第六話
蹴り上げた足は、モロに入った。
「て、てめぇ!!……なに、すん、だ………!」
恨めしげに私を見ながら崩れ落ちる。
私はため息交じりに冷たく答える。
「考えりゃ分かるだろ」
さげすみの目でセイくんを見下ろす私の前に手を広げ、琥太郎くんが間に入る。
そして目頭を抑えながら、場をとりなそうとあわあわしている。
通りすがった周囲の選手やスタッフがざわつき始める。
「今のは……ダメだろバカ、青龍。この場合は、なんだ?どうなる?セクハラだもんな明らかに……」
「なにやってる、これは、どういう状況なんだ……」
そこに、トレーニングルームから騒ぎが見えたのか、覗きにきた陽仁くんがいた。
「あ、陽仁……これは、青龍が怜南のケツを触って返り討ちにな……」
「は?」
陽仁くんは信じられない物を見る表情で、未だに悶絶し続けるセイくんを見やる。それは他の皆もそうだった。
「お前サイテーだな」「反省しろカス」「残当」「男の恥」
「少しは、いや、まじで、心配してくれてもよくねぇ……?」
そして、堰を切ったように、そんなガチトーンの蔑み言葉がブーブー飛び交う。その中、セイくんが自らの腰を叩きながら、か細く反抗している。
セイくんがクズであることは周知の事実、なのかもしれない。どこかで親しみも罵倒に込められている気がするが。私も内心、自分の反射的な反撃がどう転ぶか不安だったが、この様子ならまあ、大丈夫かなと一息つく。少なくとも周囲は私の味方をしてくれそうだ。
セイくんの事は今後警戒しよう。ざまあみろ。
みんなの呆れ顔も落ち着き始めほっと緊張が解けていく。平和な空気に落ち着きそうな流れになっていく。
ただ1人を除いては。
私は隣に立っていた陽仁くんを何となく見て、その鋭い視線に少し驚いた。
彼だけは、本気で怒ったままだ。
「なあなあで終わらないからな、これは」
その鋭く静かな、よく通る声に皆の笑顔が固まった。
「セイ。お前もう一度、コンプライアンス研修やり直して来い。想像力を働かせてくれ」
セイくんがげんなりした顔で目をそらす。それを陽仁くんが見逃すはずもなく。
「なんだそのめんどくさそうな態度……自分が何したのか分かってなさそうだな。一度監督に報告する」
「は?はぁ!?そりゃねえよ!」
「舐めた口を聞くな、お前に反抗する権利は無い」
「ぐぇ!?」
陽仁くんがセイくんの襟首を掴んで引きずっていく。散歩拒否の大型犬を引きずる飼い主のように。
途中でハッとしたように振り返って、私に困ったように微笑んで、彼は謝った。
「申し訳ない、怜南ちゃん。二度とさせない」
「あ、うん……なんかごめん……」
そして陽仁くんは、まだ文句を言うセイくんを引きずって、曲がり角の向こうに姿を消した。
「……あの態度が正しいな」
そして琥太郎くんの言葉を皮切りに、周囲のスタッフと選手たちは一斉に私に頭を下げて謝り始めたのだった。
「茶化す雰囲気にしちゃってごめん!」「ほんとごめん!」
「いやいやいいよ!君たちわるくないじゃん」
ここまで来ると、かえってものすごい罪悪感を感じるが……陽仁くんの態度が正しくて、組織人としてあるべき言動なんだと私も納得した。
法人としての規範の整備が緩かった地域リーグのチームにいたせいか、私には"やりかえして終わり"みたいな荒っぽい思考が染み付いていた。だが……
『コンプライアンス研修やり直してこい』という陽仁くんの一言が思い返される。私も研修期間で受講したものだ。
セイラーズのような規模の大きなクラブでは、規範に則った"大人の対応"こそ求められるものになる。それを実感すると同時に、ああ、本当に私はJ1クラブのスタッフになってしまったのだとも感じて、少し浮かれそうにもなる。
それにしても、今日現場を見て感じてはいたが、彼の一挙一動は、場の空気を動かして制御するかのようだった。
陽仁くんのキャプテンシーはユース時代より評価されている部分。隠れた凄みだと……私の兄から聞いたことはあった。
(カッコいいじゃん、陽仁くん)
その人間性を素直に尊敬し、感心する思いが湧き上がる。
何があったのかは知らないけど、もう、私の知るかつてのクソガキじゃない。彼も変わったんだと、やっと受け入れられた気がした。
***
「申し訳ありませんでした」
練習前、フィールドの芝に足を踏み入れてすぐ、セイくんの謝罪があった。
その背後に、陽仁くんの一ミリも笑ってない目と、明らかにお怒りの様子な九条監督の姿があった。
……セイくんも根は素直な奴なのだろうと思うことにした。
「次やったら蹴りじゃすまないからな」
「ウス」
「なんだその返事」
「はい……」
「今回は後ろの2人に免じて許す。去れ」
「はい」
彼はどこか不服そうに口をへの字に曲げながら、ウォームアップの輪の中に加わっていった。おい、なんだその気に食わない態度は……まあいいか。
「申し訳ない。うちのバカが……」
九条監督も私の前に来て頭を下げる。
「いやいやいや!そんな九条さんがそんな謝ることでも……」
「これは組織の問題。トップである俺が頭を下げるのは、当然のことなんだよ」
その言葉にハッとさせられる。
同時にセイくんへの怒りが再燃しかける。
もし問題が表面化したら、こうして矢面に立ち、選手を守るのは監督なのだ。
サッカーの結果においても、スキャンダルのウワサにおいても。
セイくんは身勝手にもほどがありゃしないか。
「……結果を出すのをいいことに、ずっと甘やかされてきたツケが、あのザマってわけだ。情けない限りだが……俺の責任でもある」
「分かりました。なるべく関わらない様にはします。なのでとりあえず頭あげましょ?ね?」
頭を下げっぱなしの監督に対し、徐々に心が落ち着かなくなり、今度はおろおろしてしまう。
九条さんの背中を軽くたたき、陽仁くんが声をかける。
「もういいんじゃないっすかね」
「む……」
ようやく頭を上げた九条さんは、少し決まりが悪そうに後頭部をかいた。
陽仁くんはその様子に安堵した様子で「それじゃ」と言い、ウォームアップに加わりに去った。
「にしても、あの感じでよくこれまで大きな問題を起こしてこなかったですね……」
私の目は、ウォームアップ中に他の選手にちょっかいをかけ、笑いを誘っているセイくんに向いていた。
「それは昨年までの、旧フロントの功罪……といったところだな」
「昨年までの……ですか」
「知らないか」
「セイラーズのフロントの評判は聞き及んではいました。素晴らしい補強とチーム造りを行ったと」
外ツテに聞くセイラーズのフロントは、かなり評判が良かった。
3年前、2年前のセイラーズの連覇の影の立役者と言っても過言ではない。そして、昨年度に6位に沈んだことで『新たな風を』という建前で、フロント体制を刷新した。
無論、6位という成績は悪くないが、その向上心に溢れた変化への姿勢にサポーターはおおむね好意的だった。
「……来栖GM、丸岡強化部長は確かにすごい方々だった。
セイラーズの伝統である『堅守速攻』に回帰したチームデザインを徹底して、結果を出し続けた。
できれば、このチームが病める時も一緒に仕事をできれば良かったがなぁ……」
九条さんの表情にはどこか陰りも見えた。その目は選手たちを見ているようで、遠くを見つめている。
「なにかあったんですか」
「スポンサーの律山建設の業績悪化だ。昨年、石油事情でパニックになった煽りをモロに受けているらしくてな。予算の捻出も苦しい状況に、上質なチーム造りの継続を断念したんだ」
「悪く言っちゃうと、泥船とみなしてセイラーズを抜けたってことですか?」
「そういうことになる。気持ちは分かるがな……」
「ひど、マジすか……新フロントはどうなんです」
「まだもたついてる。律山建設から出向した方で、三村GMという方なのだが……あの方が考えてることが俺には分からん」
「そうなんですか……大丈夫ですかね」
「分からないけど、なんとかするしかない。君に陽仁を頼んだのもそのためだ」
「なるほど、こりゃ、頑張るしかないっすね」
「すまないが、頼む」
選手たちの朗らかな笑い声、談笑が響いている。
スタジアムの吹き抜けから差す日差しが、湿った天然芝を温かく輝かせる。
一見して柔らかく、それでいて引き締まった雰囲気のあるこのチームの陰に潜む、爆弾が見えた気がした。




