侍の心得其五十三 疫病
「なるほど。それなら少し長くなりそうですね。中へ入ってください」
そう言ってベルノさんは急に訪れた某一向を家の中へと入れてくれた。と言っても家の中は以前お邪魔したアーミー宅とそう大きく変わるわけではないが、ベルノさんの家の所々に置かれている家具には明らかにこの地では見られない彫刻や装飾が為されているものがいくつかあった。
これがベルノさんの故郷に伝わる模様なのであろうか? この地で見るものとは違って複雑でありながら、計算された美しさを感じる。
とはいえ、今のベルノさんに立ち止まってこの模様について聞くわけにもいかず、来客用の椅子だけを出してもらった後ベルノさんには横になってもらった。
「気を使わせてしまってすみません」
「いいんですよ。ベルノさん。無理して来ているのはこちらなんですから」
申し訳なさそうに言うベルノさんの言葉を父上が否定する。それでも、この現状についてベルノさんには知っていてもらわねばならない。ここから平民たちが何事もなく復帰してくれるのならそれに越したことはないのだが、そうでない場合、非常に心苦しいことではあるが病床にあるベルノさんの知恵だって必要になる場合があるし、今後の製材所の動きについても確認しておく必要があった。
そんなわけで、某はここに来るまでに見た平民たちの様子を伝えた。
「なるほど。製材所は今そのようなことになっているのですか。とはいえ私が動けるようになれば、ズル休みをしている者たちには何らかの罰を与える必要がありそうですね」
ベルノさんは顔色が悪いながらもそう言ってほほ笑む。ベルノさんの顔色も相まってまるで死神とでも対峙したかのような寒気がした。この微笑みの対象が某じゃなくて本当に良かったと思う。
「ところで、ここまで見て回って何か分かったか? 俺には皆が普通の風邪にしか見えなかったんだが」
「私もね。もうかなり前のことだったような気もするけれど、アドリューンが苦しんでいる様子を知っている私からすれば皆、問題が無いように見えたわ」
シーカスと母上がそう口々に言う。
そう言えば、確かに某が転生する前のアドリューンはかなり病気で苦しんでいたでござるな。某が転生した時にはひ弱ではあったが病魔の影は無かった故にそこまで気にしたことは無かったが。
「少し分からない部分はあるが、たまたま慣れない修行の疲れが一気に出たんじゃないか?」
父上のその言葉に皆が一斉に頷いた。だが、某とベルノさんだけは「うん」とは言えずにいた。
「アドリューン、あと回っていない平民の家はどれほどありますか?」
ベルノさんが皆の言葉を聞きながらもそう聞いてくる。
「親方とエミィとクローデでござるな」
「ベルノさんどうしたんだ? これだけ家々を巡ってみんな普通の風邪と変わらないんだからもういいんじゃないか?」
シーカスがベルノさんに尋ねた。だが、いつものベルノさんからは見られない、どこか悩むような顔をして言う。
「そうですね。私もそう思います。ですが、長年の勘が告げているのです。この病気は普通の病気とは違うかもしれないと。ただ、何か確証があるわけではないので強くは言えないのですが。確かアドリューンも嫌な予感がしたと言っていましたね」
「うむ。故に今回少々某が無理を言って、父上、母上、シーカスの協力のもと、こうして平民たちの家を巡っているのである」
「なるほど。アドリューンだけじゃなくて病気になったベルノさんまで普通ではない何かを感じているとなるとこれはただ事ではないのかもしれないな」
父上がその言葉を発したと同時に皆が沈黙してしまう。おかしい。某が言った時は疑われたままだったというのに、ベルノさんが言えばこうも違うとは。解せぬ。
とはいえ、これが長年積み上げてきた信頼と経験から成るものであれば、某ではまだ未熟と思われても仕方ないのであるが。
「それにしても、今回倒れたのが全員平民というのが気になりますね。アドリューンもちょっと体調を崩していましたが一日で復帰していましたし。ここに今回の病気の原因がありそうですね」
ベルノさんがそう言うと、シーカスが何かに気付いたように顔を上げる。
「そういえば、ズル休みしてるやつらは貧民街の修行に参加していないよな? それも何か関係があるんじゃないのか?」
「つまり、原因は貧民街にあるということでござるか?」
そう言われてみればそうである。これからかかるのかもしれないが、平民たちの家々を巡り、家に上がることを拒否した者たちは某の修行を切り捨てた者たちばかりであった。
となるとやはり――。
「アドリューンには悪いけど、修行に原因があるのかもしれないわね。そうは言っても同じことをしていた貧民たちに症状が無いのが不思議だけれど」
某は母上の言葉にずっしりと重い物がのしかかるのを感じた。某は大丈夫であったし、糞尿に当たる貧民たちだって笑い話にするくらいのことであったが故に問題ないと思い込んでいた。完全に見落としていた。
どうして、貴族や平民が貧民街に近寄りたがらず、領地の中でも奥まった位置に貧民を集めたのか?
どうして、平民の住む平民街までは黒子に扮した者たちが来て糞尿回収するのに、貧民街には来ないのか?
どうして、気にかける必要もない程に貧しい者たちにしっかりとした家を提供したり、子育ての保証といった福利厚生に力を入れているのか?
こうして、よくよく考えてみれば、どうして某は気付けなかったのか、異世界に来て、侍になれると、侍を広められると、そう考えてからは人も、物も、環境も、全てが侍になる足がかりにしか見えていなかった。
だが、この世界はこの世界で歴史があり、形成されてきた文化がある。言葉だって日本語でも無ければ、髪の色だって違う。それを某は異世界だから違って当たり前だとたかを括っていたのかもしれない。某は自分自身の視野の狭さと未熟さに自分の感情が制御出来なくなった。
「ちょっとアドリューン?! 急にどうしたの?」
「おい! 修行が今回の病気の原因かもしれないからって何も泣くことは......いや、これが普通の子供なのか!?」
「アドリューン! あなたは何も悪くないですよ。許可を出したのは私と親方だったのですから――」
「某は、某は......! 何も分かっていなかったのでござる! 分かったようなふりをして驕り何も......何も――うわああああああああああああ!!」
某は抑えきれぬ感情のままに泣いた。異世界に来て、一番の大号泣であった。動悸が激しくなり、視界は涙でぼやけ、自分の声で周囲の音すらも上手く拾えない。それでもベルノさんがベッドから起き上がり、父上と母上が必死で慰めようとしてくれているのだけは分かった。
――――
それからしばらくの時間が経ち、某の涙は枯れ果てた後、今日は一旦話し合いは終わりにしようということになった。感情のままに泣いたというのはどういう原理なのか、修行するよりも全身にけだるさを感じる。おまけに目と鼻がかなり痛いし、声も少し枯れて出しにくい。
気付けば既に日は傾き、このまま歩いて貧民街へと戻れば、日が暮れるという時間だ。急げば親方の家には行けるかもしれないが、そこで話を聞いたり、中で様子を見るには明らかに時間が足りない。
「今日はここまでのようね」
「ええ、そうですね。では皆さんに今後の製材所の仕事内容の変更点をお伝えしておきます」
そう前置きしてベルノさんは、明日以降も調査をしてほしいこと、その間の給金に関してはしっかり支払うこと、そして何か進展があれば頻繁には少し困るが報告に来て欲しいこと......その他にも製材所での打ち上げトーナメントや修行をしばらく中止するといったことを言った。
「分かったわ。このまま、帰る途中で製材所に寄って残っている者に伝えておくわ」
「ええ、よろしくお願いします」
母上が返事をしたことで安心したのかベルノさんはまた再び横になる。とはいえ、その顔色は某達が来るまでと比べればかなり悪くなっているようにも見えた。情報の機微に聡いベルノさんが調査の進展の報告を減らして欲しいと言ったことからも、かなり弱っていると見て間違いなかった。
こうするしか思いつかなかったとはいえ、某が大泣きしてしまったことや、長居してしまったことでベルノさんの体調を悪化させてしまったことに某は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。母上に手を引かれ、ベルノさんの眠る寝室から出る時、そんな某を見かねたのか声がかかった。
「アドリューン、子供とは迷惑をかけて、失敗をして大きくなっていくものです。アドリューンは少々その規模が大きかっただけのこと。だからこの程度のことで落ち込まなくてよいのです。今日は良いですが、明日もその態度で仕事に臨むようなら減給ですよ? メリア、報告よろしくお願いします」
「はい分かりました」
「ちょっと待つでござる! 某、ただでさえ少ないのにさらに減らされるのは困るでござる!」
「ふっ。どうやら心配する必要は無さそうですね。では、明日以降も調査よろしくお願いしますね」
このやり取りで、不思議と某の心に出来た大量の澱は幾分か消えていた。病人であるベルノさんにまた気を遣わせてしまったとも思ったが、ここで更に申し訳なさに押しつぶされるようなことをベルノさんは決して望まぬであろうと某は心を引き締める。
自分で蒔いた種は自分で摘まねばならない――。
夕焼けの差す、仕事を終えた人々や、平民街の糞尿回収を行う黒子達が行き交う東通り。母上に手を引かれながら今日の情報を整理する。原因は、前世の知識を照らし合わせればほぼ間違いなく疫病の類であろう。幸い、感染力は強くないのか、それとも感染方法が特殊なのかは分からぬが、まだ、貧民街で修行をした平民以外に症状は出ていない。
――急がねばならぬな。手をこまねいていては、後遺症やパンデミックが起こる可能性も考えられるでござる。病名や治療薬に関しては全くの門外漢ゆえ、この病気に関する資料があればよいのでござるが――




