109話 ナターシャとレスティー
ナターシャはレスティーのことしか見ていない。
付き従うメイドたちだって、自身の妹のために奮闘するダレスだって、ナターシャに関わった者はみな同じように思っていることだろう。
実際にそうなのだから、指を差され罵られたってナターシャは否定しない。ナターシャにとって、レスティーは自分の全てなのだから。
眠ったままのレスティーを抱え、ナターシャは燃え盛る街を駆ける。動く屍となった騎士は、命令通り火の海を作り上げた。
浅くなった呼吸を整え、ナターシャは呼び出した馬車に乗り込む。
敵国の首都ストラムを脱出した馬車は、けたたましい音を立てながら真っすぐにモルジス王国を目指した。
大型動物や魔物の骨で形成されたナターシャの馬車は、どんな悪路だって乗り越えられる。
魔力で強化された馬車馬は易々と障害物を破壊し、甲殻類のように客車から伸びる足は、急斜面だろうが確実に地面を捉えた。
「うっ……」
「レスティー! 私がわかる?」
ナターシャは腕の中で苦しそうに息をするレスティーに必死で呼びかける。
「レスティー!」
骨がくっきりと浮き上がったレスティーの手を握りしめる。ボロボロの布切れだけをまとう彼女は、まるで子供のように軽かった。
ナターシャの熱が伝わったのか、レスティーの薄い瞼がゆっくりと持ち上がる。
「……ナターシャ……?」
「そうよ、私よ」
自分の名を呼んでくれた。この日をどれだけ待ち望んでいたことだろうか。ナターシャの瞳には、少し安心したように頬を緩めたレスティーだけが映っている。
「久しぶり、だね…… そろそろ来てくれるかなと思っていたんだよ」
「あなたはまたそんな……」
瞬きを繰り返すたび、押し出された大粒の雫がナターシャの頬を伝っていく。能天気ないつもの語り口に、ナターシャはレスティーが本当に帰ってきたことを実感した。
「もうどこにもいかないで。約束、してくれたでしょ」
「そうだったね」
レスティーはどこか寂しそうに窓から外を見つめる。ストラムから立ち昇る黒煙が、真っ青な空のキャンバスを乱雑に汚していた。
ナターシャに生きる希望をレスティーは与えてくれた。「決して一人にはしない」という彼女との約束が、ナターシャをここまで連れてきた。きっとレスティーも同じ気持ちなんだと思っていた――
「でもやらなければならないことができた」
「何を……?」
レスティーは再びナターシャを見る。視線が交わり、ナターシャは目を見張った。吸い込まれてしまいそうなほど深く暗い瞳の奥で、激しい怒りと憎悪が渦巻いている。
「復讐だよ。私を裏切ったモルジス王国にね」
「そう……」
気が付けば涙は止まっていた。決して枯れ果てたわけではなく、レスティーに気圧されたわけでもない。
こんなにも思いを寄せていたレスティーは、ナターシャのことをこれっぽっちも見てはいなかった。
その事実が、ナターシャの溢れ出した感情に蓋をした。
「わかったわ」
レスティーが何を言おうと、ナターシャは彼女のために尽くそうと考えていた。でもどこかで、自分のことを求めてくれていたらなんて願望があったのかもしれない。
「私もついていく」
ナターシャが静かに呟くと、レスティーは嬉しそうにほほ笑んだ。
ナターシャの腕の中には、確かに自身が望んだ全てが詰まっている。
だけど――
体温を感じ取れるほどに近くにいるレスティーが、未だ遠いところにいるように感じるのだ。
♢♢♢
数日後。
モルジス王国の荒野に突如として現れた骨の城の頂で、狂喜の笑い声が響いていた。
「ああ、なんと素晴らしい。これが私の在りし場所。売国奴となった王家の老害どもから、モルジスを取り戻す場所だ」
骨と骨をつなぎ合わせて作られた玉座の前で、ランドハイムが無邪気にはしゃいでいる。
「公爵様が取り乱しすぎじゃないかしら?」
ナターシャが嫌味ったらしく言うと、ランドハイムは振り向いて一つ咳払いをした。
「……これは失礼。あまりの完成度に我を忘れていました」
「あっそ。――国を裏切ったのは一体どっちの方かしらね」
吐き捨てると、ナターシャは骨の折り重なった床を鳴らして外に出る。同じ目線で泳ぐ雲を一瞥すると、城壁に上半身を預けて身を乗り出すレスティーの隣に立った。
「いやー絶景だね。作るの大変だったんじゃないかい?」
「まぁ、そこそこね。あの貴族の注文にはもううんざりだわ」
そっけない口調で返すと、レスティーは瘦せこけた頬を持ち上げ愉快そうに笑った。手入れできずに腰まで伸びた彼女の髪が、風を受け止めてバサッと広がる。
「まさかナターシャがランドハイムなんかと手を組んでいたとはね」
レスティーに煽るような視線を向けられ、たまらずナターシャは口ごもる。
これもレスティーのためだった。口が裂けても言うつもりはなかったが。
レスティーが聖王国アストロイアに囚われたその日から、彼女を奪い返すことはナターシャの悲願だった。そして、二人の幸せを誰にも邪魔されない聖域を作ることも。
ランドハイムが話を持ち掛けてきたのは、ナターシャにとっても幸運だった。
あの貴族は貴族で、数年前のモルジス王国と聖王国アストロイアとの戦争を、こちらの最高戦力であるレスティーを差し出して終わらせたことに不満を抱いていた。再び強いモルジス王国を作るというランドハイムの野望が、二人を結び付けたのだ。
「地下に作った城をそのままドーンは爽快だったよ」
握った拳を天高く突き出し、レスティーはカラカラと笑う。
ランドハイムの領地の地下に、ナターシャは死者を集めて城を築き上げた。領主が黙っていれば、国の権力者にバレるリスクは少なくなる。
だが、世間に気づかれるのは時間の問題だった。休みなく働ける死者がいなければ、この巨大な城が誰の目にもつかず完成することはなかっただろう。
この高さからだと、円形に縁どられた王都がよく見える。綺麗な弧になるよう削られた骨の装飾に手を置き、ナターシャは軽く息を吐いた。
『ナターシャ様』
柔らかな声色が頭の中でふわっと広がる。死者特有の声。この声はネルンのものだ。
振り向くと、六人のメイドが横一列に並んで跪き、ナターシャを見上げていた。
『メイド六名、命令に応じ参上しました。わたしたちはナターシャ様の手足です。これからも何なりとお申し付けください』
「ありがとう、私のかわいいメイドたち。よく来てくれたわ。でも今は――」
「じゃあ私からお願いしようかな」
レスティーはナターシャの前にさっと立つと、両手で自らの髪を抱き寄せる。
「髪を切ってほしいんだ。誰がいいかな……」
品定めするようにメイドたちを見やり、一巡したところでレスティーはパッと目を輝かせた。
「君がいいな」
「えっ……」
レスティーが目を付けたのは、この中で唯一の血の通った少女、リゼだった。
「切りながらでいいからさ、君のことを教えてくれるかい?」
タタっと列の端まで歩くと、レスティーは困惑するリゼの手を取り優しく微笑む。
「レスティー、あなたは休むのが先でしょ。強力なポーションを飲んだとはいえ、まだ半分も回復してないんじゃないの?」
「半分どころか二割ほどかな」
レスティーの指先が、そっとリゼの頬をなでる。リゼの目にはうるうると涙が溜まっている。
「でも、あいつらを消し去るには十分な魔力量だよ。それに、ランドハイムがくれたこれもある」
レスティーは瞳ほどの大きさの鉱石を取り出し、ナターシャに見せつけるようにかざした。肌を焼くような陽射しを受け、角ばった石は真っ赤に輝いている。ランドハイムが管理する炭鉱で稀にとれる鉱石、スピーグルだ。
指を折り、レスティーはスピーグルを握りしめる。すると手の薄い皮を貫くように赤の光が拡散した。石に魔力を込めたからだ。そのまま腕を振りかぶり、レスティーは王都に向かって投げつけた。
スピーグルは彼方の王都に届くわけもなく、小さな弧を描きながら城壁づたいに落ちていく。
下方からドーンという爆音が腹の底まで響いた。
骨の城が小刻みに揺れると、リゼは小さくなって悲鳴を上げる。空中で爆破したスピーグルが、城壁の一部を破壊したのだ。
「いやー、届くと思ったんだけどね」
「あなたって人は……」
ナターシャは自らの額に手を押し当てる。その隣を、レスティーはリゼの手を引いて逃げるように通りすぎていった。
「あっちにちょうどいい椅子があるからそこで切ってよ」
リゼとレスティー、城の中に入る二つの背中がナターシャから遠ざかっていく。
「待って、私が――」
喉を通ろうとした言葉をナターシャは無理やり飲み込んだ。二人を追うように伸ばした手は、意味もなく自身の前髪を払ってすとんと落ちる。
レスティーに手を引かれるリゼの姿に、ナターシャはかつての幼い自分を重ねていた。レスティーはもうナターシャを見ていないのに。そう言い聞かせたはずなのに。
それでも心が痛むのは、どうしてなのだろうか。




