第2章 第1話 南領って、夢のような場所ですわ!
馬車の窓から見える景色が、少しずつ賑やかになっていった。
道の両側には色とりどりの露店が並び、籠いっぱいの果物や、見たこともない形のお菓子が店先を飾っている。長い耳を持つエルフが商人と談笑し、獣人らしき人々が珍しい織物を広げていた。
その間を、地元の人々や旅人が行き交っている。
「まあ、お母様! あちらをご覧になって。果物を使ったお菓子が、あんなにたくさん!」
「本当ね。ブラックベリーは果物が名産なのねえ」
「ええ! あっ、あちらには見たことのないお菓子までありますわ。いったい、どんなお味がするのでしょう?」
「ふふっ。明日、レオンハルト様に案内していただいたら?」
「そうですわね! でも、あのお店も気になりますし、あちらの果物も……。まあ、エルフや獣人の方々までいらっしゃいますわ! なんて素敵な街なのでしょう!」
窓の外へ身を乗り出しそうになり、わたしは慌てて座り直した。
玉の輿に乗る日が、ますます楽しみ!
「エレノア、あまり身を乗り出すと危ないわよ」
「わかっていますわ、お母様!」
返事をしながらも、わたしの目は窓の外に釘付けだった。
馬車が進むにつれ、街の中心に近づいているのがわかる。建物の間を流れる水路には陽光がきらめき、石橋の上では荷車が行き交っていた。水路沿いの店からは甘い香りが漂い、通りの向こうからは威勢のよい呼び声が聞こえてくる。
そのとき、馬車の速度が落ちた。
「検問かしら?」
窓の外を見ると、街の入口に立つ門番たちが、通行する馬車を一台ずつ確認していた。わたしたちの馬車にも門番が近づき、御者と短く言葉を交わす。
別の門番は、通りを見渡していた。視線が屋根の上に向けられたのが、少し気になった。
「この街は、ずいぶん警備がしっかりしているのね」
母が感心したように言った。
「それだけ人の出入りが多いのでしょうね。商人の方々も、あんなに大勢いらっしゃいますもの」
わたしが答えると、母は窓の外を眺めながら頷いた。
やがて確認が終わり、馬車は再び走り出した。
街の賑わいを抜けると、道幅が広くなり、整えられた街路樹の向こうに立派な屋敷が見えてきた。
馬車が玄関前に止まると、使用人たちが出迎えに並んでいた。
御者が扉を開ける。先に降りた母に続こうとしたところで、屋敷の玄関から一人の男性が歩み出てきた。
「エレノア様」
その声を聞いただけで、胸が高鳴った。
「レオンハルト様!」
こちらへ向かってくる姿を見つめる。
最後にお会いしたのは、彼が南領へ先行して出発した一か月前。それからは手紙のやり取りを続けていた。南領の様子を知らせる便りには、こちらを気遣う言葉と一緒に、珍しいお菓子や果物が届くこともあった。
手紙を読むたびに、会える日が待ち遠しくなった。
そして、今。
「お手をどうぞ」
「ありがとうございます、レオンハルト様」
レオンハルト様が差し出した手に、わたしはそっと指を重ねた。
彼の手に支えられ、馬車から降りる。すぐ近くにある顔を見上げると、目が合った。
「長旅でお疲れではありませんか?」
「いいえ。窓から見える街があまりにも素敵で、退屈する暇もありませんでしたわ」
「それはよかった。ブラックベリーを気に入っていただけたのなら、私も嬉しいです」
「はい。まだ少ししか見ていませんのに、楽しみで仕方ありませんわ」
言いながら、わたしは彼の手を握ったままだったことに気づいた。
慌てて離そうとしたけれど、その前にレオンハルト様がわずかに指を動かした。握り返されたように感じて、顔が熱くなる。
「……お会いできて、嬉しいです」
「わたくしも……お会いしたかったですわ」
言ってしまってから、ますます頬が熱くなった。
手紙では何度も伝えたかった言葉なのに、いざ目の前に本人がいると、どうしてこんなにも恥ずかしいのだろう。
「エレノアからのお手紙を、いつも楽しみにしていました」
「本当ですか?」
「ええ。返事を書きながら、次のお手紙が届くのを待っていたほどです」
「まあ……!」
そんなふうに言っていただけるなんて、思ってもみなかった。
「わたくしも、お返事をいただくたびに嬉しくて、何度も読み返していましたわ」
「それなら、これからは手紙だけでなく、直接お話しできますね」
「はい!」
思わず声が弾んだ。
これからは同じ街に暮らすのだ。会いたいときに会える。話したいことがあれば、手紙に書ききれなくても、直接伝えられる。
そう考えただけで、胸の奥がふわりと温かくなった。
「そういえば、エレノア様のお好きなお菓子も、いくつか用意してありますよ」
「まあ! 覚えていてくださったのですか?」
「忘れるはずがありません」
レオンハルト様は穏やかに微笑んだ。
その一言だけで、旅の疲れなどどこかへ消えてしまった。
「レオ様、明日が楽しみですわ」
「私もです」
彼はようやくわたしの手を離した。
指先に残る温もりを意識しながら、わたしは屋敷の玄関へと向かった。
◆◇◆
屋敷の一室に案内されると、テーブルには南領の果物や焼き菓子が並べられていた。
「まあ、こちらも南領のお菓子なのですか?」
「はい。気に入っていただければよいのですが」
「もちろんですわ!」
さっそく一つ手に取る。薄く焼かれた生地の中には甘酸っぱい果実が包まれていた。口に運ぶと、さくりとした食感のあとに果汁の風味が広がる。
「おいしい……!」
「それはよかった」
向かいに座るレオンハルト様が、嬉しそうに目を細めた。
「ブラックベリーは、もともと大きな泉を中心に発展した街なのです。水路が街のあちこちに伸びていて、果物の栽培にも利用されています」
「だから、あんなにたくさんの果物が並んでいたのですね」
「ええ。水を求めて人が集まり、交易が盛んになり、今の街になりました。南領の品だけでなく、遠方から運ばれてくる品物も多いのですよ」
「エルフや獣人の方々も、交易にいらしているのですか?」
「そうです。彼らが持ち込む品には、こちらでは手に入らないものもあります」
「明日は、ぜひゆっくり見て回りたいですわ!」
「もちろんです。ただ、明日は少し用事が入ってしまいまして……」
「まあ……」
思わず肩を落としかけた。
「申し訳ありません。できるだけ早く片づけますので、少しだけお待ちいただけますか?」
「それなら、ハンナと街を見て回ってもよろしいですか?」
「ええ。護衛もつけます。どうか、お二人だけで遠くへ行かないようにしてください」
「わかりましたわ」
少し残念ではあったけれど、仕方がない。レオンハルト様にもお仕事があるのだ。
それに、ハンナと二人で街を歩くのも楽しそうだった。
「それでは、明日はお土産をたくさん買ってまいりますわね」
「楽しみにしています」
レオンハルト様の笑顔に、わたしも笑顔を返した。
◆◇◆
夕食を終え、部屋へ向かう途中、わたしは廊下の壁に並ぶ肖像画に目を留めた。
立派な額縁に収められた男性たちが、こちらを見下ろしている。どの人物も正装に身を包み、威厳のある表情を浮かべていた。
「こちらは、歴代の南領伯様方です」
案内していた使用人が教えてくれた。
「皆様、立派な方々だったのですね」
「はい。南領を治めてこられた方々ですから」
肖像画を一枚ずつ眺めていく。年齢も顔立ちもさまざまだったが、どの人物もよく似た装飾の衣服を身につけていた。
その中に、一人だけ目を引く男性がいた。
若い。ほかの肖像画の人物に比べても、ずいぶんと若く見える。
「こちらの方も、南領伯様だったのですか?」
わたしが尋ねると、使用人の足がほんのわずかに止まった。
「……はい」
「お若く見えますわね」
「そうですね……」
使用人は肖像画から目をそらし、わたしに向き直った。
「お部屋へご案内いたします」
そのとき、廊下の向こうから別の使用人が歩いてきた。
二人は短く言葉を交わし、こちらへ頭を下げた。それから先ほどの使用人は、何事もなかったかのように歩き出した。
わたしはもう一度、若い男性の肖像画を振り返った。
聞いてはいけないことだったのだろうか。
けれど、ただ歴代の南領伯について尋ねただけだ。答えにくい事情があるのかもしれない。
◆◇◆
部屋に戻ったわたしは、明日着るドレスを選んでいた。
窓の外からは水の流れる音が聞こえる。遠くの通りでは、まだ人々の笑い声がしていた。
明日は、ハンナと街を歩く。
あの店のお菓子も、こちらの果物も気になる。けれど、まずは今日、馬車の窓から見えた果物のタルトを食べてみたい。
どんな味がするのかしら。
考えるだけで、頬が緩んだ。
明日は絶対、あのお店に行くのですわ!




