第八話〜紅白戦②〜
白チームの右CBが自陣の右WBに向きなおる……その動作をトリガーとして、陽仁くんは猛然とスタートを切っていた。
「バカ、ストップ!」
右WBのアキくんの忠告は間に合わなかった。
パスはアキくんの正面に入るコース。
一見すれば正確なパスであるのかもしれない。しかしこれは、意図の無いパスだろう。想定以上に、赤チームの前線のプレスが上手く、効率的で、ボール保持の余裕がなくなった結果引き起こされた、逃げのパスに見えた。
しかしながら虎穴に入ることを前提にしても、陽仁くんのプレスをかわしてボールを保持したいのであれば、パスはアキくんの左脚側に出すべきだった。
パスの出し手の右CBに対して、そして、相手右CMFに対しても蓋をするように、赤チームの選手たちがダイナミックに連動して動くプレッシング。その統率感と迫力は、まさに現代サッカーの産み出す芸術だった。
(嵌る!)
私も、そしておそらく誰もがそうだ。白チームがプレッシングに追い込まれて、ボールを奪われることを直感的に悟った。
だが、アキくんとて、日本でも突出した指折りの選手。A代表経験もある程の右WB。
そのスキルは伊達じゃなかった。
アキくんはパスのベクトルに真正面から突っ込むようにダッシュ。そこから右脚で、自分の身体の左側に大きめにトラップをし、スピードの勢いを殺さずに、かつ陽仁くんから遠ざかるように動いた。
陽仁くんも負けじと追い縋り、アキくんの体に手を伸ばすが、半歩届かない。
アキくんから何か視線で受け取った右CBが、赤チームの左OMFより前に出て、体を入れる。
そこにアキくんはドンピシャの速いボールを送る。そこからダイレクトで白チームの右CMFへ縦パス入れる。彼もまた、連動してポジションを少し落としていた………。
そして──すでに、アキくんはスタートを切っていた。いつからか。おそらく、味方の右CBにパスを入れた時にはもう走っていたのだろう。
そのパスに足を伸ばしてプレッシャーをかけていた陽仁くんが、かなりの遅れをとって追っている。それが証拠だ。
ダイレクトプレーでのレイオフ。
補欠が多い白チームが見せた、ハイリスクハイリターンの即興ビルドアップが、赤チームの洗練された罠をぶち破ってみせた。アキくんが味方からボールを受ける。勢いを殺さず、持ち味のトップスピードを活かすべく、大きく前にボールを蹴り出して加速していく。こうなると陽仁くんは追いつく手立てがない。一気にハーフウェイラインより先へ駆け上がる。速攻。
フィールドも、観客席もどよめきが湧き起こる。
「マジかよ……!」
陽仁くんが小さめに悪態をつくのが聞こえたが、すぐに、私は彼の凄みも目の当たりにする。
「蓮!!ディレイ、ディレイ!!ぶち抜かれんな!!」
陽仁くんはまず、諦めなかった。
フォローに入った味方である赤チーム右CBに指示を飛ばして、ディフェンスラインを下げてでも、アキくんに抜かれないことを最優先にコーチング。
それでも。アキくんの縦への突破は"分かっていても"止められる程簡単ではない。
切り返しを匂わせ減速したアキくんに対し、右CBの位置取りが一歩、フィールドの中央に向かってズレる。そこをアキくんは見逃さない。
大きくボールを浮かして軽く縦へ蹴り出す。右CBが慌てて伸ばす脚の上をボールが通過し、完全に抜き去った。
「おい、ゆる過ぎ!抜かれんなよ!」
しかしその隙に陽仁くんが距離を詰めていた。抜かれた味方を叱責しながらも一瞬並びかけ、また、徐々にトップスピードで引き離され。それでも陽仁くんの意志は死んでいない。明確に「止める」という意志を持ったロングスプリントが続く。
普通なら追いかける意志が折れるこの場面で、陽仁くんは決して折れない。このメンタリティも彼の強さを支えるパーツの一つであるだろう。
赤チームのディフェンシブサードにアキくんが侵入した。一気に赤チームのペナルティエリアの外側深くまでボールを運ぶ。無理やりディフェンスラインを下げられたことで、赤チームのCBと白チームのFWとOMF、総勢6名が勢いよく、ペナルティエリアに侵入した。
カウンターめいた速攻からの、クロスの準備。そのための微々たる減速────そのために振り抜かれる右脚────。
恐怖が光になって、記憶を現像していく。
思い出される、あの日の事。兄の姿。
目をきつく閉じ、耳を塞ぐ。
恐る恐る目を開けると、コーナーキックの準備をする選手達の姿があった。私はほっと一息つく。
固く握った手に汗が浮いていた。それを手早くウェアの裾で拭いた。
「琥太郎くん、ごめん、どうなったの……」
「今のはな……」
琥太郎くんが状況を説明してくれた。
陽仁くんがそこにスライディングで滑り込んだのだという。そして、爪先でボールに触ってみせた。コースが変わったボールは高い軌道でゴールラインを割り、白チームのコーナーキックとなった。
あまりに素晴らしい献身的なディフェンス。そして白チームの華麗なビルドアップと、フィールドをほぼ横切ったアキくんの独走ドリブル。
観客席から拍手が起こっていたのは、当然だろう。
「にしてもたしかに、メディカルとしてはダメな弱点だな」
「やっぱりぃ……?」
琥太郎くんは快活に笑った。
「まあ、代わりに誰かが見りゃあいい話だし。どういう状況と条件で引き起こされるものかが分かってる以上、大したことはないだろ」
「だといいけどさ……」
いう通り、メディカルとして大きな欠点だ。
私は今、陽仁くんがリスクを犯したプレーを見ることができなかったのだから。
前任していたチームでも、私は周囲に状況説明を依頼していた。
……だけど、これからもそれでいいのか。
今の私の役割は、メディカルスタッフのうちの一人……という枠にとどまらない。
(プライベートトレーナーである以上、このままじゃダメだろう)
私は陽仁くんのプライベートトレーナーとして、人一倍、彼に詳しくなくてはならない。今、この瞬間、フィールドで起こることの一挙一動を、誰よりも追いかけねばならない。
アナリティクスで示すことができない物事も。そして、そこで示した数字の含意も、見逃したくはない。
「琥太郎くん、やっぱ私、無理しない程度に無理する」
「どっちだし」
「どちらかというと無理するかも」
「……俺も見ておくから、気負い過ぎるなよな」
「ありがと」
琥太郎くんはうなずいて、赤チームのペナルティエリア内に目を向ける。
白チームのコーナーキック。
ハイボールが上がるが、狙いが悪い。サガくんがキャッチする。
サガくんがキャッチすることを信じていたのだろうか。陽仁くんがいち早く走り始めていた。
「サガーーーー!!」
陽仁くんの鋭い呼びかけに反応し、サガくんは密集する選手をかき分ける様にボールを手で運び、スローイング。
高度が低く、速度も申し分ない。陽仁くんのスプリントスピードを殺さない、絶妙さ。
だが、アキくんが陽仁くんを自由にするはずもない。
トラップするころには既に彼は陽仁くんに追いつき、左側、タッチライン側から体を寄せていた。
陽仁くんもここは無理をしない。急減速、トラップはアキ君の身体から遠ざける位置に出す。
そうすることでアキくんの寄せをはがし、2人の間に1メートルほどのスペースが空く。上手い。だが陽仁くんは前を向けていない。
既に相手は自陣に戻り始めている。アキくんも体勢を立て直し、迫りくる。
ここは、味方CBにバックパスをして、組み立てなおしが定石か……。
陽仁くんはそんな私の想定と違う動きを見せる。
縦へのドリブルルートを切るアキくんに対し、中に切り込んで見せる。
「挟め!」
アキくんが味方右CMFに指示を出す。
この挟み込みのために、あえてアキくんは中へのドリブルルートを広げていた。状況を加味した即興の戦術。
際立つ個人戦術能力の高さ。やはりアキくんは陽仁くんと同じ、このチームでは明らかに"モノが違う"選手。それを思い知らされる。
しかし陽仁くんはさらに内側に切り込む。若干、自陣に後退するように。無駄に見える横移動のドリブル。
敵陣側には右CMF。前方からは左CMFが迫る。背後からは、右から回り込むようにアキくんが追走する。
球離れの悪さに不安を感じた赤チームから、ボールを要求する声が上がり始める。
私の目から見ても、そのドリブルは無駄で、意味のない様に思えた。陽仁くんのクレバーさを考えると珍しいプレーだ。
そして、ドリブルのために姿勢を落としていた陽仁くんは、完全に囲まれることを察知してか、諦める様にスッと気の抜けたフォームになる。
完全に囲まれる寸前、味方の左CB(このコースも相手に切られてるが……)にパスをするために減速し、コンパクトに左足を振り上げ……
突然、背面にターンした。
キックフェイントを織り交ぜた、足裏を使ったシンプルな。素人にすら、できるようなターン。
なのに、そのフェイントによって、相手CMFの2人が、それまでの慣性に攫われるように大きく剥がされる。
「!?」
そんな驚愕に満ちた気持ちが、急に足を止めるアキくんから伝わってくるようだった。
アキくんは赤チーム側からプレスをしていた。つまり、一気に他の2人が剥がされてしまった今、白チーム側へのドリブルコースはガラ空きだった。
────爆ぜる。
ワールドクラスの加速力が、無情にも三人を置き去りにする。アキくんが必死に伸ばした足は届かなかった。圧倒的な個の力。思わず肌が粟立つ。
場の空気を支配するスーパープレーに、私は一瞬、自分の役割を忘れ、ただの一観客になった。
(あの人、サッカーが、上手すぎる……!)
5対4。赤チームの数的有利の攻撃。
開始3分。明確な得点のチャンスが、早速、訪れた。




