
「行こう」
地鳴りとともに大地が揺れる。
瞳に飛び込んできたのは、獲物を目前に戸惑う捕食者と、漆黒の鎧を身に着けた巨大なスケルトンだった。




