第1章 第3話 三度目こそ、生き延びてみせますわ!
二度も死んだ。
一度目は、婚約披露の祝宴で乾杯の杯を口にした直後。二度目は、祝宴の食事にも乾杯の酒にも手をつけなかったのに、夜、ハンナが持ってきた水を飲んだあと。
どちらも、胸を焼かれるような痛みに襲われ、血を吐いて死んだ。
そして、わたしは祝宴の日の朝に戻った。
偶然なのか、それとも本当に死ぬたびに時間が巻き戻るのか。まだ確信はない。でも、二度目の死の直前に口にしたものは、ハンナが持ってきた水だけだった。
ならば、三度目は水にも気をつける。
そう決意したわたしは、いつもより早く食堂へ向かった。
「おはようございます、お父様、お母様」
「あら、エレノア。今日はずいぶん早いのね」
母のアマリーが、優雅に微笑んだ。
「ええ。今日は大切な祝宴ですもの。しっかり食べておこうと思いまして」
そう言って席につくと、わたしは運ばれてきた朝食を勢いよく食べ始めた。
焼きたてのパンに、卵料理、温かなスープ。普段なら一皿で十分なのに、今日は違う。
「おかわりをお願いしますわ!」
給仕が驚きながら皿を下げ、二皿目を運んでくる。
それも、あっという間に平らげた。
「……エレノア、ずいぶん食欲があるな」
お父様のヴィルヘルムが、少し呆れたように言った。
「だって、祝宴の最中にお腹が鳴ったら恥ずかしいでしょう?」
「それは、まあ……そうだが」
「もう一皿、いただけますかしら?」
「ごほっ! さ、三皿目か?」
お父様が飲んでいたお茶でむせた。
「はい。いけませんか?」
「いや、いけないわけではないが……」
お母様は口元に手を添えて笑っている。
こんなふうに、家族と朝食を囲めることが、今は不思議なくらいありがたかった。
昨日までのわたしは、死ぬなんて思いもしなかった。明日も、その先も、当たり前のように続くものだと思っていたのだ。
けれど、死んでみて初めてわかった。
温かな食事も、家族の声も、生きているからこそ味わえる。
……だからといって、玉の輿を諦めるつもりはありませんけれど!
朝食を終えたわたしは、用意しておいた小さな水筒を手に取った。
中に入れるのは、今朝こっそり家の井戸からくんできた水だ。
◆◇◆
バランタイン家の別邸に着くと、また婚約披露の祝宴が始まった。
華やかな衣装に身を包んだ貴族たちが集まり、会場には楽しげな話し声が響いている。
その中心に、レオ様がいた。
背が高く、端正な顔立ち。落ち着いた立ち姿には気品があり、周囲の人々が自然と彼に注目している。
ああ……やっぱり、素敵な方ですわ。
この方と結婚できたら、どんなに幸せだろう。
けれど、わたしはもう知っている。
この祝宴のあと、わたしは死ぬかもしれない。
乾杯の杯が配られたとき、わたしはそっと手を引いた。
「エレノア嬢?」
隣に立つレオ様が、不思議そうにわたしを見る。
「どうかなさいましたか?」
「申し訳ありません。少し喉の調子が悪くて……」
「それはいけませんね。無理をなさらないでください」
彼はわたしの杯を無理に勧めることもなく、気遣うように声を落とした。
「体調が優れないのでしたら、休んでください。祝宴よりも、あなたの身体のほうが大切です」
優しい。
胸が、きゅっと締めつけられた。
こんな方の婚約者になれるなんて、わたしは本当に幸運なのかもしれない。
だからこそ、知りたかった。
最初に死んだとき、レオハルト様はわたしの手を握り、「……ごめん」と言った。
あの言葉は、何に対する謝罪だったのだろう。
わたしは、今回も祝宴の食事にも手をつけず、早めに部屋へ下がることにした。
夜が更け、屋敷が静まり返ったころ。扉をノックする音がした。
「お嬢様、お水をお持ちしました」
ハンナの声だった。
「どうぞ」
扉が開き、ハンナが水差しとグラスを載せた盆を運んできた。
その水差しを見た瞬間、わたしの身体がこわばった。
見覚えがある。
昨夜、わたしが死ぬ前にハンナが持ってきたものだ。
もちろん、同じ形の水差しなど、屋敷にいくつもあるだろう。これだけでハンナを疑うわけにはいかない。
ただ、今回は、ハンナに水を持ってくるよう頼んでいない。のどの渇きを口にしたこともない。
「ありがとうハンナ。そこに置いておいてちょうだい」
「かしこまりました。お休みなさいませ、お嬢様」
ハンナが部屋を出ていく。
扉が閉まるのを確認してから、わたしは水差しを見つめた。
決めつけることもできないけれど、今夜は確かめるための一歩を踏み出す。
わたしは水差しに手をつけず、自分の水筒から水を飲んだ。
そして、祈るような気持ちでベッドに入った。
どうか、明日の朝も目を覚ませますように。
どうか、レオハルト様との未来を諦めずに済みますように。
そう願いながら、わたしは目を閉じた。
◆◇◆
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
……朝?
わたしは、ゆっくりと目を開けた。
胸に痛みはない。
焼けるような苦しさも、喉に込み上げる血の味もない。
胸元に手を当てると心臓が動いていた。
息を吸う。
吐く。
もう一度、吸う。
生きている。
わたしは、死ななかった。
「……よかった」
声が震えた。
張り詰めていたものが一気にほどけ、目の奥が熱くなる。
たった一晩。それだけのことなのに、こんなにも朝が愛おしいなんて思わなかった。
わたしは生きている。
今度こそ、死を回避できたのだ。
けれど、喜びに浸ってばかりもいられない。
乾杯の杯を避け、祝宴の食事を口にせず、夜はハンナが持ってきた水差しの水を飲まなかった。
そして、わたしは生き延びた。
ならば、あの水差しの水が関係しているのだろうか。
それとも、ほかにも理由があるのだろうか。
まだ、何ひとつ確かなことはわからない。
そもそも、誰がわたしを殺そうとしているの?
あの水に毒が入っていたのなら、いったい誰が、何のために?
ハンナなのか。それとも、別の誰かなのか。
レオハルト様の「……ごめん」という言葉も、まだ謎のままだ。
わたしは胸元を押さえ、深く息を吐いた。
怖い。
正直に言えば、また死ぬかもしれないと思うと、今だって怖くてたまらない。
それでもわたしは、ベッドから起き上がった。
生き延びる方法は、きっとある。
そして、レオハルト様との結婚を諦めるつもりもない。
「絶対に生きて、レオ様と結婚してみせますわ!」
そう宣言したわたしは、窓の外に広がる朝の景色を見つめた。
三度目の朝。
わたしの人生は、ようやく昨日の先へ進み始めたのだった。




