第二話
「今から話すことは、他言無用で頼む。まだ契約が締結されたわけでもないし、公式発表も差し控えているからな……」
九条監督は困ったように頭を掻き、続ける。
「……茶川玲と秋山清十郎の海外移籍は実質決定だ」
ざわつく室内。
私も「えっ?」と思わず声を上げた。それほど衝撃的なニュース。移籍する二人は…………
茶川さんは守護神《正ゴールキーパー》。
秋山さんは右サイドの要。
彼らがいなくなるということ。それは間違いなく攻守共に著しい質の低下を意味する。
陽仁くんと雑賀さん、それもあと一人、ヘッドコーチかマネージャーかな?彼らは落ち着いている。事前に聞かされていたのかもしれない。
「みな、知っての通りだ。日本代表級の主力二人を欠くことになる。我々としては夢を後押ししたいし、彼らの活躍は子供に夢を与えるだろう。そう思い、送り出すのだが……我々の実情は芳しくない。移籍市場でも出遅れ、良い成果は得られなかった。特に守備に関しては大きな戦力ダウンだ。ウチは選手層が厚いわけではないからな」
こういう場合、クラブ上層部は他クラブから選手を補強し、何とか戦力をやりくりしていくものだ。二人の移籍金がクラブに入ってくるはずだし、機会はあったはずだ。
しかしそれが、上手くいかなかったと今、ハッキリと告げられた。
他の手段としては、下部組織の有望株をトップチームに引き上げることもあるが、適任はいなかったのだろう。
皆の視線が、心配そうに陽仁くんに向く。その欠けた戦力の皺寄せを、担うことになる存在に。その重荷は、察するに余りある。
────陽仁くんは左サイドの要にして、チーム最大のエースだ。そして、リーグ屈指はおろか随一のドリブラーと言っても過言ではない。
セイラーズの左サイド、正式にはウィングバックというが、攻守ともに高いレベルでの運動量と技術が要求される、難易度の高いポジションだ。攻撃が得意な選手、守備が得意な選手、そのいずれかは多くいる。だが、両方こなせる上に運動量が担保できる選手となると……なかなかいない。
元々人材不足のポジションなのに、ここに来て右サイドの要であった秋山さんが退団する。さらには、チームを幾度のピンチから救ってきた守護神までもが。
そうなれば、必然的にチームの信頼は左サイドの陽仁くんに大きく傾く。もっと端的に言えば、戦術そのものが陽仁くんにさらに依存していくことになる、ということだ。
しかも相手が「陽仁くんを集中的に抑えればいい」という思想で戦略を練れば、その分彼のフィジカルコンタクトも増える。怪我のリスクを冒す場面はおろか、疲労の蓄積も収まらなくなっていくだろう。
たしかに、事態は深刻だ。それは理解した。
だが、一つ疑問がある。
私は手を挙げて、九条監督に質問した。出過ぎた意見かもしれない。でもこれは陽仁くんのこれからに関わる事だ。勇気を振り絞り、声量も尻すぼみながら、なんとか伝えきる。
「純粋なウィングアタッカーとサイドバックを用意して、攻守分別した役割を与えることは……?できなかったんです?」
フォーメーションのシステム変更により、陽仁くんの負担を軽減できる手が無かったのだろうか。
私は決して監督が考えを持ってないとは思わない。
だが、本当に、これしかなかったのか?
監督は当然の疑問とばかりに、眉根一つ変えずに頷いた。
「質問ありがとう。例えば4-3-3をイメージしている、でいいか?」
「は、はい、大丈夫です」
「オッケー。それについては議論済みで、オプションとして扱うのが限界だという結論ななった。使うかどうかは相手によるということだ。
出番は少ないだろうがな。そのフォーメーションを活かすための……ウチに中盤の強度を担保可能な選手がいないんだ。我々のベストはあくまで、5-4-1のフォーメーション。基本は、これで勝負するしかない」
「理解しました、ありがとうございます……」
苦肉の策、だったのだろう。
ポジションを弄って、エリア中央の守りを手薄にするよりは、右サイドの攻撃か守備か、いずれかの強度を犠牲にする方がマシだというロジック。
「白銀さんが言ったように皆、当然理解してるだろうが……特に、チームの要である陽仁には信じられない程の負担がかかる。肉体的にも、精神的にも。だが、我々がトップレベルで生き残るには陽仁が必要なんだ。怪我などもってのほか……そこで、だ」
九条監督の三白眼が私を見据える。
「白銀さん。あなたに《《実質的なプライベートスタッフ》》として、陽仁に帯同を依頼したい。もちろん……この陽仁に付きっきりな役割も、チーム状況が落ち着けば解こう」
監督は期待を込めた微笑みをたたえた。
「その若さで理学療法士のキャリアを数年重ねつつフィジカルコーチB級を持っている人材はなかなかいない。トレーナーとしては、|アスレティックトレーナー《AT》の資格まで保有しているから柔軟に動けるし。
他のやつはチーム全体のサポートで手一杯というのもあって、適任は白銀さん以外には考えられなかった。できるか?」
お願いしているようで、見透かすような口調。私の逆算から成るキャリア形成も、その果ての願望も、たぶん、面接の前から、この人は見ていたんだと思う。
五年間もチームを率いた名将としての洞察眼は伊達ではない。
そう……私は、自分の夢への道のりを逆算して、それらの資格と経験を獲得してきた。それは、選手のそばに立ち、怪我を未然に防ぐことができる存在になりたかったからだ。
車椅子の兄さんの背を思い出す。
あの時の決意は今もなお変わらない。
なら、やるしかない。
私は覚悟を決めて、監督の目と真っ直ぐに向き合う。まだ突然の依頼に対して、動揺は消えてない。初めてのプロの現場に怯えもある。
それでも、私はこの時のために、今まで人生をかけてきたと思える。今はただ、その私を認め、エースの体を任せてくれるチームの想いに、応えたい。そう思ったら、答えは自然と口から出ていた。
「大丈夫です、引き受けます」
***
爽やかな朝の空気が、屋外グラウンドに満ちている。
コンディショニングの年間スケジュールについては、後ほどメディカルチームとコーチ陣で会議が敷かれている。その前の時間に、午前午後を跨ぐチームトレーニングが実施される予定となっていた。
選手の乗ったチームバスの到着を待つまでに、我々スタッフが練習の手筈を整える。遅くなった自己紹介を皆と済ませてから、プロのトレーナー・コーチとしては新人の私は、コンディショニングコーチの菅原さんに着いて回り、何をやるかを実際に見てやって憶えていく。
メディカルの現場より先に、直接練習に関わるコーチの補佐としての帯同を優先させたのは、このチームのトレーニングの流れ・負荷を肌で感じて欲しいがため、とのこと。
その途中で……なぜか選手であるはずの陽仁くんが、カラーコーンを運び置くことを手伝いながら、私に声をかけてきた。手伝わなくていいよ!と断る隙もなかった。
「先週、裕平から話を聞いたときは驚いたよ」
裕平。私の兄だ。
兄と陽仁くんはいまだに、月一でディナーに出かけている……。どうやら私の事もペラペラ話していたらしい。
「メディカルが不足してるとはアイツには話したけど、まさか君が来るなんて」
「ははは……だよねー、不思議なご縁だこと」
「まったくだよ」
私は3部リーグでプレーする兄のツテで採用面接にこぎつけた。セイラーズがメディカルを募集してるらしいからどうだ?というシンプルな提案だった。
「そういや、もう少しで練習始まっちゃうけど、今のうちに聞きたいこととか無い?」
「というと……」
「怜南ちゃんはこれから、俺のプライベートスタッフだからね。少し互いの事を知っておく事も大事だ」
「ああ、そりゃそうだね。じゃあ……理想ってある?自分の理想とするプレーのこと。例えば、この状況でこういうことができるようになりたい、みたいなのでもいいよ」
「そうだね……来シーズンは多分、どこのチームもバイタルエリアを封鎖してくる戦術を取るだろうから……俺は、その圧縮されたエリアを細かくぶち抜くだけの素早さが欲しいかな」
速さはもう充分では……?と思いはしたが、本人は本気でそこに勝機を見出しているらしい。それに、具体的に意識している状況と課題があることは理解した。
それに、陽仁くんはリーグでも屈指の選手。日本代表への招集も今季は期待されている。このレベルの選手ともなると、自ずと課題を意識してトレーニングに励むものだ。
ならば私は、その理想や目標に対し、近づける様にサポートするのみで充分だろう。
「ありがとう、わかった。そういう観点でトレーニング見るね」
「期待してる」
眩しく笑う陽仁くんの視線が、私の背後に動く。
コンディショニングコーチの菅原さんが、おもむろに袋に入れた小さな機器をざーっと出している。
「あっち手伝わないと。あとでね!」
うん、と手を振る陽仁くんに背を向け、菅原さんの手伝いに向かうのだった。




