第三話
「……というわけで、本日から陽仁のプライベートトレーナーとして、また、主に理学療法士として参加する白銀怜南さんだ」
「よろしくお願いします」
トレーニングの前。グラウンドに集まった選手の前で、監督に連れられて私は自己紹介を行った。
ワッと湧き上がる選手たち。甲高く鳴らされる指笛。この場で事情を知ったことで「どーゆ―ことだよ!」と陽仁くんを囲んでもみくちゃにする数人。
その中で、すっと、静かだが存在感を示すように挙手する陽仁くんなのであった。体幹つっよ。
「《《白銀さん》》に一つ提案がある」
「なん、です?」
その、陽仁くんに苗字呼びされると、どう喋ろうかわかんなくなる。
敬語か、ため口か今迷った。
「監督やフロントは対象外なんだが、ウチでは、スタッフ選手ともに敬語を使わない方針だ。抵抗無ければ……怜南ちゃん呼びでいい?このオッサンも隼人って呼び捨てにしてくれていいからさ」
「やーだーよ!俺はせめて"くん付け"な!?お前もだよふざけんな!」
雑賀さん……いや、隼人くんでいいのかな。隼人くんが困り顔で陽仁くんをどついて、周囲の笑いを誘う。面白すぎて私も口角が上がってしまう。隼人くんって意外とノリが良いんだな。
それに、今、敬語で陽仁くんに呼ばれた時の喋り方で困ってたところだ……ため口でいこう、ってのは願ってもない提案だし、私が前任でコーチを担当していた地元クラブでも同じ方針だった。断る理由が無いや。
「大丈夫。ありがとう、そうさせてもらうと助かる、陽仁くん。隼人くんも、お願いします」
「ちょちょちょなんか順応早くない?白銀さん??」
「え?隼人くんそれはないっすよ、ほらSAY、怜南。はいせーので言って、さんにーいちはいせーの」
「えええちょっとまってああもういい、怜南!!」
────現場初日にして、新人に笑いのダシにされる上司。
***
あらかじめトレーニング開始前に、選手に着てもらっていた特殊なベスト。その背中についてるポケットに、選手それぞれに紐付けた測定機器を嵌め込んでいく。
コンディショニングコーチの菅原道真さん……もといミッチーくんが用意していたGPS機能搭載の測定機器だ。しかしながら、学問の神と同じ名前とは恐れ入る。
と、軽口は置いといて、この状況は…………
「お前ら一体何やってんだコラ!!時間は限られてんだよ!!」
私の心の声を代弁するかのように、監督が怒鳴った。
ミッチーくんと手分けして、機器を嵌め込む手筈だったが……いつのまにか、私の方に3/4くらいの選手たちが列を作って並んでいたのだ。
彼らも悪ノリだったのだろう。
「しゃーなし!」「挨拶したかったなァ!」
と言いながら、ミッチーくんの方に、人数のバランスが取れるように並び直す。
「おっつー!」
私はミッチーくん側に並んだメンツを敬礼で一発煽ってから、作業を続行する。
煽られた選手たちは、すすり泣く振りをする者や、「く、くそ!」と悔しがる者がいた。ウケるわ。ノリがいい。
私はお笑い劇団にでも入団したのだろうか。
それはそうとして、チームの雰囲気は良好に見える。
……主力の秋山さんと茶川さん、もといアキくんとサガくんが抜けることはまだ伝わってないらしい。今日どこかで伝えると監督は言っていたが……。
「はい、オッケー」
私はその秋山さん、じゃなくてアキくんの背に機器を嵌め込んで一声かける。最後尾に彼はいたから、これでこの作業は終わりだ。
「ありがとう……ごめん、手間かける」
「……あ、いやいや、気にしないで!」
「そっか、ありがとう」
私の事情をアキくんは聞いていたのだろう。気まずそうな笑みで一言感謝を私に告げて、背中を向けてフィールドへ駆けていった。
「心配そうだね」
「アバス!???」
陽仁くんが、いつのまにか隣に音もなく立って、私の顔をじっと見ていた。
めっちゃ変な声出たわ。ミッチーくんが「あばす……?」って首を傾げて面白そうに微笑んでいる。やめれ。
それはそうとして、確かに私は一抹の不安がある。
「参った。よく分かるなぁ…………」
「アキとサガの話で不安なんでしょ。大丈夫、俺がいる限り、このチームはそんなやわじゃない」
私の背を強めに叩き、陽仁くんもフィールドに走り出していく。
「だから、俺のことは頼むな、俺が怪我しないよーに」
やっぱ責任重大だな、私は。苦笑いで応じるほかない。
でも、さっきのアキくんの申し訳なさそうな顔を思い出すと、使命感が湧き上がる。
私たちは、チームの命運を託された。その一端を、いま、実感したような気がしたので。
私はミッチーくんとフィールドに出て、陽仁くんの後を追いかけて走りはじめた。
***
7月20日 午前 横須賀律山スタジアム
フィジカルトレーニング開始
(非公開トレーニング)
***
陽仁くんの選手としての凄みは、突出した万能さにある。
フィジカルスタッツ、ボールコントロール、基礎的な戦術理解、試合中の状況理解。
そのどれもが超一流であり、プロとしては小柄な173cmという身長以外には穴がない。特にフィジカルの総合力は他の追随を許さない域に達しているだろう。
それは、あらかじめ渡されていた数値、そして試合の内容を見て理解していた。そのつもりだったが……。
スプリントトレーニングで、改めて《《体感》》した。
モノが違うとは、こういう事を指すのだと。
セイラーズのスプリント走の測定は、5m、10m、15m、20mの間隔で赤外線機器を設置し、それぞれ測定した結果を、専用のスマホアプリに転送する方式だ。
彼のスプリントデータを見ると、10mでトップスピードの83%以上の速度に到達する。安定はしないが、85%にまで迫ることもある。
これは、日本はおろか、世界で見ても最高峰クラスの加速力となるという。その迫力は、目の前で見ると恐ろしいほどに伝わった。
──陽仁くんとアキくんが、空中での競り合いを想定して、ジャンプして互いの肩をぶつけて着地する。それがスプリント走のスタートのトリガーになる。
着地の瞬間の、爆ぜるような加速。10m地点で1m近くアキくんは遅れをとるが……トップスピードを見ればアキくんは日本最高峰。20m地点で徐々にその差を詰めていくのが分かった。
もうこのプレシーズン以降観れないかもしれない、最強のスピードスターの双翼。少し目に焼き付けたくなる気持ちを振り払い、スマホに転送されたデータを見る。2人のデータは概ね、さっき目視した印象通りのものだった。
これがもしヘディングのこぼれ球がディフェンスラインの背後に転がった状況であったら。そのセカンドボールを競り合いに、駆け出したとしたら……。サッカーという競技の特性上、あらゆる局面で有利な状況を確保できるのは、トップスピードにやや優れるアキくんではなく、加速力に抜群のアドバンテージを持つ陽仁くんだ。
それにしても。ここまでの凄まじいフィジカルがありながら、なぜ今まで代表に呼ばれてないのやら。
「陽仁また《《凄みが増した》》な」
私の隣で一緒にスプリントトレーニングを見ていたミッチーくんが、何気なくつぶやく。
凄みが増した。その一言が引っ掛かり、私は思わずミッチーくんに尋ねる。
「それは……前は違ったって意味?」
「あー、そうだね。前からすごく良い選手だったけど、フィジカルだけは器用貧乏を極めた感じだった」
「どんな魔法使ったらあんな化け物になるんだ」
「そう見えても仕方ねえか。素質はもちろんあったけど……ここ2年の急成長だったし」
ミッチーくんは目を細める。その優しい微笑みに、付き合いの長さを感じる。
「陽仁はさ、簡単にいうと泥臭い努力が報われてんのよ。前までは良くも悪くもエリートの坊ちゃんだった。あの時のままの陽仁じゃあ、今キャプテンやれてない。ファンには表に出さないが『貴公子』だなんて身内に呼ばれたら怒るんだぜ、あいつ」
彼は確かに、フィールド内外で印象が変わる。私はこのチームに来るまでは、ここ数年の映像の中、フィールドの中で"闘志を露わにする"彼しか知らなかった。
「……すごいな。月並みな感想だけど」
「そう、本当に凄いやつだよ。だから、適当こいて飽きられないように頑張りなよ」
「あ、ちょ、怖いこと言わないでもろて」
冗談まじりにミッチーくんはからかうが、
たぶん、本当に気をつけないといけないやつだろそれ!
そんなこんなで、ウォーミングアップと軽い測定が終わる。
予定通りなら、ここから私は陽仁くんをマンツーマンで見ていく手筈だ。初日だからミッチーくんのフォローを受けながらになると思うが……初めてのプロの現場。
気持ちで喰らいつくつもりで、全力でサポートしていこう。




