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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百四十一話「ルネの適性」

 神学校までの道のりは、想像以上に長く感じた。

 王都のスラムと神学校は距離が近いようで遠い。

 たった数十分歩くだけで、空気が変わり、人々の目つきが変わる。


 スラム出身丸出しのぼろ布の服を着た子供を連れて歩く、冒険者風の俺とニト。

 このあたりでは場違いもいいところだ。


「おい、あのガキ……」

「スラムの子供か? なんでこんなところに?」


 ひそひそ声があちこちから刺さるように聞こえてくる。

 ルネはビクリと肩を震わせた。


「大丈夫だよ。怖くない」


 そう言ってそっと手を差し出すと、ルネは躊躇いながらも握り返してきた。

 細くて、折れそうで、壊れそうな手。


 ――こんな子を、またあの寒い墓地に返すなんて無理だ。絶対。


 胸の奥で、熱い感情がじわりと広がる。

 ただ、やはり周囲の視線は痛かった。


『目立ってるねー』

『不躾な視線ですわね』


 神学校へ続く坂道を足早に上る。

 だが途中でルネの足が止まった。


「大丈夫か?」

「だ、だいじょうぶ!」


 言葉とは裏腹に、ルネは汗だくで息も荒い。

 ここで休ませてもいいが、注目を浴び続けるのもストレスだ。


「……よし」


 俺は小さく息を吸い、ルネを横抱きに抱き上げた。


「わっ!?!?」

「悪いけど、ちょっと我慢してくれ」


 細く軽い体。

 この身体で坂道を歩かせるのは酷だろう。


 そして、気になるのが――匂い。

 俺も昔指摘されたが、洗っていない犬みたいな強烈さだ。


『シュネ、ルネの体、こっそり洗ってやれるか?』

『はーい。お任せあれ〜』


 その声とともに、腕の中のルネの身体に一瞬だけ湿気がまとわりつく。

 シューッという小さな音がして、すぐに空気が乾いた。


 残ったのは、まったくの無臭。


「え……? 今、なに……?」


 ルネが驚いて俺を見上げる。

 俺は人差し指を口に当て、内緒だと示す。


 そのまま、俺たちは足早に神学校へ向かった。


 神学校の簡易判定機は、机の端に置かれた水晶玉のような装置だ。

 半透明の球体が金属製の台座に固定され、細いコードが魔導板へ伸びている。

 俺も入学時にこれで冷や汗をかかされた。


 説明すると、事務の女性は最初こそ俺たちの格好に驚いていたが、すぐに理解して装置の使用を許してくれた。


「うまくいくといいけどな……」


 俺は緊張しつつ、ルネの背中を優しく押し出す。


「こ、この上に……手を置くの?」

「ああ、軽く触るだけでいい」


 ルネは恐る恐る手を伸ばす。

 その小さな手が水晶に触れた瞬間――。


 ぱあっ、と。


 柔らかい白色の光が水晶の内部から溢れ出した。


「……まあ!」


 事務の女性が感嘆の声をあげる。

 俺は俺で、小さくガッツポーズを決めていた。


『疑っていたわけじゃないけど、光ったか……』

『でしょでしょー』


 ルネは光る水晶を呆然と見つめ、ぽかんと口を開けている。

 何が起きたか理解できていないようだが、一つだけ確かなことがある。


 ――これで、この子は救われる。


「ルネ、君はすごいよ。光魔法の適性があるってことは……教会が保護してくれる」


 俺がそう告げると、ルネは震える声で呟いた。


「わ、私……役に……立てるの……?」

「もちろん」


 その瞬間。

 ルメの目からぽろ、ぽろと涙がこぼれた。


「う、うう……っ」


 堰を切ったように涙が落ち、声を押し殺して泣き始める。

 その姿はあまりにも小さくて、あまりにも弱かった。


 俺はそっとルメの頭に手を置いた。


 大丈夫。

 この子は今日で、墓地の孤児じゃなくなる。


「……確かに、光魔法の適性がありますね」


 事務室の空気がひときわ静まり返った。

 そう呟いたのは、俺が神学校に入学したとき受付を担当してくれた、落ち着いた雰囲気の女性聖職者だ。名前は知らないが、柔らかな声と穏やかな表情だけはよく覚えている。


 彼女は水晶板の淡い光が消えていくのを見届けると、静かに息を吐き、ルネの前にしゃがみ込んだ。


「よく聞きなさい。貴方には素晴らしい“神に仕える資質”があります。その資質は貴方自身のもの。そして――私たちは、その力を必要としています」


 ルネは固まったように動かない。

 六歳の子には重い言葉かもしれないが、聖職者の声音はあくまで優しく、押しつけがましさはなかった。


「どうですか? 貴方が望むなら、その資質をさらに伸ばし、育てていきたいと思っています。必要な援助は惜しみません。ここでの暮らしが貴方を傷つけることもありません」


 その言葉を聞いたルネは、不安そうに俺を見上げた。


 ――本当にいいの?


 小さな瞳がそう問いかけてくる。


「ルネ」


 俺はしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。


「きっと、君のためになると思う。何より……もう、あんな場所で暮らさなくていいんだ」


 ここに来る途中、何気なく両親のことを聞いたとき、ルネは小さく答えた。


「少し前に……死んだ」


 悲しみはなかった。ただ乾いた空虚だけがあった。

 泣くことすら忘れたような目。

 それが、俺にはたまらなく悲しかった。


 ――この子を放っておけるはずがない。


 だからここまで連れてきた。

 適性判定を見た今なら、俺の選択は間違いじゃなかったと思える。


「……うん」


 ルネが小さく頷くと、聖職者はほっとしたように微笑み、その小さな手をそっと包み込んだ。


「これからは私たちがあなたを守ります。安心してついていらっしゃい」


 その瞬間、ルネの表情が初めて少し緩んだ。


 こうして――ルネは教会に保護されることになった。


 まだ六歳という年齢もあり、しばらくは教会内で寝泊まりし、生活の仕方を学ぶという。

 十歳になれば、きっと神学校に正式に入学することになるだろう。


 俺はルネの頭をぽんぽんと軽く撫でた。

 ルネはくすぐったそうに、けれど嬉しそうに目を細めた。


 ……どうか、明るい未来を。


 胸の奥から自然に、そんな祈りが湧き上がった。


 ルネを引き渡して外に出ると、夕方の光が差し込んでいた。

 思ったより時間が経っていたらしい。俺は急いで冒険者ギルドへ向かう。


 ギルド前では、ニトが腕を組んで待っていた。


「遅えよ」

「悪い。でも待ってなくてもよかったのに」

「うるせえ。んなわけにもいかねえだろが」


 悪態をつきながらも、ちゃんと待っていてくれたらしい。

 スラムの顔役への報告も、ギルドへの達成報告も済ませてくれたようだ。


 雑なようでいて律儀。これがニトだ。


「んで、どうなった?」


 ぶっきらぼうな言い方だが、明らかに心配している目だった。


「ルネだけど、光魔法の適性があったよ。教会で保護してもらえる」

「……マジかよ」


 ニトが絶句した。

 俺の話を半分くらいしか信じていなかったのだろう。

 スラムの生活は“信じるより疑うことで生き延びる”世界なのだ。


「だから心配いらないよ」

「べ、別に心配なんてしてねえけどよ……」


 そっぽを向く。耳がうっすら赤い。


 そこへカエリの声が聞こえてきた。


『そういえばさー、こいつにも魔法の適性ありそうだよな』

『え、マジで?』

『マジだって。光じゃなくて火だけどな』


 火の精霊であるカエリが確認したのなら、それは確かなのだろう。


 ……それにしてもニトって火属性持ちか。いや、めちゃくちゃ似合うけど。


 思わずまじまじとニトの顔を見てしまう。


「なんだよ? 人の顔じろじろ見て」

「あ、いや……なんでもないよ」


 危ない危ない。

 魔法適性のことを軽々しく話すわけにはいかない。


 慌てて話題を変える。


「それで、依頼は無事達成ってことでいいんだよな?」

「ああ、問題ねえよ。スラムの奴らも感謝してた」

「そっか、よかった」

「ほれ、報酬の分け前だ」


 革袋が放り投げられ、俺はそれを受け取る。


「あれ? なんか多くないか?」

「あ? お前のほうが活躍したんだから当たり前だろ。俺なんかぶっ倒れてただろーが」

「いやいや、山分けでいいよ」

「ああ? いいんだよ正当な報酬だっての」

「でも――」


 言い合いになりかけたところで、ニトがぶち切れた。


「ああーっ!! うるせえ! 俺がいいって言ってんだろが! 黙って懐にしまいやがれっ!」


 そう怒鳴ると、そっぽを向いたまま歩き出す。


「お、おい待てよ!」


 俺は慌てて袋をしまい、後を追って走り出した。


 なんていうか、ニトは本当に――。


 ……不器用なやつだな。


 彼の背中を追いながら、気づけば俺は笑っていた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

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