第一章 1 『異世界、のはずが……?』
白い光が消えると同時に、目の前の景色が徐々に目に飛び込んできた。
風が葉を揺らし、草を撫でていく。春の訪れを感じさせるそんな景色の中、空気には土と草の匂いが混ざっていた。
「ここが……」
周囲の景色を見て、私はどこか新鮮な感覚を覚えた。
自分のいた世界と同じ青い空、白い雲、緑の草。特に変わったところはないように見える。
「ここが異世界なの?」
「……」
辺りを見回しながら、独り言のように言った。
「でも、なんかあまり変わらないね。あのバカ神様、転送ミスったんじゃないの?」
「……」
さっきのことをまだ愚痴っていて、自分の後ろに誰かが立っていることにまったく気づいていなかった。
「……おい。」
後ろから突然話しかけられて、思わず鳥肌が立った。
振り返ると、少し憔悴した様子の神様が、そこにじっと立っていた。
「わあっ、あ、あ、あなた、なんで――なんでここに――」
突然現れた神様に驚いて、戸惑いながら数歩後ずさった。
「……どうやって戻るんだ?」
神様の口調には怒りの気配が混じっていた。フードの隙間から覗くその目は、まるで仇を見るかのように、私をじっと睨みつけている。
目の前で少し震えている神様を見て、私は故作爲に自分の指をつついた。
「知らないよ。転送を担当したのはあなたでしょ?」
口をとがらせて反論すると、神様は拳を握りしめ、手の甲に青筋が浮き出た。
「このお前が――」
自分の指の関節を私のこめかみに当てて、ぐりぐりと押し込んでくる。頭が割れそうな痛さだった。
――本当に痛い。死ぬかと思った。
「いててて、何すんだよ。私のせいじゃないでしょ。あの時どう見ても問題ありそうだったじゃん――」
「そんなの知らねえ。なんで今までは問題が出なかったんだ?」
「知るかよ――!」
神様の手首を掴んで両側に引っ張り、なんとか振りほどこうとした。
「神域から一人いなくなったらどれだけ大変か、お前にわかるのか?今戻れなくなったら、たくさんの人間がこのせいで将来にわたって――」
神様はこめかみをぐりぐりするのをやめ、今度は私の頬を抓り始めた。しかも喋りながらずっと続けている。
私はまさに生け贄の子羊のように、思い切り頬を抓られていた。
「そんなこと知らないよ。あなたが言ったってわかんないよ。やめて、もう頬抓るのやめてよ――」
その時、ようやく神様の手が離れた。背を向けて自分の頬を覆った。こめかみを揉むべきか、頬を揉むべきか、一瞬わからなくなった。
一方、神様は行ったり来たりと歩き回っている。その様子からは、明らかに焦りが見て取れた。
「ちっ、なんでこうなるんだよ。」
神様はフードを脱ぎ、宝石のように透き通った青い瞳を露わにした。
もちろん、片方の目だけそうだった。もう片方の目は白く濁っていて、そこには痛々しい傷跡があった。
その顔立ちは、精巧で華やか。黒と白が混ざった髪、完璧な五感。身にまとった神官服も相まって、まるで古典的な大理石の彫刻のようだった。傷があっても、その顔はつい見とれてしまうほどだった。
そんな彼は、今は髪を掻きむしりながら周囲を観察していて、表情には焦りが浮かんでいた。
「あああ、本当にもう。俺は残業なんて大嫌いなんだよ。」
神様が振り返って、しゃがみ込んでいる私の方を見た。
なんなんだよもう――
心の中で不满そうに呟いた。
「私のせいじゃないでしょ。私も被害者なんだけど……」
「よくもぬけぬけと言えたな。どっちかっていうと俺のほうが被害者に見えるわ。まさかお前がそんなによく言い訳できるとは思わなかったよ。」
その言葉に私も少し腹が立ち、勢いよく立ち上がった。
――まあ、こいつが悪態つかれるのもわかるな。理由もなく人のせいにするなんて、どういう了見だよ――
心の中でそう思った。
「何が言い訳だよ。明らかにあなたのせいでしょ――」
振り返ってよく見ると、表情を歪めた男が自分の前に立っていた。身長も、顔も、スタイルも、完璧な姿だった。
急に緊張して、心の中で葛藤が起きた。
――なんだこれ、イケメンすぎない?さっきの毒舌神様がこれなの?冗談でしょ。いやいや、顔じゃない。顔じゃ問題解決にならない。今はそんなこと考えてる場合じゃない……
「それに、それに――イケメンだからって殴られないわけじゃないんだからね。結局、あんたも私も悪いんだから……でも、どっちかっていうとあんたのほうが悪い――」
「は?その半歩引いた態度はどういう了見だ?」
神様の表情は怒りから戸惑いに変わり、それに少し嫌悪感が混ざっていた。
その顔を見て、少し顔を赤らめ、うつむいて黙り込んだ。
――いやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃないでしょ……
「おい、何赤くなってんだ???」
なんだこれ?神様のご褒美?違う、彼は元々神様だったわ。それに、自分もこの世界の出身で、功績があるとか言ってたし?――じゃあ、背後にはすごい勢力があるんじゃないの?私、怒らせちゃった?もしかして殺されちゃう?違う違う違う。待って、私何で赤くなってるんだよ?違う、この男は危険人物だ!
頭の中で妄想が渦巻き始め、そう思った瞬間、私の顔色はさっと青ざめた。
「なんで急に顔色悪くなったんだ?もしかして、転送されたときに頭おかしくなったのか?急に頭に言葉が流れ込んできて受け入れられないとか?俺の声聞こえるか?おーい――」
神様は前に歩み寄り、私の肩をポンと叩いた。
考えた末に、私は勢いよく後ずさりし、見事な90度の角度でお辞儀をした。
「すみません、軽はずみなこと言いました。どうか私を殺さないでください――」
「はあ――?????」
あまりにも突然の行動に、神様は呆気に取られ、上げた手を空中で止めたまま固まっていた。
「いったい何考えてるんだ?もしかしてお前、本当に頭悪いのか?なんで俺がお前を殺さなきゃいけないんだ?」
姿勢を変えず、体を震わせている。
――動けない。本当に動けない。
「あんたって、そういう――すごい後ろ暗い勢力があるんじゃないですか?それに、神様になれるってことは、きっとすごい功績があるんですよね?それとも、神様を殺して無理やり乗っ取ったとか?とにかくすみません!」
神様の顔は完全に困惑へと変わった。
「俺が?神を殺す?お前、いったい何訳わかんないこと考えてるんだ???」
私は答えず、ずっとお辞儀をしたままだった。てっぺんで神様に向かっている。
二人の周囲には、気まずい空気が漂っていた。
気まずい沈黙が十数秒続き、神様が躊躇いながら口を開いた。
「…………お前――」
神様がこの気まずい空気を変えようとした瞬間、突然びくっとした。
「すみません――」
「黙れ―――!いったい何をやってるんだ?自分で今の状況がおかしいって思わないのか――!?とりあえずさっさと立て。自分でその体勢、疲れないと思わないのか――?」
突然の謝罪に神様も驚き、イライラしながらツッコミを入れた。
おずおずと背筋を伸ばした。長くお辞儀をしていたせいで腰がちょっと痛そうだった。
「なんなんだよ、もう――。そんな変な心配しなくていい。お前を殺したりしないし、俺の後ろに変な勢力があるわけでもない。」
神様にそう言われて、ほっと息をつき、強張っていた体もリラックスした。
「正直に言うと……お前と一緒に転送されるくらいなら、オタクの女の子と一緒のほうがマシだ。せめて異世界の常識くらい知ってるからな。」
なんだその嫌そうな口調は。
心の中で少し不満に思ったが、面と向かって文句を言う勇気はなかった。
「私だってそれくらい知ってるよ。まずは町に行ってギルドを探して、それから職業を選ぶんでしょ――」
「俺の提案としては、まずは自分の置かれてる状況を見たほうがいい。今やるべきことは、まず町を見つけることだ。」
その時、自分たちがいる場所が名もなき草原であることに気づいた。
辺りを見回しても、町の気配はまったくない。代わりに、周りは木々に囲まれているだけだった。
「そうだね。でも、どうやって町を見つければいいの?」
周囲を見渡しながら、神様に方法を尋ねた。
神様は空を見上げ、周囲の様子を観察し始めた。私の問いかけには答えない。
その時、神様が突然しゃがみ込み、地面に手を触れた。
「……?何やってるの?今は町を見つける方法を考える時じゃないの?なんで突然しゃがんだの?もしかしてここに来て急に具合悪くなったとか?それとも神域に引きこもりすぎたとか?」
「……」
神様は私の問いかけを無視して、地面に手を当て続けた。
「まさか、土下座で神様にお祈りするつもりじゃないよね?」
「黙ってろ。お前は黙ってたほうがいい。」
しつこい問い詰めに、神様はイライラしながら返事をした。
でも、こうしているのを見ると、これ以上何かを言うのも悪い気がした。どうやら今は本当に真面目にやっているらしい。
神様は手のひらを地面に当て、目を閉じた。彼の体の周りに、奇妙な物質が現れ始めた。四方八方からゆっくりとその手のひらの方へ集まってくる。それらの物質は現れたり消えたりを繰り返し、まるで意思を持っているかのように動いていた。
やがて強い光が走り、地面に小さな魔法陣がくっきりと浮かび上がった。規模は大きくないが、二人が立っていられるくらいの大きさだ。
「よし、こっちに来い。この法陣は町に繋がってる。今回は動くなよ。もしまた勝手に動いて外に出たら、迎えになんか戻らないからな。」
「また転送陣かよ……あなたの転送陣って、本当に大丈夫なの?」
私は疑わしそうに言った。実は転送陣に文句があるわけじゃない。ただ、この神様が作った転送陣に文句があるだけだ。
「行かないっていうなら、俺は行くぞ。その時は自分で戻る方法を探すから、お前はここで勝手に生きるも死ぬも好きにしろ。その時はきちんとお前の葬式は挙げさせてもらうからな。」
「わ、私はそんな簡単に命を諦めたりしないからね。」
そう言うものの、まだ少し迷っている。だってこの転送陣、めっちゃ狭いんだもん……
「一人でここで勝手に生き死にしたくないなら、早く入れよ――!?なに外でぐずぐずしてるんだよ――」
「あ、えっと……」
「警告しておくけど、もしまた変なこと考えてたら、転送中にお前を蹴り出すからな?」
神様は魔法陣の中に立ち、黒い顔で私を脅した。
「わ、わかったよ。入ればいいんでしょ。蹴り出すとか言わないでよ……」
私は大股で魔法陣の中に歩み寄り、神様の隣に立った。
――こうなったら、もう付いて行くしかない。この人、なんか頼りないけど。
その瞬間、またしても白い光が走った。




