第二百四十一話「ルネの適性」
神学校までの道のりは、想像以上に長く感じた。
王都のスラムと神学校は距離が近いようで遠い。
たった数十分歩くだけで、空気が変わり、人々の目つきが変わる。
スラム出身丸出しのぼろ布の服を着た子供を連れて歩く、冒険者風の俺とニト。
このあたりでは場違いもいいところだ。
「おい、あのガキ……」
「スラムの子供か? なんでこんなところに?」
ひそひそ声があちこちから刺さるように聞こえてくる。
ルネはビクリと肩を震わせた。
「大丈夫だよ。怖くない」
そう言ってそっと手を差し出すと、ルネは躊躇いながらも握り返してきた。
細くて、折れそうで、壊れそうな手。
――こんな子を、またあの寒い墓地に返すなんて無理だ。絶対。
胸の奥で、熱い感情がじわりと広がる。
ただ、やはり周囲の視線は痛かった。
『目立ってるねー』
『不躾な視線ですわね』
神学校へ続く坂道を足早に上る。
だが途中でルネの足が止まった。
「大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶ!」
言葉とは裏腹に、ルネは汗だくで息も荒い。
ここで休ませてもいいが、注目を浴び続けるのもストレスだ。
「……よし」
俺は小さく息を吸い、ルネを横抱きに抱き上げた。
「わっ!?!?」
「悪いけど、ちょっと我慢してくれ」
細く軽い体。
この身体で坂道を歩かせるのは酷だろう。
そして、気になるのが――匂い。
俺も昔指摘されたが、洗っていない犬みたいな強烈さだ。
『シュネ、ルネの体、こっそり洗ってやれるか?』
『はーい。お任せあれ〜』
その声とともに、腕の中のルネの身体に一瞬だけ湿気がまとわりつく。
シューッという小さな音がして、すぐに空気が乾いた。
残ったのは、まったくの無臭。
「え……? 今、なに……?」
ルネが驚いて俺を見上げる。
俺は人差し指を口に当て、内緒だと示す。
そのまま、俺たちは足早に神学校へ向かった。
神学校の簡易判定機は、机の端に置かれた水晶玉のような装置だ。
半透明の球体が金属製の台座に固定され、細いコードが魔導板へ伸びている。
俺も入学時にこれで冷や汗をかかされた。
説明すると、事務の女性は最初こそ俺たちの格好に驚いていたが、すぐに理解して装置の使用を許してくれた。
「うまくいくといいけどな……」
俺は緊張しつつ、ルネの背中を優しく押し出す。
「こ、この上に……手を置くの?」
「ああ、軽く触るだけでいい」
ルネは恐る恐る手を伸ばす。
その小さな手が水晶に触れた瞬間――。
ぱあっ、と。
柔らかい白色の光が水晶の内部から溢れ出した。
「……まあ!」
事務の女性が感嘆の声をあげる。
俺は俺で、小さくガッツポーズを決めていた。
『疑っていたわけじゃないけど、光ったか……』
『でしょでしょー』
ルネは光る水晶を呆然と見つめ、ぽかんと口を開けている。
何が起きたか理解できていないようだが、一つだけ確かなことがある。
――これで、この子は救われる。
「ルネ、君はすごいよ。光魔法の適性があるってことは……教会が保護してくれる」
俺がそう告げると、ルネは震える声で呟いた。
「わ、私……役に……立てるの……?」
「もちろん」
その瞬間。
ルメの目からぽろ、ぽろと涙がこぼれた。
「う、うう……っ」
堰を切ったように涙が落ち、声を押し殺して泣き始める。
その姿はあまりにも小さくて、あまりにも弱かった。
俺はそっとルメの頭に手を置いた。
大丈夫。
この子は今日で、墓地の孤児じゃなくなる。
「……確かに、光魔法の適性がありますね」
事務室の空気がひときわ静まり返った。
そう呟いたのは、俺が神学校に入学したとき受付を担当してくれた、落ち着いた雰囲気の女性聖職者だ。名前は知らないが、柔らかな声と穏やかな表情だけはよく覚えている。
彼女は水晶板の淡い光が消えていくのを見届けると、静かに息を吐き、ルネの前にしゃがみ込んだ。
「よく聞きなさい。貴方には素晴らしい“神に仕える資質”があります。その資質は貴方自身のもの。そして――私たちは、その力を必要としています」
ルネは固まったように動かない。
六歳の子には重い言葉かもしれないが、聖職者の声音はあくまで優しく、押しつけがましさはなかった。
「どうですか? 貴方が望むなら、その資質をさらに伸ばし、育てていきたいと思っています。必要な援助は惜しみません。ここでの暮らしが貴方を傷つけることもありません」
その言葉を聞いたルネは、不安そうに俺を見上げた。
――本当にいいの?
小さな瞳がそう問いかけてくる。
「ルネ」
俺はしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。
「きっと、君のためになると思う。何より……もう、あんな場所で暮らさなくていいんだ」
ここに来る途中、何気なく両親のことを聞いたとき、ルネは小さく答えた。
「少し前に……死んだ」
悲しみはなかった。ただ乾いた空虚だけがあった。
泣くことすら忘れたような目。
それが、俺にはたまらなく悲しかった。
――この子を放っておけるはずがない。
だからここまで連れてきた。
適性判定を見た今なら、俺の選択は間違いじゃなかったと思える。
「……うん」
ルネが小さく頷くと、聖職者はほっとしたように微笑み、その小さな手をそっと包み込んだ。
「これからは私たちがあなたを守ります。安心してついていらっしゃい」
その瞬間、ルネの表情が初めて少し緩んだ。
こうして――ルネは教会に保護されることになった。
まだ六歳という年齢もあり、しばらくは教会内で寝泊まりし、生活の仕方を学ぶという。
十歳になれば、きっと神学校に正式に入学することになるだろう。
俺はルネの頭をぽんぽんと軽く撫でた。
ルネはくすぐったそうに、けれど嬉しそうに目を細めた。
……どうか、明るい未来を。
胸の奥から自然に、そんな祈りが湧き上がった。
ルネを引き渡して外に出ると、夕方の光が差し込んでいた。
思ったより時間が経っていたらしい。俺は急いで冒険者ギルドへ向かう。
ギルド前では、ニトが腕を組んで待っていた。
「遅えよ」
「悪い。でも待ってなくてもよかったのに」
「うるせえ。んなわけにもいかねえだろが」
悪態をつきながらも、ちゃんと待っていてくれたらしい。
スラムの顔役への報告も、ギルドへの達成報告も済ませてくれたようだ。
雑なようでいて律儀。これがニトだ。
「んで、どうなった?」
ぶっきらぼうな言い方だが、明らかに心配している目だった。
「ルネだけど、光魔法の適性があったよ。教会で保護してもらえる」
「……マジかよ」
ニトが絶句した。
俺の話を半分くらいしか信じていなかったのだろう。
スラムの生活は“信じるより疑うことで生き延びる”世界なのだ。
「だから心配いらないよ」
「べ、別に心配なんてしてねえけどよ……」
そっぽを向く。耳がうっすら赤い。
そこへカエリの声が聞こえてきた。
『そういえばさー、こいつにも魔法の適性ありそうだよな』
『え、マジで?』
『マジだって。光じゃなくて火だけどな』
火の精霊であるカエリが確認したのなら、それは確かなのだろう。
……それにしてもニトって火属性持ちか。いや、めちゃくちゃ似合うけど。
思わずまじまじとニトの顔を見てしまう。
「なんだよ? 人の顔じろじろ見て」
「あ、いや……なんでもないよ」
危ない危ない。
魔法適性のことを軽々しく話すわけにはいかない。
慌てて話題を変える。
「それで、依頼は無事達成ってことでいいんだよな?」
「ああ、問題ねえよ。スラムの奴らも感謝してた」
「そっか、よかった」
「ほれ、報酬の分け前だ」
革袋が放り投げられ、俺はそれを受け取る。
「あれ? なんか多くないか?」
「あ? お前のほうが活躍したんだから当たり前だろ。俺なんかぶっ倒れてただろーが」
「いやいや、山分けでいいよ」
「ああ? いいんだよ正当な報酬だっての」
「でも――」
言い合いになりかけたところで、ニトがぶち切れた。
「ああーっ!! うるせえ! 俺がいいって言ってんだろが! 黙って懐にしまいやがれっ!」
そう怒鳴ると、そっぽを向いたまま歩き出す。
「お、おい待てよ!」
俺は慌てて袋をしまい、後を追って走り出した。
なんていうか、ニトは本当に――。
……不器用なやつだな。
彼の背中を追いながら、気づけば俺は笑っていた。
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