103話 裏切り者
見つかった……! 見つかった……!
パン屋の女性が悲鳴を上げた直後、俺とサリーは逃げるように店を飛び出した。背後から、「誰か、ロイデール騎士団を呼んで!」という叫びが刃のように襲いかかってくる。
悪い予感は的中していた。村に入ってから感じていた視線は俺の勘違いなんかじゃない。
カウンターの張り紙は、俺が犯罪者であることの証明だった。
はぁはぁと浅い呼吸を繰り返しながら、俺は無我夢中で市場を走る。とにかく人のいないところへ隠れるんだ。
角を曲がったところで木箱に足を取られ、俺は赤い果実をぶちまけながら盛大に転倒した。「てめぇ! 何しやがる!」と店主が吠えるが、俺はすぐさま立ち上がって逃走を続ける。逃げ場なんてきっとないのに。
もつれてまた転びそうになる足は、細い路地の奥を目指す。執拗に後ろを確認するが、誰も追いかけてくることはない。
前方に頭だけ戻すと村を囲っている柵が目に入った。その向こうで、昨日散々歩いた森が見える。
とりあえずあそこしかない。俺は歯を食いしばってさらに速度を上げた。
陽の届かない路地を抜けると、ぱっと世界が広がる。容赦のない陽射しに目を細めながらも、俺は視界の端で小さく光る何かを捉えた。
カンッと鉄を弾く音が鼓膜を震わせる。
俺の視界の右半分は、わずかに跳躍したサリーの後ろ姿で遮られていた。
サリーが大剣を盾にしながら着地すると同時に、一本の矢がぽとりと地面に落ちる。
「完璧なタイミングだったんだがな」
右を向くと、弓を手にした男が気だるげに頭をかいている。この時俺は、サリーが矢を弾いて護ってくれたことにようやく気がついた。
「一体なんの真似だ―― ってあなたは……」
「ルナードさん! 奴はこっちに来ましたか?」
弓を持つ男の後ろから、槍を背負った男が駆け寄ってくる。俺を視界に捉えると、細い目をいっぱいに開いて固まった。
「見つけたぞ」
「ルナードさんに、トージまで……」
並んで武器を構えたのは、ルナール湖で死線を共にした冒険者たちだった。
一度は共に背中を預けて戦った仲間が、今は俺に冷徹な眼差しを向けている。
「見損なったぞダレス。お前が街を襲うなんてな」
トージは鋭利な槍の先端を俺に突きつける。
吐き出されたセリフは荒々しいが、どこか悲しみの混じった声色を含んでいた。
「違う! 俺は……!」
言いながら、俺は力なく目線を落とす。そうさ、何も違わない。
俺はナターシャと共にレスティーを奪い返した。その結果、首都ストラムは火の海になったのだ。自分だけは関係ないなんて都合が良すぎる。それに、たとえナターシャに脅迫されたなんて話しても、誰が信じてくれようか。
ピュンと風を切る音で、俺は反射的に視線を戻す。
サリーは再び大剣で、放たれた矢を払い落とした。
「敵を前に目を切るとは、俺も舐められたもんだな」
言いながらルナードは背中の矢筒に手を伸ばす。
「ダレス、お前は自分の置かれている状況を理解しているか?」
「指名手配、されているんですよね……?」
「ほう、知っていたか。だったら気兼ねなく殺せる。だが、人通りの多い市場を堂々と歩くのは感心しないな」
「さっき初めて手配書を見たところなんですよ……」
この村に入って感じていたのは、ルナードの視線だったようだ。
見え隠れする俺への優しさは、一時でも共に戦った者への情けだろうか。しかしルナードは、意を決したように再び矢を引き絞る。
「お前には懸賞金がかけられてる。なんと金貨三十枚もだ」
「戦う気なんて俺には……」
訴えかける声を、空気を切り裂く一本の矢がかき消していく。サリーは右手だけを動かし、まるで羽虫を落とすように矢を止めた。ルナードの攻撃に慣れてきたようで、サリーの動きには一切の無駄がない。
「俺だって殺しは好きじゃねぇさ。共に戦った冒険者ならなおさらな」
またしてもルナードは、右手を背中に伸ばし矢を取り出す。
「だけどお前らが教えてくれたんだろ。助けを必要としている人の願いを叶えるのが冒険者だって。だったら、賞金首を前にした俺のやるべきことは一つだけだ」
たくましい上腕でルナードは弓を引く。獲物を狙うような彼の瞳は、より鋭く細められていく。
「世界のために、お前を殺す!」
「っ……!」
力強く放たれた矢だが、威力はさっきとほとんど変わっていない。サリーが大剣で容易く弾くと、地面にぽとりと落ちていく。
ルナードの意図が見えない。言葉とは裏腹に、俺を倒そうとする意思を感じないのだ。
同じシルバーランクの冒険者とはいえ、俺よりもルナードの方が圧倒的に戦闘経験は多いだろう。そんなあいつが、自分の攻撃がほとんど無意味だということに気づいていないはずがない。
正面で槍を構えるトージはというと、こちらに接近する様子はなくずっとルナードを守るような体勢をとっている。
どうするべきか。流れるように次の矢を掴むルナードを見据え、俺は思考を続けた。
戦いたくはない。たとえ一時でも仲間だった二人を傷つけたくない。かといって、逃げながら迫りくる矢を防ぐのはサリーでも難しいだろう。
最低限の攻撃で二人を無力化して逃げる。これが、戦闘経験の浅い俺がたどり着いた答えだった。
次のルナードの攻撃を防いだタイミングで、一気に距離を詰めてしかける。指を広げ、俺はサリーに意識を集中させた。だがその瞬間、俺は散らばっているはずの矢がどこにもないことに気がついた。
「サリー!」
矢の落ちていた地面から無数の木の根が飛び出すと、うねりながらサリーの両足に絡みついていく。振りほどこうとサリーはもがいたが、判断は遅かった。ミシミシと音を立て、木の根がサリーを締め上げる。
「さすがにこれだけあれば止められるか」
ルナードは弓を引く手を緩め、安心したように軽く息を吐き出した。
「射った矢を木の根に変える俺のスキルだ。おっと、かなり魔力を込めたから、剣で斬ろうとしても無駄だぜ」
すでに振り下ろしていたサリーの剣は、木の根に斬り込みを入れることすらできなかった。俺が魔力不足でなければ……
片目をつむって後頭部をかきながら、ルナードが近づいてくる。隣で戸惑いながらも、トージはその後を追った。
「はなっからお前を殺す気なんてなかったんだよ」
「えっ……」
早められた俺の心臓の鼓動が、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。たまらず目を見開くと、ルナードはニヤリと口端を上げた。
「お前は悪い奴じゃないってのは知ってるからな。だろ? トージ」
振り向きながらルナードが言うと、トージはどこか恥ずかしそうに「そうですね……」と返した。
「じゃあ全部演技だったのか……」
「お前を捕まえるためのな」
ルナードは、サリーの剣が届かないぎりぎりの距離で立ち止まる。
「だが世界のためにお前を捕まえた。これは変わらねぇ。だから罪を償え」
「償う?」
「あぁそうさ。この国の法に従って裁きを受けろ」
胃の奥の方で、何かどろどろとしたものが渦巻いている。ルナードの眼差しは、太陽のように眩しすぎて直視できない。目を伏せた先には、端の欠けた石ころが落ちていた。
自分が裁かれるのは道理だと思う気持ちと、ナターシャからリゼを助けたいという気持ちが戦っている。
世界からすれば、指名手配された俺は他者に不条理を振りまく存在だ。俺がこの世で一番嫌いな奴だ。だが俺は、ナターシャに仕立て上げられて今ここにいる。
俺はなんなんだ。なにが正解なんだ。
「妹を助けたいだけなんだ……」
唇の隙間から言葉がすり抜ける。
ルナードの行動は正しい。でも俺は自分が間違っているとも思わない。
「お前の気持ちはわかった。だが、世界がお前をどう見るかなんだ。とりあえず武器を下ろせ」
眉尻を垂らし、ルナードは困ったように言う。だけどサリーは剣を握りしめたままだった。
「おうおう、やっと見つけたぜ」
逃げ込んできた路地の奥から豪快な笑い声が近づいてくる。その懐かしい声色の方へ、俺は勢いよく顔を向けた。
大きな盾を背負った男と、その後ろで隠れるように杖を握りしめる女の子。
「アシュード! メロ!」
ルナール湖で俺がパーティーを抜け出して以来か。かつての仲間との再会に、俺の胸は高鳴る。もしかしたら助けてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。
だがアシュードは、かつての信頼など微塵も感じさせないほどに、冷ややかな視線を俺に向けたまま言い放った。
「この裏切り者が」




