第1章 第5話 帰り道には、用心が必要ですわ!
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
寝台の上でシーツを握りしめてブツブツつぶやく私を心配したのか、ハンナはわたしの顔を覗き込んだ。
「……少し、怖い夢を見ただけですわ」
「まあ。お疲れが残っているのでしょうか。お水をお持ちしましょうか?」
「い、いいえ。結構ですわ」
返事が、思った以上に早く口から飛び出した。
ハンナが不思議そうに瞬きをする。
「お嬢様?」
「喉は渇いていませんの。それより、朝食をいただきに食堂へ参りましょう」
「かしこまりました。お着替えをお手伝いいたします」
◆◇◆
食堂に入ると、白パンにオムレツ、サラダにスープが並んでいた。
レオンハルト様はすでに席についており、わたしを見ると穏やかに微笑んでくれた。
「エレノア、体調はどうですか?」
「ご心配をおかけしました。もう大丈夫ですわ」
わたしは席に着き、目の前の料理を見つめた。
前回、食べて大丈夫だったものばかりだ。
そして、お腹は、今にも悲鳴をあげそうなくらい減っている。
「いただきます」
あまりがっつきすぎると、すっかり元気になったと思われるかもしれない。
わたしは、おそるおそる朝食のお皿に手を伸ばした。
「……レオ様と、しばらくお会いできなくなるのは寂しいですわね」
思わず本音がこぼれた。
レオ様は一瞬目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。
「いつでも遊びに来て欲しい。君が来てくれるなら、私は嬉しいよ」
そんなことを言われたら、また会いたくなってしまうではないか。
わたしは熱くなった頬を隠すように、そっと視線を落とした。
「それでしたら……ご実家まで、ご一緒していただけませんか?」
「もちろんだ。ご両親にも、きちんと挨拶をしておきたいからな」
快く引き受けてもらえて、胸の奥が温かくなる。
そして、胸がチクっと痛んだ。
◆◇◆
「てっきり、馬車でご一緒出来ると思ってましたのに」
「お嬢様。たとえ婚約者同士でも、結婚するまでは、節度を持ったお付き合いをするのが淑女のたしなみですわ」
この澄ましたハンナのスカートの中に、山刀が隠されているなんて、誰が想像できるだろうか。
わたしは窓の外へ目を向けた。
馬車の少し先を、白馬に乗ったレオンハルト様が進んでいる。
こちらに気づいた彼が、穏やかな笑みを向けてくれた。
その瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。
素敵な方だと思う。
このまま何事もなく彼と結婚して、幸せになりたい。
わたしは微笑み返しながらも、窓の外に広がる森から目を離さなかった。
◆◇◆
「前方で盗賊を発見しました!」
先行していた騎士が、馬を走らせて報告に来た。
「すでに制圧し、全員を捕縛しております。こちらの騎士にも軽傷者が数名おりますが、大きな被害はありません」
「そうか。ご苦労だった。私も確認に向かおう」
レオ様はそう告げると、わたしの乗る馬車へ馬を寄せた。
「少し状況を確認してきます。すぐに戻りますので、ここでお待ちください」
「……わかりましたわ」
盗賊は捕まった。
そう聞いても、わたしの胸は晴れなかった。
前の人生でも、盗賊が制圧されたと聞いて安心した。その直後、わたしは矢に射抜かれて命を落としたのだ。
わたしは馬車から降りず、周囲を見渡した。
森の木々が風に揺れている。
その瞬間、ぱきり、と小枝の折れる音がした。
「……レオ様!」
わたしが声を上げるのと、彼が振り返るのはほとんど同時だった。
レオ様は迷うことなく馬車と森の間に立ち、剣の柄に手をかけた。
「森を調べろ! まだ誰か潜んでいるかもしれん!」
騎士たちが一斉に動き出す。
その直後、風を切る音が響いた。
矢だ。
森の奥から放たれた矢が、馬車へ向かって飛んでくる。
わたしは息を呑んだ。
もし、彼が間に合わなかったら。
考えただけで、全身から血の気が引いていく。
「危ない!」
レオ様が剣を抜いた。
鋭い金属音が響き、矢が弾き飛ばされる。
「エレノア、怪我はないか!」
「はい。レオ様」
「狙撃犯を発見! 確保しました!」
男は生きたまま捕らえられ、両腕を押さえられて引き立てられてきた。
「誰の命令で襲った。目的は何だ」
レオ様の問いに、男は答えなかった。
ただ、口元を歪めて笑った。
次の瞬間、男の顔が苦痛に歪んだ。
「ぐっ……!」
男は喉を押さえ、膝から崩れ落ちた。
口元から、鮮血があふれる。
その姿を見た瞬間、わたしの呼吸が止まった。
知っている。
わたしは、この光景を知っている。
喉を押さえ、血を吐き、息を吸うことさえできずに苦しむ姿。
あのときの自分と、同じだった。
「……嫌っ!」
男の体が大きく痙攣し、やがて動かなくなった。
わたしは馬車の扉に手をついた。
喉を焼くような痛み。うまく吸えない息。口の中に広がる血の味。
あのときの苦しみが、体の奥によみがえる。
もう二度と味わいたくない。
そう思っていたのに。
その直後、別の騎士が血相を変えて駆け寄ってきた。
「レオハルト様、ご報告があります!」
「何だ?」
「捕縛した盗賊たちが、全員死亡しました!」
「何だと?」
「全員が毒を飲んだようです。すでに手遅れで……」
捕らえられた盗賊たちも、狙撃犯も、口を封じられたということなのだろうか。
それとも、彼ら自身が死を覚悟していたのか。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
わたしが死んだときと、目の前で男が死んだとき。
その光景は、あまりにもよく似ていた。
「エレノア、大丈夫ですか?」
「……はい。少し、驚いただけですわ」
わたしは震える体を抑え、どうにか微笑んだのだった。




