第1章 第4話 スカートの中は秘密がいっぱいですわ!
「エレノア様、お目覚めですか?」
扉の向こうから、聞き慣れた声がした。
「ええ。どうぞ」
入ってきたのは、侍女のハンナだった。
艶やかな髪はきちんとまとめられ、メイド服にも乱れひとつない。こんな侍女がそばにいてくれるのは、主人として誇らしい。以前なら、素直にそう思えたのだけれど、今は正直微妙だ。
「お着替えをお手伝いいたします」
「ありがとう」
ハンナはいつもどおり、丁寧にわたしの身支度を整えてくれた。
表情にも、仕草にも、怪しいところはない。
ただ、ハンナが自ら持ってきた水を飲まなかったら死ななかったことは事実。
彼女が私を殺そうとしたなんて考えられない。ただ、用心だけはしておかなくては。
◇◆◇
(ああっ!)
食堂に案内され、スープを一口、飲んでから気が付いた。
もっと考えて行動すべきだった‼
すでに白パンとオムレツ、それにサラダまで口を付けてしまっている。
全く何てことだ。
無事に朝を迎えることができた解放感と空腹で、気付けば本能のまま口を動かしていた。
体の具合は……。
何ともない?!
(今さら遠慮したって、結果は同じね!)
私は開き直って、朝食のお皿を綺麗に平らげたのだった。
◇◆◇
レオ様との別れを済ませ、私たちを乗せた馬車は、森へと続く道を進んでいた。
向かい側にはハンナが座っている。
窓から差し込む木漏れ日が、彼女の横顔を照らしていた。
すっと通った鼻筋。長いまつげ。整った輪郭。やはり、ハンナは美人だ。
こんな状況でなければ、見惚れてしまうくらいには。
そのとき、馬車が大きく揺れた。
「きゃっ!」
体が前につんのめる。
続いて、馬車が急停止した。
窓の外から、荒々しい怒鳴り声が聞こえた。
馬のいななき。
怒号。
そして、金属が激しくぶつかり合う音。
わたしの背筋に、冷たいものが走った。
「まさか……賊ですの?」
「エレノア様、こちらへ!」
ハンナはすぐさま立ち上がり、わたしをかばうように前へ出た。
その直後。
ハンナがお仕着せメイド服のスカートの裾をたくし上げた。
「えっ?」
白磁のような太腿にリボンのついた白いレースのショーツ。
ところが、可愛らしいガーターの留め具の近くから彼女が引き抜いたのは、武骨な山刀だった。
鈍い銀色の刃。使い込まれた柄。華やかさとは無縁の、見るからに無骨な武器。
可憐な下着のそばにこんな物騒なものを忍ばせていたなんて。
ハンナは山刀を握り、馬車の扉へと鋭い視線を向けた。
「エレノア様。お下がりください」
ハンナは窓の格子を閉め、わたしを振り返った。
「何があっても、わたしがお守りいたします」
その言葉には、迷いがなかった。
わたしは、ただ頷くことしかできなかった。
わたしの知らないハンナが、目の前にいた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
外から聞こえていた怒号も、剣戟の音も、いつの間にか消えていた。
馬車の中には、わたしたちの息遣いだけが残っている。
ハンナは山刀を手にしたまま、扉から目を離さなかった。
やがて、馬車の扉を外から叩く音がした。
「バランタイン家の者です! エレノア様、ご無事でしょうか!」
ハンナはすぐには返事をしなかった。
「お名前を。周囲の安全は確認できたのですか?」
「騎士団長のハリスです。賊は無事制圧しました。こちらはひとまず安全です」
しばらく沈黙があった。
ハンナは扉の隙間から外を確認し、ようやく山刀を下げた。
「エレノア様、降りられますか?」
「ええ……」
わたしは強張った足を動かし、馬車の扉へ向かった。
外にはバランタイン家の騎士たちがいる。
もう大丈夫。
そう思って、一歩を踏み出した。
その瞬間。
ひゅっ、と風を切る音がした。
「――え?」
胸に、強い衝撃が走った。
何が起きたのか、理解できなかった。
視線を落とす。
わたしの胸から、矢が生えていた。
「エレノア様! しっかりなさってください!」
美しい顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
その瞳には、隠しようのない恐怖が浮かんでいる。
わたしを本当に心配しているように見えた。
胸が熱い。
息ができない。
ああ。
せっかく生き延びたのに。
せっかく、レオハルト様との玉の輿が見えてきたのに。
わたしは、まだ結婚すらしていないのに。
最後に見えたのは、わたしを抱きしめて叫ぶハンナの顔だった。
そして、わたしの意識は闇に沈んだ。
◆◇◆
目を開けると、美しい天蓋があった。
わたしは震える手で、自分の胸を確かめた。
そして、胸に手を当てても、そこには傷ひとつない。
「……また、ですの?」
矢はない。
血もない。
痛みも残っていない。
けれど、胸に刺さった矢の感覚は、はっきりと覚えていた。
間違いなく、わたしは死んだ。
なのに、今は生きている。
わたしはベッドの上で、ゆっくりと息を吸った。
最初に死んだとき、自分の寝室の朝に戻った。
二度目に死んだときもそうだった。
そして今度は、バランタイン家の別邸で迎えた朝に戻っている。
わたしは、死ぬたびに、その日の朝へ戻っているのではないだろうか。
もしこの考えが正しいのなら、わたしはたとえ死んでもやり直せる。
何度でも、生き残る方法を探せる。
「……上等ですわ」
この程度で結婚を諦めるなんて、冗談ではない。
わたしは、ぎゅっとシーツを掴んで顔をあげた。
「玉の輿に乗るためでしたら、何度だって死に戻ってみせますわ!」




