侍の心得其五十四 見え始めた輪郭
次の日、某は昨日と同様、父上と母上とシーカスを伴って、親方の家の前に立っていた。
ちなみにであるが、今日も、昨日様子を見に行った病欠者に関しては誰一人として製材所には来ていない。さぼり組に関しては流石に二日も家で過ごすことは出来なかったのか普通に来ており、昨日、母上が伝えた伝言が効いているのか朝から貧民の職人にこってり絞られていた。
「ミルは大丈夫であろうか......?」
すると、某の肩の上に手が置かれた。見上げれば、母上が某に向かってほほ笑んでいる。どうやら聞こえてしまったらしい。某は少し母上から目を逸らした後、備え付けの呼び鈴を鳴らす。
すると、中から、「はーい」と返事が聞こえてくる。しばらく待つと、来ているものは普通の平民と変わりないが、淡い赤の髪を腰まで伸ばした線の細い女性が出てきた。こういうと失礼かもしれないが、全身の凹凸がな......
うぅ、何か寒気がするので止めておこう。
一つ確かなことは、それでもかなりの美人ということだ。
「どちら様ですか?」
「某達は製材所で働かせてもらっているのだが、今日は親方の様子を見に来させていただいたのでござる」
そう言った後、それぞれが自己紹介をすると、女性は笑って頷いた。
「まあ、わざわざありがとうございます。でしたら、狭い家ですが上がってください。お客様を玄関で立たせたままにするというのは申し訳が立ちませんから。皆さんのことは主人とミルから聞いています。こうして会うのは初めてですが初めて会った気がしませんね......あ、私はアドゴラの妻、サリーチェと申します。サリーと知り合いからは呼ばれています。では」
そう言うと某達に家の中を示した。某、親方の妻と言えばもっとガツガツした感じかと思っていたが、それとは真逆の、しとやかでありながら芯の強そうな女性だ。言葉遣いにもそれがあふれ出ている気がする。
それとは別に、親方の家族であり、生活を共にしているサリーさんにはまだ症状が出ていないようで某は安心した。そうは言えども、これが、某の知る疫病と同じであれば、菌によるものであろう故に潜伏期間が長い可能性も考えねばならない。
今回倒れた平民たちは修行を始めてから二ヶ月足らず、某が原因と睨んでいる糞尿を被った時に感染したと考えるとかなり長い時間発症していない。それに照らし合わせれば、サリーさんが感染している可能性だって捨て切れない。
そんなサリーさんの後に続き、親方とミルちゃんが眠る部屋へと案内された。
「あれ? どうしてここにござる君がいるの?」
部屋に入ると、起きていたのだろう、ミルが某を見て弱弱しく言った。よく見てみれば、顔はまるで照れているかのように真っ赤に染まっている。無論、照れているのではなく、明らかに熱があってのことなのだが。
「みんな、ミルとパパのことを心配して来てくれたのよ~ でも、これから皆さんと大事なお話があるからミルは別の部屋で寝てくれる?」
「えー......折角ござる君が来てくれたのに」
ミルは元気が無いながらも、某と遊んだりお話したいらしく母親のサリーさんの言葉でも納得が出来ない様子。とはいえ、熱のおかげでいつものように我儘も言えないといったところであろうか。ここは某がひと肌脱ぐべきであろう。ミルとてずっと外に出られず家に居続けるのが辛いことは某だってよく知っている。
「では、サリーさん、某が一つミルと一緒にその部屋とやらに付き添おうと思うが良いでござるか?」
某は、その言葉を発しながら、ミルに悟られないように、母上と父上とシーカスの目だけを見て、言外に事情の説明をしておいて欲しいという意味を込めるとどうやら察してくれたようで頷いてくれる。
そんな某を見て、サリーさんはかなり驚いた表情をしている。一体どうしたのであろうか? 某、今、何かおかしなことをしたであろうか?
とはいえ、そんなサリーさんの服の袖を引っ張ってミルは言う。
「ねぇ、ママ、ござる君といっしょならべつのおへやにいってもいいよ」
「へ? あ、うん。ミルが良いなら......案内は大丈夫?」
「うん」
そう言って、未だ驚きから解放されていないサリーさんを置いて、ミルは某の方へと歩いてくる。
「おんぶ」
某はミルに言われるままに自然な流れでおんぶする。やはり、ミルは風邪の影響か、以前の元気な時と比べて、全身が熱く、某に捕まる力がどことなく弱い気がした。
「あっち」
「うむ。分かったでござる」
ミルは指を差し、某はそれを見て言われるままに進む。部屋を出る時、背中から、心配そうな視線とどこか小動物を愛でる時のような温かい視線を感じた気がした。
来るときに案内された廊下を少しだけ戻り、途中で通りすぎた扉の前までやってくるとミルが「ここ」と言ったので、某もまたそれに倣ってその場で立ち止まり、その部屋に入った。
中に入ると大きめのベッドが一つ置かれていた。と言っても、ベッド自体は貧民街で使われているものとそう変わり映えはしない。せいぜい、詰め込まれた藁を包むシーツが少し上等なくらいだ。それ以外に特に何かがあるわけではない。
とはいえ、先ほどの部屋にもベッドがあったがこれは一体どういうことであろうかとも思う。
「ここ、ミルがねたあととか、ミルがひとりであそんでるときに、パパとママがいっしょに入っていくへやなの。でも、ミルはほとんどいれてもらえないから中でなにをしているか知らないの」
――おおう、パパさんママさんやることはちゃんとやっているのでござるな......――
こういう時は前世の知識が邪魔になる。ミルに合わせて「なにをやっているんでござろうな」とか、自然に言えたらどれだけ良いことか。某はここで行われているであろう行為を知っている。そして、そういう話を聞けば某とて想像させられる。いや、してしまうと言った方が正しいであろう。ずっと、純潔......を守り続けたピュアな某にとって自然に取り繕うには経験が足りな過ぎた。
「ござる君? きゅうにどうしたの? くるしいの?」
「はっ! 大丈夫でござるよ。さあ、お姫様、横になるでござる」
某は、病人であるはずのミルにまで心配されてしまった。不覚でござる。こういう時は、法華経に限る。
――じーがーとくぶつらいしょーきょーしょーこーしゅー......――
「よし、これで某は大丈夫でござる!」
「なにがだいじょうぶなの?」
「某の心の平静と安穏でござるよ」
「ふーん、よくわかんないけど、変なの」
変と言われようが、必要な作業なのだ。特に無垢な純情を持つ五歳の女の子を前に、邪な妄想を抱いた童貞が近づくなどあってはならぬことなのだ! 心頭滅却することは理性を保つ上で大切なことである。某は自分の中でその言葉を反芻した。
余計な妄想が入り込んだおかげで某は苦労させられたが、実はミルと二人きりになれたことは色んな意味で都合が良かったりする。とはいえ、某の目的を果たすにはミルに眠ってもらわねばならぬ。そんなわけで某は横になったミルを撫でながら、前世で聞きかじった程度の知識ではあったが子守唄を歌ってみる。
「ねーんねーんころーりやおこーろりや」
「へんなお歌だね」
「変なとは失礼な! これは子守唄といって、ミルみたいに小さい子が落ち着いて眠れるように歌うのでござるよ」
「ござる君も歌ってもらうの?」
「む、某は......」
「ござる君はうそつきなの?」
「むむむむ。嘘はついていないでござるが......そう! 某、遠くから来た冒険者に教えて貰ったのでござる! これを歌えば気持ちよく眠れると言っていたのを思い出したのでござる」
ちょっと苦しかったかと思うが、某は無理矢理歌を歌ってミルに問い詰められる時間を潰した。その甲斐があってかどうなのかは分からないが、子守唄の効果は抜群で、先ほどの問答以上のことは聞かれることもなくミルを寝かしつけることに成功した。
「ふぅ、もし、ミルが元気な時ならかなり危なかったでござるな。やはり前世の何かを持ちだす時はこの異世界のどこで得た知識なのかもっと明確にしておかねば。転生直後であれば目立つことは無かったが、今は貴族の目が気になる故に転生に繋がる証拠は出来る限り潰しておかねば......」
反省しつつも某は本来の目的を果たさねばならぬ。某は全力で誰かが近づいてこないか、この部屋の扉に意識しつつ、眠ったミルの体に目を移すのだった――。
――――
「ミルは寝かしつけて来たでござるよ」
某は確認したかったことも終わり、ミルが寝息を立てているのを確認してから最初に案内された部屋に戻る。そこでは、ベッドの上に座って、頭からいつもより数段弱くなった光を放つ親方とサリーさんがベッドに並んで座り、父上、母上、シーカスが出された椅子に座っていた。
「すまねぇな。俺がこんななばかりに無理させちまってよ」
「丁度良かったわ。今、話が終わったところよ。と言っても、親方もやっぱり他の人たちと変わらず普通の風邪って感じね」
某が戻って来たことで、親方が申し訳なさそうに某に言い、母上が丁度、今日訪れた目的を離し終わったところだったと教えてくれた。
「ミルはどうだったんだ?」
「......普通の風邪と変わりなかったでござるよ」
シーカスに某は少し迷いながらもそう答えた。本当は違うのだが、ここで言えば、親方は絶対に無理をするのは目に見えている故にシーカスに本当のことを言うのはやめた。その答えで何かバレていないかと思ったが、親方とサリーさんにはバレていないらしく安心する。
その後、親方にも話を聞いてみたところ、症状は風邪だが、今までの風邪と違って、熱が下がる気配が無いらしい。もしこのまま熱が下がらなければ多少無理してでも製材所に行くと言い出した時は流石に全員で止めた。
「お邪魔したでござる」
「ああ、もうしばらく製材所を頼む」
そう言って親方の家を出てきた後、某たちは製材所の平民の中でも病欠している最後の平民......平民街の中でも奥まった位置......貧民街と職人街から最も遠く、貴族街に近い位置にあるというエミィの家とクローデの家がある区画へと向かっていた。
「結局、収穫は無かったわね。このままだと色々と厳しくなってくるわね」
「そうだな。分かったことと言えば、熱が下がる気配が無いことくらいか。とはいえ、このまま親方もベルノさんも復帰できないとなると色々と納期の手続きなんかが大変なことになるのは目に見えているぞ」
母上と父上の会話には明らかな焦りが見えていた。異常であることは分かっても治療法が分からない。一応、平民は医者に診てもらうだけの資産がある故に、通常の風邪薬は処方してもらっているようではあるのだが。
「なあ、アドリューン、ミルの様子で何か隠してないか?」
シーカスがふと某にそんなことを聞いてくる。それが聞こえたのだろう。父上と母上が「どうしたんだ、急に?」とでも言いたげな様子で会話を止めた。
ぬう、やはり、隠せてはいなかったか。ここでしらを切ることは出来る。だが、ここに居る三人は某の無理に付き合ってくれているわけでもある。ここで伝えておかぬのは不義理極まりないであろう。
「皆には一つ伝えておかねばならぬことがある。実はあの場で言えば親方が無理するのは間違いなかった故、ミルのことを『普通の風邪と変わりなかった』と言ったでござるが、アレは嘘でござる」
その瞬間、母上と父上が驚いたように目を見張り、シーカスはやっぱりと言う風に頷いた。
「実は某、ミルを寝かしつけた後、こっそり、ミルの体を診せてもらったのでござる。すると、全身に、気付かないほど薄くではあるでござるが、幾何学......細かい四角を組み合わせたような模様の発疹が出ていたでござる。これが完全に浮き上がったら不味いことになるやもしれぬでござる」




