第五話
「琥太郎くん、となりいい?」
メディカルチームの会議室で私は、配布の弁当を食べている琥太郎くんを掴まえた。
190センチにもなる上背に、スキンヘッドという迫力満点の容姿のおかげで、早くも顔と名前が一致しているスタッフの一人だ。
「あれ、白銀さん……?」
「名前~」
「あ、失礼、怜南。怜南な。どうした」
「ミッチーくんに聞いたんだけど。普段、陽仁くんの昼のトレーニング見てるかもって」
「あー……マジか」
琥太郎くんは意味深に眉をひそめ、額にしわを作った。
「それは俺の本領じゃないけど、たまに見てるってのはまあ、事実だしな……」
「ん?あれ?」
なんか聞いてたイメージと違うぞ!?おい!?微妙過ぎる反応すぎる!
「あ、いや、ミッチーが基本的に皆のこと見てんだよな。あと、一部のフィジカルコーチ。俺は選手やコーチから要望があれば、だな。リハビリと負荷チェック。普段はマッサージとか針とかだけど……今日は奇跡的に暇だな」
「えええ適当こかれた!」
「はっはっは、あの人、さりげなく人に仕事なすりつけるプロだからな。まあでも、忙しい人なのは事実だしな……今の俺、別にリハビリ見る選手もいないし、分かる範囲で教えられるよ」
***
昼飯を済ませ、琥太郎くんに付いていく。
「ここがスタジアムのトレーニングルームになるな。普段はクラブハウスのを使うから、今日は特別だけどな……」
そう。今日は本年度のセイラーズのメディアお披露目の意味合いも込めて、本拠地である横須賀スタジアムを使用している。
午後の部のトレーニングで1時間半ほど、メディアとサポーター向けに観客席が解放される予定だ。
トレーニング室には想像していた通り、多くの選手が集まり、コーチと共に各々の課題に沿ったトレーニングを実行していた。
リハビリ中の選手が1人だけ。理学療法士の傍ら、ドクターである隼人くんの姿もある。
その意識の水準の高さは、私がコーチとして参加していた地域のチームの比ではない。
静かに息を呑み、緊張感を味わった。
「いた、陽仁」
琥太郎くんが指さす。グルートハムベンチ────ハムストリング筋と臀筋を主に鍛えられるトレーニング器具を用いている。
負荷が重くなるタイミングに差し掛かっているのか、その表情に余裕はない。短パンから覗く丸太の様な強靭な太ももに青く筋が浮かび上がっている。
流石にこのタイミングでは話しかけられない。トレーニングが一段落するのを見計らい、彼の傍に歩み寄る。
「怜南ちゃん。琥太郎くんも、どうしたの」
「ミッチーに怜南を押し付けられたんだよな……」
「あはは!そりゃやられたねぇ!」
「私は時限爆弾なのか?」
へらっとした笑みで陽仁くんは続ける。
「ごめんて。それより、俺のトレーニング見に来たんだよね」
「うん。今ハムのトレーニングしてんのかなって何となく感じてて……一番欲しがってたのって、アジリティだよね?」
考えが無いはずがないのだが、さっき聞いた理想と少し噛み合わない内容のトレーニングだった。
ハムストリングスはスプリント局面で重要になる筋群だし、加速や切り返しの土台にもなる。とはいえ、狭い局面を細かくぶち抜く鋭さを鍛えたいならば、減速や再加速を意識した筋力トレーニング、支持の安定を意識した体幹トレーニングの方が成果に直結しそうにも思える。
「それはそうだけど、俺のトップスピードってまがい物だからね。元々速いわけじゃないし。常にハムに関してはこの負荷を維持しないとダメになる。年齢考えたら、放っておくと落ちる」
「なる、ほど。意図としては、了解」
まだ納得できたわけじゃないけど……近年のスプリント競技に関する大規模研究の論文に、こんな記述があったことを思い出した。確か、100Mから400M走について、男子のピーク年齢を平均すると25歳から26歳と報告されていたはず。
サッカーは複合的な身体能力を扱う。だから実際の総合的なフィジカルのピークはもっと先だと思う。でもトップスピードなどの、一部の能力が下火となっていくのは否めない。アジリティはまだまだ鍛えられるとは思うけども……。
しかし、これはあくまで平均値の話だ。個人に当てはめるのはナンセンスな数字。
だから26歳の陽仁くんに対し、即こういった、老化に伴う能力維持がテーマのトレーニングに反映させるのは、流石に違和感がまだぬぐえない。
「これミッチーくんがトレーニングメニュー作ってる?」
「まあ、ここ鍛えとけ、みたいな大雑把な指摘だけどね」
「えぇ……めんどくくさがりすぎだろ」
陽仁くんと琥太郎くんは雁首揃えてうなずいた。
「まあ、優秀だけどね。ミッチーいないとウチは回んないっしょ」
陽仁くんは琥太郎くんに同意を求める様に目配せする。
琥太郎くんも同じ気持ちらしい。口角が上がり、どこか嬉しそうだ。
それだけで、ミッチーくんが皆から本当に信頼されていることが伝わる。
「今のトレーニングフォーマットと機器導入したのはミッチーなんだよな……」
「そうそう!アメリカ式のデータ測定法ってね。本当に、頼りになる人だよ、尊敬できる」
不意にミッチーくんの一言を思い出した。
『興味があれば、各選手の測定データをアプリで確認してな』
私はおもむろにスマホを取り出す。
アプリは英語のみの対応だが、知識さえあれば体感的に情報を把握できる。
陽仁くんの測定結果を表示する。そして、過去5年間の計測データを全て表示すると……。
「それ、ミッチーくんの使ってるアプリだよね」
陽仁くんが背に回り込んで覗き込む。
「うん。もしかしてだけど、陽仁くんって……早熟だったり?」
「そういうこと。24歳……君と同じ歳の時が、俺のトップスピードのピークだったらしいよ」
「へぇ……」
あくまでスプリント競技の論文は、平均値の話。そう、25歳ってのは平均値だ。
なら、個人がそれを下回っていてもおかしくはない。陽仁くんのトップレベルの凄みが印象付いていて、まさかここが──トップスピードの絶頂期が平均より《《下回っている》》だなんて想像できなかった。ただミッチーくんはここ2年の急成長ぶりを特に評価していたが……これは後で、ここに出てる数値を自分なりに紐解いてから、ミッチーくん本人に聞くのがよさそうだ。
(はあ、やっと、ハムの筋トレに納得いった……)
私は一息ついて、天を仰いだ。
やはり課題は重い。突然自信を失いそうだ。
彼の説明から、ロングスプリント時のスピードの維持のため、ハムストリングへの負荷トレは欠かすことができないのが明白だ。試合が続くシーズン中はいくらか負荷を落とすとはいえ。
……日常的に高い負荷をかけるという事は、必然的に疲労を蓄積させやすいという事だ。スプリント走が要であるサッカー選手には、ハムストリングの怪我が多い。さらに、適切なケアが無ければ再発性が高い。
(なるほど、点と点が線で繋がってきた……)
陽仁くんは欠かすことのできないエースであり、キャプテン。
さらにポジションはWB。
このWBというポジションは、セイラーズの戦術上、最も特殊かつ最も重要なもので。基本的にWBは守備時には5バックの両翼を担うが、攻撃時にはポジションが"変化"しWFになる。
このポジションで求められるものは、サッカー全体で見ても最も多いレベルだ。
遠慮なくこれを列挙していくと、キリがない。
たとえば攻守の切り替えの思い切りの良さ、判断の速さ。
あと、連続するスプリントに耐え、長い距離を走りぬくことができるスタミナ。守備時のサッカーIQ、コーチング能力。それらを含めた、状況を俯瞰できる個人戦術のレベル。攻撃時に相手のディフェンスを剥がすスピード。それに相手のディフェンスラインを押し下げ、守備組織を破壊するドリブルの技術……。という感じでほんとにキリがない。
だが、彼のフィジカルの全盛期は既にピークを過ぎ、一部筋能力については維持が必要な段階にある。コンディション維持のための負荷トレーニングが欠かせない。
そこを彼自身は、おそらく妥協するつもりもない。
(こういった複雑な事情が重なり合って今、陽仁くんの怪我のリスクは今季、確実に跳ね上がるとメディカル側で判断したんだろうな)
隼人くんが朝、会議室で私に言ったことが思い出される。
『それは俺の我儘でね。無理言って彼《陽仁くん》には同席してもらった』
私が陽仁くんのプライベートトレーナーの役割を任されることになった背景を、おそらく最もよく把握している、そして、仕掛け人でもあった隼人くん。実はその考えるところは、推測できる部分はあれどもまだ、不透明な部分が多い。どんだけ急に決まったんだってくらい説明不足だな!
(あの場では使命感でYESとは言ったけど、とんだ大役を……いや、今は目の前の事に集中しなきゃ)
リハビリを行う選手の傍らで、理学療法士と会話を続けている隼人くんをちらっと見ながら、晴仁くんにお願いをする。
とりあえず今は、できること、分かることから全力でやっていくしかない。その積み重ねの中から答えを見つけていけばいい。新人の私にできることなんて、まだ少ないのだから。そう自分に言い聞かせる。
「陽仁くん、後でトレーニングメニュー送ってほしい。今自主的にやってたやつ」
「あ、それ今、エアドロで送ろうとしてた」
「抜け目ねぇーー」
こんな感じで、素で数歩先の手を読んでくる陽仁くんに見合うだけの仕事ができるのか、目が回る心地になりながらもトレーニングメニューを受け取る。
琥太郎くんがその様子を見て、納得したようにうなずいた。
「なるほど、君の本領は理学療法士とATのダブルライセンスだもんな……」
「ふっふっふ、わかってるじゃん琥太郎くん」
ここで陽仁くんが首をかしげながら挙手。
「ごめん怜南ちゃん。それは……例えば、トレーニング後のメディカルチェックと照らし合わせて、トレーニングメニューを工夫できるみたいな?」
「そうそう。まず私が自主的に動いていい部分はそのくらいかなって」
「さすが」
陽仁くんの理解がよくコミュニケーションは円滑だったが、これ以上は彼の邪魔になると判断した。私たちは陽仁くんに手を振りながら、トレーニングルームを後にする。
この直後だった。
「あ、怜南ちゃんじゃん!」
一人の選手が私を見て声をかける。
金髪でそり込みの入ったツーブロック。目を引く見た目はチーム随一。素行は最悪。だが、チームを幾度となく救う若きエースストライカー、大平青龍。
実際会ってみて、どんな印象になるのかは少し気になってた人だ。
「ども!青龍くん、でいいのかな」
「長いからセイでええって、よろしくな」
「オッケー、よろしくねセイくん。後でまたグラウンドでね」
私たちは軽く握手を交わして、すれ違う……かと思われた。
「がんばりや~」
という声かけと共に、ケツをぽんと叩かれるまでは。
────経験則が神経を光の速度で駆け巡り、最速で答えを導き出す。
いろいろあるが、一言でいえば、こういう真似をする男は性別を理由にして私のことを舐めている節がある。それだけじゃなく本当にいろいろ言語化したい経験と感情はあるが、とにかく、思い浮かんだ言葉はただ一つだった。
(ころすか)
ほぼ反射とも呼べるスピードで私は素早く反転し、歩き去ろうとするセイくんの股の間が開いたその瞬間を狙い、足を振り上げた────。




