第二百四十話「スラムのルネ」
ニトは地面に転がった蛇の魔獣を足で軽くつつきながら、しゃがみ込んだ。
首を落とした胴体はまだ痙攣しており、ぬめりのある鱗が光を反射している。
「こいつ、この辺によく出るタグヘビの魔獣だな。毒なんて持ってねぇはずだけどな」
ニトは眉を顰め、蛇の牙を指先で押して確かめた。
「魔獣化して、毒を持ったんじゃないか?」
「まあ、だな。そういう変異はちょくちょくあるしな」
蛇の体を割ると、中からごろっと茶色い魔石が転がり出た。
光をほとんど反射しない、くすんだ茶色。
「土属性だな」と俺はつぶやく。
目撃された魔獣は一匹だけ。
危険な個体だったが、始末はできた。これで依頼は達成だ。
俺は振り返り、さっき治癒したばかりの子供の前にしゃがみ込む。
怯えているのか、両腕を抱きしめ、小刻みに震えていた。
「さて、と。家に帰ろうか」
優しく言うと、子供は顔を上げた。
泥で汚れた頬に涙の跡が一本。目は腫れて、声は弱く――。
「……帰る家なんて、ないよっ」
か細い声が、墓地の湿った空気に溶けていった。
俺は言葉を失った。
まさかの、路上生活の孤児――。
「お前、名前は?」
ニトが子供の肩を軽く叩くようにして尋ねる。
「……ルネ」
それがこの子の名前だった。
「帰る家がねえって、お前、いつもはどこで寝てんだ」
ニトの問いに、ルネは小さく震える指で、指差した。
この墓地の、隅の方。
ぼろ布が木にくくりつけられている簡易テントのようなもの。
「……ここ」
「はあっ?」
ニトは目を丸くした。
俺は言葉より先に、自分の胸がじくりと痛むのを感じていた。
墓地を……ねぐらに?
思わずニトを見る。
「なあ、どうする?」
助けたい。
けれど、どうしたらいいのか。
ニトは肩を竦めた。
「どうするっつったって、どうしようもねえだろ。俺たちが魔獣を倒した。こいつは運よく助かった。それだけだ」
「……っ」
その割り切った言葉に、俺は瞬間、絶句した。
でも同時に気づく。
ニトの言っていることが、この世界の、この王都スラムの普通なのだと。
「お前、こいつをどうこうできるのか? 住むとこ、食いもんの面倒をずっと見れんのか?」
「……それは」
できない。
俺は根無し草のような存在で、神学校に仮住まいしているだけ。
そんな俺に、子供を引き取るなんてできるわけがない。
神学校に連れていけば、教師たちの目に触れて面倒なことになるだろう。
孤児院があればいい、と思ったが。
「孤児院とか、ないのか?」
俺の問いに、ニトは鼻で笑った。
「はっ! バカ言え。あんなとこに行ったらただ奴隷みてえに食いつぶされるだけだ」
「え……?」
どうやら孤児院はあるらしい。
あるが、事情は最悪らしい。
「貴族の道楽でやってるようなもんだ。飯は出るが、無給でこき使われて、運が悪けりゃ人身売買で売られる。まあ、そんなんだ」
「奴隷制度は禁止されてるんだよな?」
「制度はな。でも奴隷みてぇな人間はいくらでもいる。分かるだろ?」
……分かる。
日本でも聞いたことがある、制度上は存在しないはずなのに実質的にはあるってやつだ。
世界が変わっても、こういう構造はやはりあるのだ。
「孤児院はだめ、か……」
じゃあどうする。
俺が悩んでいると、リラの念話が飛んできた。
『ねえ、さっきの蛇ってさー、魔力が多いケイスケを狙ってたよねー?』
『そうなのか?』
『うん。きっとそうだよー』
『そうなのか』
俺はあまり自覚はないが、リラが言うならそうなんだろう。
『ということは、あの蛇は魔力が多い人間を襲っていたということで、この子にも魔力があるってことじゃないー?』
『うん、そうだな?』
この世界の人間はみんな魔力を持っている。
魔法の適性の有無は違うけど。
『私が見た感じ、この子、結構光魔法の適性ありそうなんだよねー』
『え? マジで?』
『うんうん、マジマジー。試しにさ、あれ使ってみればー?』
『あれ?』
リラの「あれ」とは――。
教会にある光魔法の適性を診断する機械のことだった。
俺が最初にハンシュークの教会で使ったときは大掛かりだったが、神学校のは簡易式で、“光魔法を使えるかどうか”だけ判断できるものだ。……多分。
でも、それで十分だ。
光魔法の適性があれば……神学校へ入れる可能性がある。
そうじゃなくても、教会の保護は受けられるだろう。
そうすれば、衣食住が揃い、話を聞く限り、貴族の孤児院よりずっと安全だ。
「おい、どうした? 早く依頼達成の報告に行くぞ」
突然黙り込んだ俺に、ニトが眉を顰めて声をかけてきた。
墓地の薄暗い空気の中で、俺はまだルネという名の子供を見ていた。
六歳らしいが、もっと小さく見える。栄養状態の悪さで、体が縮んでいるんじゃないかと思えるくらいに。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「はあ? また何だよ。もう用は済んだだろ」
ニトは子供のことをもうまったく気にしていない。
いや、それがこの世界の、特にスラムの常識なのだろう。
助けたら終わり。命があっただけまし。それ以上は踏み込むな。
でも――俺はそこまで割り切れない。
「ニト、ひとつ聞きたいんだが、教会の評判はどうなんだ?」
「あ? 教会ぃ?」
ニトが露骨に顔をしかめた。
やっぱりあまり縁がないのだろう。
「ああ、俺の行っている神学校でもいい。ニトから見てどうだ?」
「教会なぁ……」
ニトは腕を組んでしばらく考える。
珍しく真面目な顔だった。
「なんていうか……縁がねえ。生まれてこのかた行ったことねえしな」
「……縁?」
「ああ。スラムにいると、関わる理由がねえんだよ。たまに炊き出ししてたりはすんだけど、あんなの腹に入りゃいいってだけの話だし」
なんとなく、彼の生活が透けて見える。
餓死しないために食えるものには手を伸ばす。
それ以上でも以下でもない。
「綺麗ごと言ってる連中って印象だな」
まあ、それもわかる。
必死に生きる人間にとって、宗教なんて二の次だろうから。
「戒律は聞いたことあんぞ。守ろうとする奴もいる。元貴族だとか元商人だとか、いろんな落ちぶれがスラムには混ざってるからな」
「じゃあ、悪い印象はないってことか? 悪い噂とかも?」
「まあ……ねえな」
なんだその含みのある言い方は。
孤児院の話をしたときみたいな露骨な嫌悪は感じないが、どこか警戒はあるようだ。
でも、ひとつわかったことがある。
――教会は少なくとも、孤児院やスラムよりははるかにマシなのだ。
それなら、賭ける価値はある。
「なら、ちょっとこの子、教会に連れて行ってもいいか?」
「は?」
ニトの目が一瞬で丸くなる。
それもそうだ。
墓地で寝泊まりしていた孤児を、いきなり教会に連れて行くだなんて普通は考えない。
その横で、ルネは俺とニトを交互に見ていた。
表情は硬い。
恐怖しか知らない子供の顔だ。
「ルネ、多分、君には光魔法の適性がある。適性があれば、教会が保護してくれるはずだ。どうかな?」
俺はできるだけ優しく声をかけた。
「おい、マジかよ」
「大マジだ」
ニトの驚きに、俺は断言する。
リラの言葉に嘘はないし、精霊である彼女がそう判断したというなら確度は高い。
実際は、俺の血を舐めさせればスマホのステータス画面で魔力量も適性も確認できる。
しかし――。
いや、絶対ダメだろそれ……俺がガチの危ない奴になる……。
見知らぬ子供に血を舐めさせるなんて日本でも異世界でもアウトだ。
「どうかな?」
俺はもう一度問いかける。
ルネは長い沈黙のあと、ぎゅっと唇を噛んでから――。
こくり、と小さく頷いた。
その仕草は弱々しいけれど、確かな意志があった。
それに胸を掴まれる。
「よし。じゃあ神学校に行こう。大丈夫」
「お、おう……」
ニトは納得していないような顔をしていたが、文句は言わなかった。
墓地を出るとき、ルネは俺の袖をそっと掴んだ。
その手は冷たく、震えていた。
――この子にとって、俺たちの背中が世界のすべてなのだろう。
その重みを感じながら、俺は歩き出した。
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