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壊れゆく王国

ギルフォード帝国公爵であるアルベルト閣下に導かれ、私は彼の馬車へと招かれた。

 先ほどまで私が乗っていた簡素な馬車とは比べものにならないほど、重厚で豪奢な作り。車内には上質な羊毛の毛布が敷き詰められ、魔導具による暖房が効いていて、春先のような心地よい暖かさに満ちている。

「どうぞ、エレナ嬢。まずはこれを」

 アルベルト閣下は、細長くて美しい指先で、温かいココアが注がれた銀のカップを私に差し出してくれた。

 湯気と共にふわりと甘い香りが広がり、強張っていた私の身体が、芯から解きほぐされていく。

「ありがとうございます、閣下。……私のような素性も知れない追放者を、これほど手厚く迎えてくださるなんて」

「素性が知れない? とんでもない」

 アルベルト閣下は、氷色の澄んだ瞳で私をまっすぐに見つめた。

「『エヴァルト』の名は、我が帝国の魔導学者たちの間でも有名だ。エルランド王国の陰で、代々、凶悪な呪具の暴走を防ぎ続けている稀代の解呪一族だとね。まさか、その当主たる君が、このような扱いを受けて国を追われるとは思いもしなかったが……。あそこの王族たちは、本当に見る目がないらしい」

 私の家系の真の価値を、この人は知っている。

 それだけで、私の胸の奥に、じわじわと温かい感情が広がっていった。

 エルランド王国では、どれだけ命を削って尽くしても、「陰気な女」「お荷物」と蔑まれるだけだったのに。

「君のその素晴らしい魔力と知識は、我がギルフォード領でこそ活かされるべきだ。君さえ良ければ、我が公爵家の『特別魔導顧問』として、力を貸してはくれないか?」

「私でよろしければ……喜んで、閣下のお力になります」

 私が微笑むと、アルベルト閣下は一瞬、眩しいものを見たかのように目を細め、それから嬉しそうに口元を綻ばせた。

 

「交渉成立だな。では、まずは我が邸で長旅の疲れを癒やすといい。君が快適に過ごせるよう、あらゆる準備をさせよう」

 その言葉通り、ギルフォード公爵邸に到着した私を待っていたのは、想像を絶するほどの「極上の歓迎」だった。

「エレナ様! お噂はかねがね! よくぞ我が公爵邸へお越しくださいました!」

「お体に障る呪いの残滓などはございませんか? すぐに最高級のハーブを使ったお湯をご用意いたします!」

 馬車から降りた私を、大勢の使用人たちがまるでお姫様を迎えるかのような熱烈な歓迎で出迎えてくれた。

 案内された私室は、王宮の私の部屋の数倍はあろうかという広さで、ふかふかの天蓋付きベッドに、最新の魔導暖炉、さらには最高級のシルクで仕立てられた美しいドレスが何着も用意されていた。

「これらはすべて、アルベルト様が『エレナ様に最高の居心地を』と自ら手配されたものです」

 そう言って微笑むメイド長さんの言葉に、私の頬が少し赤くなる。

 これまで地下の薄暗い室内に放置され、薄汚れた作業着ばかりを着ていた私にとって、ここはまるで夢のような天国だった。

 久しぶりに温かいお風呂に入り、呪いの苦痛から完全に解放された身体でぐっすりと眠った翌朝。

 鏡に映った私は、自分でも驚くほど輝いていた。

 プラチナブロンドの髪は美しく波打ち、瞳はサファイアのように澄んでいる。

 アルベルト閣下から贈られた、私の瞳と同じ瑠璃色の美しいドレスを身にまとい、私は公爵邸の庭園へと向かった。

 そこでは、アルベルト閣下が待っていた。

 私の姿を見た瞬間、彼は手に持っていた書類を落としかけ、しばらくの間、言葉を失って私を見つめていた。

「……信じられないな。昨日も美しいと思っていたが、今日の君は、まるで雪の妖精のようだ。……いや、あまりに見惚れてしまって失礼した」

 端正な顔を少し赤くして、真面目に謝罪する閣下。

 そのギャップが可笑しくて、私はくすくすと笑ってしまった。

 ここでは、私は笑ってもいいのだ。それだけで、涙が出そうなほど嬉しかった。

 一方その頃。

 私をゴミのように追い出したエルランド王国の王都では、静かに、しかし確実に「破滅の足音」が響き始めていた。

「おい、ミリア! 早くその癒しの魔法とやらをかけろ! なぜ傷が塞がらないんだ!?」

 第一騎士団の訓練場。

 レオンは、怪我をして苦悶の表情を浮かべる部下の騎士を前に、苛立ちを爆発させていた。

 訓練用の木剣で少し擦りむいた程度の傷。本来ならミリアの『癒しの魔法』で一瞬で消えるはずの軽い怪我が、なぜか黒ずみ、激しい痛みを伴って化膿し始めていたのだ。

「え、ええっ!? そんなこと言われても……っ! 私、さっきから何度もヒールを使っているんです! なのに全然効かなくて……!」

 ミリアは可憐な顔を涙で濡らしながら、必死に杖を振るっている。

 しかし、彼女が放つ光の魔法は、騎士の傷口に触れた瞬間、パチパチと弾けて霧散してしまう。

 まるで、騎士の身体そのものが、光の魔法を「拒絶」しているかのようだった。

「くそっ、何なんだこれは! 最近、騎士団の奴らが揃いも揃って体調不良を訴えおる! 全員、身体が鉛のように重いと抜かしおって……! まともな訓練すらできんではないか!」

 レオンは自身の愛剣――国宝級の魔剣『グラム』の柄に手をかけた。

 だが、その瞬間、レオンの顔が歪んだ。

(重い……!? なぜだ、この魔剣が、まるで鉄の塊のように重く感じる……。それだけじゃない、触れているだけで、頭の奥がズキズキと割れるように痛むのはなぜだ……!?)

 今までなら、どれだけ振るっても風のように軽かったはずの愛剣。

 それが今では、持ち上げるだけで息が切れるほど重い。

 レオンは激しい頭痛と吐き気に襲われ、その場に膝をつきそうになった。

「レオン様!? どうされたのですか!?」

「う、うるさい! 近寄るな!……くそっ、北方の遠征の疲れが溜まっているだけだ。ミリア、俺に最高強度の『活性魔法』をかけろ!」

「は、はいっ!」

 ミリアが慌てて魔法を放つが、その光はレオンの身体に届く前に、黒い煙となって消えた。

 

 彼らは知らない。

 今までレオンが魔剣の呪いを受けずに済んでいたのも、騎士たちが無茶な訓練に耐えられていたのも、すべて私が『封魔の指輪』を通して、彼らの「呪い・疲労・精神汚染」をすべて自分の身に吸い寄せ、無害化していたからだ。

 その避雷針エレナは、もういない。

 

 彼らが日々蓄積させていく戦いの「毒」や「呪い」は、今や誰にも遮られることなく、ダイレクトに彼ら自身の肉体と精神へと突き刺さり、蓄積され始めていた。

 しかも、蓄積されるだけではない。

 私が今まで十数年、彼らの代わりにせき止めていた「膨大な呪いのダム」が、決壊して王宮へと逆流し始めているのだ。

「おい! 大変だ! 地下の『封印の宝物庫』から、不気味な黒い霧が噴き出しているぞ!」

 一人の兵士が、顔を真っ青にして訓練場へと駆け込んできた。

「何だと……!?」

 レオンとミリア、そして数人の騎士が慌てて王宮の地下へと向かう。

 地下通路に降りた瞬間、彼らを襲ったのは、鼻を突くような強烈な腐臭と、視界を遮るほどの濃密な紫色の「瘴気」だった。

「うっ……げほっ! な、何だこの不気味な空気は……!?」

「いやあああ! 私のドレスが汚れるわ! 息が、息が苦しい……っ!」

 ミリアが喉をかきむしって悲鳴を上げる。

 地下の最深部、かつて私が毎日籠もっていた宝物庫の扉は、ドロドロとした黒い液体に覆われ、魔法の封印が完全に弾け飛んでいた。

 そこから溢れ出る国家級呪具たちの瘴気は、すでに王宮の地下を侵食し、じわじわと上の居住エリアへと這い上がり始めている。

「なぜだ……! なぜこんなことが起きる! あの無能なエレナは、毎日ここで遊んでいたはずだろ!? ガラクタの掃除一つ、まともに引き継ぎも残さずに消えおって……!」

 レオンは激しい怒りに任せて怒鳴り散らした。

 この期に及んでも、彼は「エレナが裏で何をやっていたか」を理解していない。エレナがただの「掃除番」で、ミリアの光の魔法があればすべて解決すると思い込んでいるのだ。

「ミリア! お前の光の魔法で、この不気味な霧を今すぐ消し去れ!」

「えっ!? あ、あの、でも、こんなにたくさんの瘴気、私一人じゃ……」

「聖女だろうが! 早くしろ!」

「ひ、ひいいっ! 【シャイン・オーラ】!!」

 ミリアが泣きべそをかきながら、最大出力の浄化魔法を放つ。

 まばゆい光が地下通路を満たし、一瞬だけ黒い霧が晴れたように見えた。

「ほら見ろ! やっぱり聖女様の力は素晴らしい! あのエレナとかいう陰気女とは大違い――」

 レオンが勝ち誇ったように笑おうとした、その瞬間。

 キィィィィィィィィン!!!

 鼓膜を突き刺すような金属音が響き渡り、ミリアが放った光の魔法が、何十倍もの質量を持った「黒い呪いの波動」となって、彼女自身へと跳ね返った。

「キャあああああああああああっ!?」

 ミリアは悲鳴を上げて壁まで吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。

 彼女の美しいピンク色のドレスは黒く焼け焦げ、可憐だった肌には、見るも無惨な黒い斑点(呪いの兆候)が浮かび上がっている。

「ミ、ミリア……!? おい、しっかりしろ! 聖女……聖女ォ!!」

 倒れた愛妾を抱き起こしながら、レオンは生まれて初めて、底知れない恐怖に全身をガタガタと震わせるのだった。

 一方その頃、ギルフォード帝国。

 私はアルベルト閣下の案内で、領地内にある「不毛の荒れ地」を訪れていた。

 かつて大戦の折に、強力な大地汚染の呪いをかけられ、作物が一切育たなくなった呪われた土地。

「エレナ。ここを、君の力で浄化することは可能か?」

 アルベルト閣下の問いに、私は柔らかく微笑んだ。

「ええ。とても簡単ですよ、閣下。……私にとっては、王宮のゴミ掃除よりも遥かに優しいお仕事ですわ」

 私は一歩前に踏み出し、手袋を外した右手を、凍てつく大地へとそっとかざした。

 本来の魔力を解放した私の「真の輝き」が、今、北の大地に満ちあふれようとしていた。

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