第1章 第9話 いよいよ南領へ出発ですわ!
屋敷が燃えていた。
窓から噴き出す炎が夜空を赤く染め、火の粉が庭へと降り注いでいる。
「まあ……ずいぶんと風通しのよい屋敷になってしまいましたわね」
「お母様! こんなときに何をおっしゃっているのですか!」
「あら、でも本当のことでしょう?」
「ぷっ、うふふ……お母様のおっしゃる通りですわ」
母は燃え盛る屋敷を見上げている。
そのとき、屋敷の一部が大きな音を立てて崩れ落ちた。
「お父様……」
「今は全員の無事が第一だ。屋敷のことは、あとで考えよう」
父はそう言って、わたしたちを振り返った。
◆◇◆
翌日、父は火災の調査結果を話してくれた。
「火元は一階の厨房付近だったそうだ」
「厨房ですか?」
「ああ。ちょうど、エレノアの部屋の真下にあたる」
「わたくしの部屋の……」
「まだ原因はわかっていない。火の不始末なのか、それとも別の理由があるのか、今の段階では何とも言えない」
「お父様。森でのことと、今回の火事は……」
「今は何も断定できない。憶測で動くわけにはいかないからな」
「……そうですわね」
わたしは膝の上で両手を握った。
「それより、これからのことを決めなければならない。屋敷を失った以上、領地の運営も今までどおりにはいかないだろう」
「領地は、どうなさるのですか?」
「バランタイン家に運営を託そうと思っている」
「レオハルト様のご実家に、ですか?」
「ああ。領地を手放すわけではない。領民の暮らしを守るためにも、今は力を借りるべきだと判断した」
父は母にも目を向けた。
「異論はあるか?」
「いいえ。あなたが決めたことですもの。わたくしは賛成ですわ」
「お父様、わたくしも賛成です。領民の皆様が安心して暮らせることが一番ですもの」
「ありがとう。では、先方と話を進めよう」
◆◇◆
その日のうちに、レオハルト様が訪ねてきた。
「アルデハイト領の件、お父上から伺いました。領地の運営は、私どもにお任せください」
「バランタイン卿、世話になる」
「領民の皆様の暮らしを守ることが最優先です。できる限りのことをいたします」
父が頭を下げると、レオハルト様も丁寧に応じた。
「私は先に南領へ向かい、皆様を迎える準備を整えます。住まいのことも手配しておきますので」
「何から何まで、すまない」
「お気になさらないでください」
レオハルト様がわたしに向き直った。
「エレノア様、南領でお待ちしております」
「はい、レオ様。わたくしたちも、準備が整い次第向かいますわ」
「道中の護衛も手配しておきます。こちらにも数名残しますので、何かあればすぐに知らせてください」
「そこまでしていただけるとは……」
「エレノア様のご家族ですから」
「レオ様……」
「それでは、私はこれで。皆様、どうかお元気で」
「レオ様も、お気をつけて」
レオ様は一礼し、馬車へと向かった。
「エレノア様」
呼び止められて顔を上げると、彼がこちらを振り返っていた。
「南領でお会いできるのを楽しみにしております」
「わたくしもですわ、レオ様」
馬車が走り出す。わたしは見えなくなるまで、その後ろ姿を見送った。
◆◇◆
わたしたちは、王都にある亡き叔父の屋敷へ移った。
長く使われていなかったため、掃除や修繕には手間がかかったが、三日もすると、どうにか暮らせるようになった。
そんなある日、わたしが荷物を整理していると、ハンナが包みを運んできた。
「ハンナ、足はもう痛みませんの?」
「はい、お嬢様。ずいぶんよくなりました」
「無理は禁物ですわ。重いものは持たないでちょうだい」
「ですが、ほかの皆さんもお忙しいですから」
「あなたまで怪我をしたら、誰がわたしのお世話をするのです?」
「ふふっ。では、ほどほどにいたします」
「最初からそうおっしゃってくださいな」
ハンナは包みを置き、そっと足をかばうように体重を移した。
「……まだ痛むのではありませんの?」
「少しだけです。でも、もう大丈夫ですよ」
「少しでも痛むなら、無理をしてはいけませんわ」
「はい、お嬢様」
ハンナはいつもの笑顔で頷いた。わたしは彼女の足元を見つめてから、そっと視線を戻した。
◆◇◆
王都での暮らしが始まってから、一か月が過ぎた。
レオハルト様からは、手紙や南領の特産品がたびたび届いた。干した果実に焼き菓子、色鮮やかな砂糖菓子。包みを開くたび、母は目を輝かせた。
「まあ! 今度は深紅のお菓子ですわ!」
「南領には、珍しいものがたくさんあるのですわね」
「早く行ってみたいですわ。エレノア、こちらを一ついただきましょう」
「ええ、お母様」
母とお茶を楽しんだあと、わたしは添えられた手紙を開いた。
南領での仕事の進み具合や街の様子、到着までに整える住まいのこと。そして最後には、いつもわたしたちを気遣う言葉が添えられていた。
――皆様の到着を、心よりお待ちしております。
手紙を折りたたみ、封筒に戻す。けれど、すぐにまた取り出して、最後の一文を読み返した。
◆◇◆
出発の日が近づいたころ、リナが母親と一緒に訪ねてきた。
「エレノアお姉様!」
「リナ、いらっしゃい。元気そうですわね」
「はい! お姉様が南領へ行ってしまう前に、会いたかったんです」
「まあ、わざわざ来てくれたの?」
「はい!」
リナは嬉しそうに頷いた。胸元には、いつも大切にしているペンダントが揺れている。
「そのペンダント、今日もつけているのね」
「はい。お母様からいただいた、大切なものなんです。わたし、南領に行ってもずっと大事にします!」
「ええ。大切になさいね」
帰り際、リナは門のところで何度も手を振った。わたしも手を振り返し、その姿を見送った。
◆◇◆
そして、南領へ出発する日がやってきた。
「荷物は全部積み終わったか?」
父が使用人に尋ねる。
「はい、旦那様。護衛の方々も準備が整っております」
「よし。それでは出発しよう」
母と一緒に馬車へ乗り込むと、窓の外に王都の街並みが広がった。
「いよいよですわね、エレノア」
「ええ、お母様」
「南領は暖かいのでしょう? どんなお菓子があるのか、今から楽しみですわ」
「お母様ったら、もうお菓子のことですの?」
「あら、大事なことですわよ」
母の言葉に笑いながら、わたしは窓の外へ目を向けた。
馬車は王都を離れ、南へと進む。
道中は一週間ほどかかる予定だった。わたしはレオハルト様から届いた手紙を取り出し、封を開いた。
「レオ様……」
窓の外では、乾いた大地がどこまでも続いていた。
やがて、その向こうに緑が見えてきた。建物が立ち並び、街の中央では噴水が陽光を受けてきらめいている。
「あれが、ブラックベリーですの?」
わたしが窓から身を乗り出すと、母も隣から覗き込んだ。
「まあ、砂漠の中に、あんなに緑が……!」
「素敵な街ですわね。早く降りて歩いてみたいですわ」
「ええ、お母様!」
馬車はゆっくりと街の門へ近づいていく。
わたしは手紙を胸元にしまい、門の向こうを見つめた。
「レオ様、もうすぐお会いできますわ!」
「あらあら、まあまあ」
「あっ、わたくしったら……」
「いいのよ。女の子はそのくらいでありませんとね」
母はそう言って、にっこりウインクしてくれたのだった。




