第1章 第2話 命あっての玉の輿ですわ!
今度こそ、死ぬわけにはいかない。
せっかくつかんだ玉の輿なのだ。毒殺なんて物騒な理由で手放すつもりはない。
それに、どうしても気になることがあった。
死ぬ直前、レオハルト様は、わたしに向かって「……ごめん」と言った。
あれは、いったいどういう意味だったのだろう。
もしかしたら、わたしが死ぬことについて、何か事情を知っていたのかもしれない。けれど、今のわたしには何もわからない。
まずは生き残ること。それから、少しずつ手掛かりを探せばいい。
わたしは鏡の前で、ぎゅっと拳を握った。
命あっての玉の輿ですわ!
◆◇◆
やがて、婚約披露の祝宴が始まった。
会場には華やかな衣装をまとった貴族たちが集まり、あちこちで祝福の言葉が交わされていた。
わたしの目の前には、色とりどりの料理が並んでいる。焼きたての肉料理に、香ばしいソースのかかった魚料理。果物を飾った美しい菓子まであった。
どれもおいしそうだ。おいしそうなのだけれど……。
わたしは、そっと隣に座るレオハルト様を見上げた。
背が高く、整った顔立ち。落ち着いた物腰も素敵で、隣にいるだけで胸が弾む。
こんな方と結婚できるなんて、夢のよう。
前の人生では、祝宴で乾杯した直後に胸が焼けるように痛み、命を落とした。
ならば、今回は飲まなければいい。
わたしは杯を持ち上げ、唇をつけるふりだけをした。
周囲の招待客たちが杯を掲げ、わたしたちの婚約を祝福する。
わたしも笑顔で応じながら、杯を静かに置いた。
胸は痛まない。息苦しさもない。
よかった。ひとまず、最初の危機は乗り切ったようだ。
けれど、安心するのはまだ早い。
わたしは料理にも手をつけず、周囲の様子をうかがった。
もし、毒が入っていたら?
そう考えると、どうしても手が伸びなかった。
朝からほとんど何も食べていない。お腹は空いている。それでも、命には代えられない。
きゅるるる……。
にぎやかな会場に、妙な音が響いた。
……え?
きゅるるる……。
また鳴った。
ま、まさか、わたしのお腹ですの!?
幸い、周囲の喧騒でわたしのお腹の音はかき消されている。
……と思う。だったらいいな。
わたしは慌てて前かがみになり、両手でお腹をぎゅっと押さえた。これ以上、音が漏れないように必死に力を込める。
お願いだから、もう鳴らないで!
けれど、焦れば焦るほど、額に脂汗がにじんできた。
「エレノア?」
隣にいたレオハルト様が、心配そうにわたしをのぞき込んだ。
「ずいぶん苦しそうですが、お腹が痛むのですか?」
「い、いえっ! 何でもありませんわ!」
わたしは慌てて顔を上げた。
その瞬間、レオハルト様と目が合った。
「顔も赤い。気分が悪いのではありませんか?」
「ち、違いますわ!」
恥ずかしさで、ますます顔が熱くなる。
けれど、レオハルト様には、わたしが体調不良を隠しているように見えたらしい。彼の表情から心配の色が消えない。
「無理をなさらないでください。客室で休まれたほうがよろしいでしょう」
「ですが、せっかくの祝宴ですのに……」
「あなたの体調のほうが大切です」
その言葉に、胸がきゅんとした。
なんてお優しい方なのだろう。
……でも、違うんですの、レオ様!
わたしは病気でも、気分が悪いわけでもありません。
ただ、お腹が空いているだけなのですわ!
けれど、そんな恥ずかしい事情を打ち明けられるはずもない。
「……では、お言葉に甘えて、少し休ませていただきますわ」
わたしはうつむき、真っ赤になった顔を隠した。
こうしてわたしは、レオハルト様の気遣いを受けながら、ハンナに付き添われて祝宴の会場を後にした。
◆◇◆
客室に戻ると、わたしはようやく大きな息を吐いた。
危なかった。
あんなに大勢の人がいる場所で、お腹の音を聞かれるなんて。しかも、レオハルト様にまで心配をかけてしまった。
思い出すだけで、顔が熱くなる。
けれど、恥ずかしがっている場合ではない。
わたしは窓辺に立ち、外の景色を眺めた。
祝宴の会場からは、まだ楽しげな話し声が聞こえてくる。
あの場所で、わたしは死んだ。
乾杯の杯に口をつけた直後、胸に激痛が走った。息ができなくなり、最後には血まで吐いた。
あれが毒によるものだったとしたら、誰が、何のために?
考えてみても、答えは出ない。
ただ、レオハルト様は、わたしが死ぬ直前に謝った。
今は、誰かを疑うよりも、生き延びる方法を探すべきだろう。
わたしはベッドに腰を下ろした。
空腹はつらいけれど、食べて命を落とすよりはましだ。
そう自分に言い聞かせながら、横になった。
◆◇◆
夜もすっかり更けた頃、わたしはベッドで目を見開いていた。
祝宴で何も食べなかったせいか、お腹は相変わらず空いている。それでも、眠ってしまえば空腹も忘れられるだろう。
そう思って目を閉じたのだけれど、今度は喉の渇きが気になり始めた。
「ハンナ、お水を持ってきてくださる?」
「かしこまりました、お嬢様」
ほどなくして、ハンナが水差しとグラスを持ってきた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう」
わたしはグラスを受け取り、水を注いだ。
冷たい水が喉を潤していく。
ようやく落ち着いたわたしは、グラスを置き、ハンナにおやすみを告げた。
ハンナはいつもと変わらない笑顔で部屋を出ていった。
その姿を見送り、わたしは再びベッドに潜り込んだ。
明日からは、もっと慎重に行動しよう。
誰が敵なのかも、何が原因で死ぬのかもわからない。ならば、一つずつ試していくしかない。
そんなことを考えているうちに、わたしは眠りに落ちた。
◆◇◆
――まただ。
胸の奥が、焼けるように痛んだ。
「うっ……あ、ああっ!」
息ができない。
胸を押さえて身体を丸める。喉の奥から、何かがこみ上げてきた。
口元を押さえた手が、ぬるりと濡れる。
血だった。
どうして?
乾杯の杯には口をつけなかった。料理にも手をつけていない。
それなのに、また同じ痛みが襲ってきた。
身体から力が抜けていく。視界が暗くなり、呼吸さえままならなくなる。
わたしはベッドから手を伸ばした。
誰か、助けて。
けれど、声は出なかった。
最後に浮かんだのは、愛しい青年の顔だった。
レオハルト様。
あなたは、何を知っているのですか……。
◆◇◆
「お嬢様?」
聞き慣れた声に、わたしは目を開けた。
見慣れた天井。見慣れた寝台。窓から差し込む朝の光。
ここは、わたしの自室だった。
「お嬢様、本日は婚約披露の祝宴がある日ですが、お支度を始めてもよろしいでしょうか?」
ベッドのそばに立っていたのは、侍女のハンナだった。
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
婚約披露の祝宴。
今朝、わたしは確かにこの部屋で目を覚ました。そして祝宴に出席し、死んだ。
そのあと、もう一度死んだ。
なのに、どうしてまた、同じ朝に戻っているの?
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
ハンナが心配そうに顔をのぞき込んできた。
わたしは、すぐには答えられなかった。
夢ではない。
胸が焼けるように痛んだ感覚も、口の中に広がった血の味も、はっきりと覚えている。
わたしは二度死んだ。
そして、二度とも、この朝に戻ってきた。
……死ぬたびに、同じ日の朝へ戻っているの?
信じられない。けれど、ほかに説明がつかなかった。
わたしは自分の身体を確かめた。痛みはない。血もついていない。
生きている。
また、生き返ったのだ。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか? お顔が真っ青です」
ハンナがわたしの額に手を伸ばしてきた。
「ひゃっ!」
わたしは思わず身を引いた。
ハンナが目を丸くする。
「お、お嬢様?」
「あ……ご、ごめんなさい。少し驚いただけですわ」
わたしは慌てて取り繕った。
ハンナはいつもどおり、わたしを心配してくれているように見える。今までだって、ずっとそばにいてくれた侍女だ。
それなのに、どうしても昨夜のことが頭から離れなかった。
祝宴では、杯にも料理にも手をつけなかった。
それでも、わたしは死んだ。
では、ほかに口にしたものは?
……水。
夜、喉が渇いて、ハンナに水を持ってきてもらった。
あの水を飲んだあと、わたしは眠り、そして死んだ。
偶然かもしれない。
水に毒が入っていたと決まったわけではない。ほかに原因がある可能性だってある。
けれど、確かめてみる価値はあるはずだ。
わたしは、そっとハンナを見た。
いつもと変わらない顔。いつもと変わらない仕草。
この子が、わたしを殺そうとしているの?
そんなはずはないと思いたかった。
けれど、今は何も決めつけられない。
わたしは布団を握りしめた。
祝宴の杯は飲まなかった。料理にも手をつけなかった。
それなのに、わたしは死んだ。
ならば、残る心当たりは一つ。
昨夜、ハンナが持ってきた水だ。
もちろん、まだ決めつけるわけにはいかない。けれど、確かめずにはいられなかった。
次は、あの水を飲まない。
それで生き残れたなら、答えに一歩近づけるはずだ。
死ぬたびに朝へ戻るのだとしたら、試せることはまだある。
でも、できることなら、もう死にたくない。
せっかくつかんだ玉の輿なのだ。こんなところで諦めてたまるものですか。
わたしは、ぎゅっと拳を握った。
玉の輿を諦めるつもりなんて毛頭ない。
「何度死に戻ろうとも、わたしは生き残ってみせますわ!」




