侍の心得其四十八 仕事人間は報われない
親方がミルを連れ帰った後も修行は中断されたりはしない。
太陽は既に最も高い位置へと昇り、最も暑い気候の集夏である今、少し動くだけでゴリゴリと体力を削られていくのを感じる。気温で言えば優に四十度は超えているであろう。
だが、この修業に休憩という時間は無い。というかそもそも、この地域に住む人々に仕事中の休憩という概念が無いのだ。食事も夜だけの一回であるし。
前世なら間違いなく倒れるだろう。だが、この都市に住む人々は、倒れない。この地に住み続けて来た遺伝子が為すものか、それとも全ての生物に宿るという不思議パワーが為すことなのかはたまたそれ以外なのか。分からないが、郷に入っては郷に従えという言葉もあるのだ。某も休憩なしでやっている。
そんな中でしばらく、職人たちを見る為に貧民街を駆け回っていると、親方が戻ってくるのが見えた。どうやら、ミルは無事送り返せたようだが――。
「親方の頭が光っていないでござる」
そう、いつもであれば思わず目を逸らしてしまうくらいには眩しい親方の頭が光っていないのだ。親方の頭は覚醒者としての力を行使するか、はたまた体調や気持ちに応じて光量が変わるが、光っていないというのはかなり異常だ。
よく見てみればどことなく、こちらへと向かってくる親方の足取りは重い。某はそんな未知の親方に声をかけるほどの勇気は無いので貧民街の奥で修行しているベルノさんの元へ走った。
「親方の頭が光っていない、ですか。それは一大事かもしれませんね。分かりました。行ってみましょう」
そう言ってベルノさんと一緒に貧民街の入り口へ戻る。貧民街の東側の入り口が見え始めた時、遠目にではあるが見覚えのない何かが見え始めた。
「む? あれはなんでござろうか? 先ほどベルノさんを呼びに行った時は無かったでござる」
そう、某が言うとベルノさんも首を傾げながら「何でしょう?」と言う。どうやらベルノさんも判断が付かないらしい。だが、やけにその部分にだけ糞尿が多く降り注いでいるようにも見える。
――とはいえ、この短時間であの量は流石におかしいでござる――
そうなのだ。近づいていけば分かるがその謎の山は某の背丈より少し高いくらいはある。あれだけの糞尿を集めようと思えば、某が一週間ほど走り回らなければいけない程の量だ。それが貧民街の一部である入り口付近で起こっている。
某は何かがあるのかもしれないと足を速める。それに続いてベルノさんもスピードを上げた。
「まさか!」
山の全貌が見えたあたりでベルノさんが叫んだ。
「何か分かったでござるか!?」
某もベルノさんに呼応するように叫びながら確認する。
だが、ベルノさんに確認を取る前に突然出現した山へとたどり着く。だが、なぜかこんな時に限って周囲の家々からひっきりなしに糞尿が投げ込まれているから中々近づけない。流石の某も、こんな山を作るほどの糞尿の弾幕を躱しながら山を調べるような真似は出来ない。
「アドリューン! この中に親方がいます。早く掘り出しましょう!」
「へっ!? 親方でござるか? それは不味いでござるな! 服の汚れなど気にしている場合では無かったでござる」
その後、ベルノさんと共に、糞尿を浴びながら山を掘り返し、持ち込んでいる水筒の蓋を開けて、親方の顔だけを洗い流す。そこには、息はある。だが、まるで生気のない親方が居た。
それに、何故か親方に向けて糞尿が飛んでくるので、某とベルノさんは協力して親方を引きずって貧民街の外へと連れ出した。どうやら親方は気分が最高潮であれば直視できぬほど神々しくなるが最低であれば不幸を引き寄せる体質にあるのかもしれない。
「全く、何がどうしたらあんなことになるんですか?」
ベルノさんが親方に問う。すると、糞尿から発掘されていつもの様子など見る影もなくなってしまった親方が言った。
「ミルに大嫌いって言われた上に、カミさんにまで怒られたんだ。家に帰ってこなくて良いから仕事だけしてたらって。もう、俺ァ、どうして生きていったらいいんだ」
なんと痛ましい...... どうやら、親方は最近増えた仕事で家に居られる時間が減り、かといってその理由が理由なだけに奥さんや娘に話すわけにもいかず、無理矢理連れ帰った娘と買い物から帰った奥さんからダブルパンチを食らったらしい。
仕事とは報われぬものでござるな。生きていく為には必ずやらねばならず、かといって熱を入れ過ぎれば一生懸命やっている筈なのに大切なものを失ってしまうきっかけにもなる。
だから、某が言えることはこれしかない。
「親方、それはもう誠心誠意謝るしかないでござるよ。今日は休んで良いでござる故、奥さんとミルちゃんの喜ぶものを埋め合せに買って帰るのでござる」
「くぅ......。まさかアドリューンにそんなことを言われる日がくるとはな」
親方は某の言葉に渋い顔をするも、それ以外に仲直りする糸口は見つけられなかったようでうつむいたまま立ち上がるとそのまま貧民街の市場の中へ消えていった。
「しかし、やはりこうなりましたか」
「ベルノさんは知っていたでござるか?」
「ええ。一応止めたのですよ? それに家族との時間を蔑ろにしてはいけないと親方には今まで通り休日だってスケジュールには組んでいました。私は独り身ですから別ですが。とはいえ、十年来の悲願である貴族攻略への糸口が見えたことでここ最近暴走していまして。仕事は完璧だし、体力的にも無理していないからこそ、私の進言を聞かなかったので、こうして痛い目を見てもらわなければならなかったんです」
「なるほど。確かに親方は目的に向かって呆れるほど一直線でござるからな」
「アドリューン、そう言うあなたも親方とそう変わりませんよ。くれぐれも、将来修行にのめりこみすぎて奥さんを泣かさないように気を付けてくださいね?」
――なっ! 某が親方と同類だとでも言うでござるか! ベルノさん、某、心に決めた女性は一生かけて大切にするでござるよ?――
某がさぞ心外というような顔をすると、ベルノさんは某の言いたいことなど見透かしているといった風に某に尋ねた。
「では、アドリューンに将来愛する女性と娘が出来た後、娘子供を連れて行けない程遠く離れた地に世界最高の刀を作れる鍛冶師がいるという噂が舞い込んで来たらどうします?」
「なっ! ベルノさん、それは卑怯でござるぅ......侍の魂である刀を引き合いに出すなんて」
某が想像通りの反応をしたことでベルノさんは口元を抑えてひとしきり笑った後、言った。
「親方は、今、自由を渇望しています。この十年ずっと親方には自由が無かった。きっとそれを手に入れる為に、最悪の場合、親方は今の家族でさえ手放してしまえる。だからこそ、こういう目には定期的に遭って頂かないと。親方が自由を失った後に手に入れたものだって変わらず大切だと絶えずあの禿面に刻んでおかねば、足場が無くなって滑落してしまいますから。折角の自由を手に入れた時、他の大切なものが全て無いなんてそんな酷い話は無いですからね」
そう言ってベルノさんは笑う。気づけば某も笑っていた。それと同時に思う。親方みたいなどうしようもなく不幸な馬鹿を某が出来る範囲で助けてやらねばと。ベルノさん曰く同じ穴の狢らしい故に。
そうして、親方が見えなくなった辺りでベルノさんと共に修行に戻った。この日は主に親方絡みでかなり騒がしかったが、なんとか無事に終わった。
だが、次の日の見習いの修行の日、あの子は堂々と現れた。というか、見習い達を先導する某を貧民街の入り口で待ち構えていたのだ。
「おはよう! ねぇ、ねぇ。ミルもいっしょにやりたい! いいよね? ござる君!」
そう、大きな声で元気いっぱいにミルは宣言した。これは最早、断るという選択肢の無い、究極の一択であった。昨日、親方を助けてやらねばと思った手前、ミルのことを無下にも出来ない。
しかも、糞尿で汚れることを見越してかどうかは知らないが、親方の作業着のTシャツの丈を簡単に手直しした、汚れても大丈夫なワンピースを着ている。もはや追い返す理由が無かった。
「分かったでござる。皆の邪魔はしないと約束出来るなら一緒にやっても良いでござるよ」
某は半ば諦めつつもミルに返事をした。ふと、某の後ろに居る見習い達に目を向けてみれば、皆が某に同情的な視線を向けていたような気がした。
「やったあ! ミルの名前は、ミルフィって言うの! 年はごさい! ござる君の名前はなんて言うの?」
――ふむ。やはり名前がミルというわけではなかったのでござるな。それにしてもミルフィか。あの脳筋な親方にもこんな可愛い名前を付けるセン......いや、やはり今のは考えなかったことにするでござる――
某、決して親方に対して失礼なことなど考えていなかった。うむ。自己紹介であったな。
某は、急に背中を走った寒気から逃げるように自己紹介をする。
「某の名は、アドリューンでござる。六歳でござる。ミルちゃん。よろしくでござる」
「そっかー。ねぇ、ござる君! ミルはミルでいいよー! ちゃんは要らないの」
――む、ちゃんが要らないのは良いでござるが......――
「分かったでござる。それにしてもミルよ。その、ござる君というのはどうにかならぬでござるか? 」
そうなのだ、さっきから、ミルがござる君という度、某の後ろからクスクスと笑い声が聞こえるのだ。出来ればやめて欲しいのだ。ミルは良いかもしれぬが某は物凄く恥ずかしい。
「もうむりなの! ござる君はござる君なの! どうしてもいやなら、そのへんなおはなしのしかたをやめたらかんがえてあげてもいいよ!」
だが、この年頃の子供はこういう類の嫌がらせを喜んでやる。おそらくここでものすごい剣幕で言い募れば止めてくれるだろうが、ここでは見習い達が見ているし、あだ名程度で一々キレていたら某の信用問題にかかわる。加えて狭量とも思われるであろう。
......つまり、某はござる君という微塵も納得がいかないあだ名を受け入れざるを得なかった。
こうして、この日から某は、戦闘指南役の仕事をこなしながら、親方の娘であるミルフィの面倒も見るという、実質的に仕事が倍増することとなった。
ふうう、今日のお話は書いてて結構楽しかった。とはいえ、親方は中々に不器用な男なんですよね。自由か、家族か。仕事か、家族か。どっちも選んでいいのに、勝手に盲目的になって勝手にどちらかを捨てなきゃいけなくなって勝手に苦しんでる。
実はアドリューンも侍を実現する修行の為、十兵衛時代は交友関係を諦めていたんですよね。別に変人だから、周囲とは違うからって他人との繋がりを断たなくても良いのに。
そんな風に設定上は親方とアドリューンは似た者同士なわけです。
さて、ちょっと設定の補足をゲロったところで次回はミルちゃんとアドリューンの修行風景を中心に書いていこうかなと思ってます。では。




