第一話
サッカーの神に愛される選手はいる。
でも神に愛される才能があるからといって、人智を超える肉体を持つわけじゃない。
才能を宿したのが、もし硝子の器だったら。私の兄さんのように脆かったら──
二度と壊れないように、守りたいと思った。
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スタジアムは晴天の下、かつてと変わらない威容で私を出迎えた。
ここに最後に訪れたのは、もう10年以上前になる。観戦チケットを握り締め、兄と『横須賀セイラーズ』の応援に向かった思い出だけが残る。
「白銀さん」
私の名を呼ぶ声がする。
聴き覚えのある、落ち着いた男性の声。
「あ、雑賀さん!しばらくです」
後頭部に束ねた白髪、そして白衣を靡かせて、彼はスタジアム側から駆け寄ってきた。『横須賀セイラーズ』のドクター・雑賀隼人さん。
軽い社交辞令を経て、雑賀さんの案内で、スタッフ口からスタジアム内に入った。
「陽仁、桐村くんも楽しみにしてるみたいだよ」
「私も……面接や研修中には会えなかったので」
桐村 陽仁くん。セイラーズのエースにして、今やそのルックスの良さから『貴公子』などと、知り合いとしてはむず痒い二つ名で持て囃されているようで。
「幼馴染って桐村くんから聞いた。君の兄さんから推薦来たワケが繋がったや」
「いやー幼馴染といっても、もう十年前の記憶ですからね……」
「そっかー。桐村くんってどんな感じだった?割と元気な人だったって聞くけど」
「そりゃ、ヤンチャな子でしたよ。アグレッシブさが売りというか何というか」
「ははは、昔馴染みはみんな言うけど、今の姿からじゃ想像できないな…………」
「今は違うんですか?試合を見る限りはあまり変わらないような」
「いやまあ、それはそうだが……競技の外、普段の桐村くんと言ったら物腰柔らかな好青年って感じだからどうにも。試合後のインタビューは見たことあるかな?まんまあんな感じ」
そう聞いて、私も想像がつかなくなる。彼はいったいどう変わったのか……。
いやでも、たしかに男の子って驚くほど高校時代を超えると大人になる。彼が明るい性格そのまま、大人の落ち着きを得た男性になっているとしたら、それは素直に良いことだ。
「ここだね」
大会議室B。そう書かれたドアの前で立ち止まる。
私が聞かされていたのは、メディカルチームや監督・コーチの面々との顔合わせと、諸々の役割の調整……だったはずだが。
「あの、白銀さん……先に謝る、ごめん」
「ええ、なんでです?」
突然謝罪を受けたのだった。
嫌な予感がした。何が待ってるんだこの扉の先に。
今まで、謝ることなど何もなかったじゃないか。どうしたというんだ雑賀さん!なぜ目を背ける!
「実は君の仕事に、チームの命運が掛かってる」
「あ、あれぇ?そんなヤバい仕事でしたっけ?」
私が任される予定のミッションは、フィジカルコーチの補佐および、理学療法士としてメディカルチームに勤めること。だった……よね?
雑賀さんは一礼し、さらに謝罪を重ねてしまう。
「本当に申し訳ない。君への役割の変更が、昨日決まったんだ。君の採用決定後に、ここ1週間ほどで、チーム事情が大きく変わってしまって……とにかく、中で話そうと思う」
「え、えぇ……?わか……りました……」
私を介さず決めたのか、なんで!?
こわい!怖いけどいまさら逃げられん!
そしてドアが開き……私は流れのままに会議室に入ってしまった。
そこにいたのは────
「あれ、陽仁、くん?」
黒く輝く大きな瞳と、視線が合う。ダークアッシュに染めた髪はセンター分けにされ、プレー中にヘアバンドで留めている印象とはまた違い、実に柔和だ。
そんなこんなで改めて見ると確かに、本当にイケメンになってしまって……貴公子なだけあるわ。じゃなくてな。
違う……この集まりに参加するには、一見不適切な存在なんだ。今から話すことは選手の土俵じゃない。選手には直接聴かせるべきじゃない話も幾つか出るはずだ。え、そうだよね?そのはずでは?
陽仁くんは困惑する私に向けて、穏やかに微笑んだ。
「本当に来てくれたんだ」
突如として彼の周囲に花畑が咲いた気が、した。その吹き荒ぶキラキラオーラに花弁がさらわれる。私の頭の中で燦然とカスみたいな思い出になっていた───男子ノリの嫌なところを詰め込んだヤンチャなクソガキの像が────消える──────。
…………。
いや誰だよ。
私が冷蔵庫で育ててたプリンを兄と二人して食い散らかして怒りを買ったクソガキはどこだ?私のスカート勝手に持ち出して、兄と爆笑こきながら自分らで着て撮影会してたよなこいつ?おかしいな。
いやまあ、落ち着け。落ち着けよ私。変化をいざ目の当たりにして戸惑ってんじゃない。
そうだ。私も24歳になる。ここは、輝ける大人のレディとして応対するわ。舐めないでちょうだい。
「ありゃ、久しぶりだね、陽仁くん。にしても……どうして?陽仁くんが来るのは聞いてなくて」
横の雑賀さんが代わりに答える。
「それは俺の我儘でね。無理言って彼には同席してもらった」
雑賀さんの補足に、陽仁くんも頷いた。
改めて周囲を見ると、ほぼ初対面の人が多いとはいえども、当初予定していた会議の面子には相違がない……ように見える。陽仁くんたった一人を除き。となると、雑賀さんの"突如同席"というのは本当なのだろう。
にしても、メディカルチームと見られる幾人かにも戸惑いの色が見える。まさか、私以外にも何も聞かされてない人がいるっていうのか……?
「単刀直入に……白銀さんとの契約は理学療法士領域のトレーナー兼フィジカルコーチだったけど。
この場で依頼させて欲しい。実質的に桐村陽仁選手のプライベートスタッフとして帯同をお願いしたい」
ん?ど、どう言う意図で?
さらに困り果て、首を傾げて私は陽仁くんに目線を向ける。何か察したらしく、陽仁くんは挙手して発言した。
「背景の説明からした方がいいかと。白銀さんも混乱してる」
助かる。そう、なにも分かってないんだ私は。やっぱまだ助かってないわ。助けてくれ。わけわからん。
「ここからは、俺が話した方が理解も早いだろうから……よ」
そういい、おもむろに立ち上がったのは九条監督。彼とも面接の時以来だ。
「改めて。白銀さんにはセイラーズの状況。それと、陽仁の置かれた状況について、話そう。割とマズイ状況なんだ」




