侍の心得其四十七 親方の娘
職人と見習い達の修行は順調に進んでいた。修行が始まってから一ヶ月。つまり、全ての班が十周近く回ったことになる。当初は三日に一度という頻度ではそう簡単に上達しないと某は思っていた。だが、現実は違った。
某は基本一人もしくは母上やアーミーと二人で、というかなり少ない人数でしか修行をしたことが無い故に自分のことは自分で気付かねばならなかった。
だが、職人と見習い達は違う。皆で声を掛け合い、お互いの課題を見つけあい、恐るべき速さで上達していた。特に、親方、ベルノさん、アーミー、シーカス、エミィ、クローデは跳ねこそ飛ぶものの、一日糞尿に当たらずに貧民街を走り回れるようになっていた。
ちなみに、今日は職人たちの修行の日である。
「おい! 足元は見たか?」
「危ない! 上、降ってきてるぞ!」
「うわっ! やられた!」
「おめぇら! 根性見せろよ! そんなもんじゃアドリューンに一生勝てねぇぞ!」
「はい! 親方!」
こんな調子でやっている。ちなみに、某は貧民街全体に散らばった職人たちの様子を見る為に、たらいを持ちながら、東側の大通りの入り口から、北側の大通りの入り口を、一往復でたらいが一杯になるように往復しながら職人たちに適宜アドバイスをしている。
最初はしんどかった。だが、最近ではかなり楽にやれるようになってきているあたり、某も成長したのだと思う。とはいえ、糞尿を運ぶ土地がまだもう少し準備に時間がかかるとのことで、結局は糞尿は大通りにリリースすることになるのだが。
「......? 誰かが某を見ている?」
朝から貧民街の大通りを三往復ほどして、東側の貧民街の大通りの入り口......つまり、職人街や市場へとつながる場所で某は誰かに見られている気がした。某はそんな視線を感じた方向を見てみるが、誰も居ない。気になって、貧民街の入り口から出て周囲を確認してみたりもしたのだがやはり誰も居ない。
「気のせいであろうか?」
某は首を傾げるも、大方、修行に参加しなかった者たちが気になって様子を見に来たのかもしれないと結論付けてこの日はそのまま修行に取り組んだ。
......結局、この日再び視線を感じることは無かった。
「おうし、今日はここまでだな! しっかし、いつ見てもすげぇな。おい。実際、俺もかなり感覚は掴めてきたが、アドリューンは一番動きまわってしかも糞尿集めと指導までしてるのに、全く汚れていねぇなんてよ」
「いや、某はまだまだでござる。それに、皆の上達が想像以上に速い故、追いつかれぬよう新しい修行を取り入れねばならぬと思っているくらいである」
そうなのだ。このままのペースで皆が糞尿を集める段階まで出来るようになれば、某は追い抜かれてしまう。それでは不味いのだ。勿論、出来るようになるのは悪いことではない。というか、出来るようになってもらわねば困るというものだ。だが、このまま某が成長しなければ、戦闘指南役でいられなくなる。革命という最重要機密とも言える作戦に一枚噛んでいるとはいえ、某の感覚はいつだって崖っぷちなのだ。
「アドリューン、おめぇに立ち止まるという概念は無いのか?」
親方がそんな某にあきれたような、面白いものをみるようなそんな目をする。立ち止まってなどいられるわけがなかろう? 某は侍をこの世界に広めねばならぬと思っている。そのためには侍を知る唯一の存在である某が侍とは斯くあるべしの指標にならねばならぬ。
そのために、やれることはなんだってやるし、人は鍛えども、某自信を超えさせるつもりなど毛頭ないのだ。
そんなやり取りを親方とし、この後、貧民街に残った職人がいないかを確認して戻ってきたベルノさんと今日の修行の進捗について軽く意見を交わしてこの日は終わった。
この時、某は、朝感じた視線のことなどすっかり忘れていた。
次の日、相変わらず某は貧民街を駆け回る。とはいっても、職人たちの班と違い、見習いの班は上達しているとはいえやはり数段劣る。それ故に、某も職人たちを見る時ほどのハイペースで移動することは無かった。加えて、声をかける回数も増える。
「......! またでござるか?」
それでも二往復して、大通りの東側の入り口に戻ってくるとき、やはり、某を誰かが見ている。某は昨日よりスピードを上げて視線を感じた貧民街の入り口から一番近い家の影となっている場所へと移動する。だが――
「ううむ。いないでござる」
ここまで来れば勘違いとは思えない。確実に誰かが某を監視している? だが、それにしては不自然な点も多い。某が気配に気付けている点もそうであるし、それ以上に、某が確認に来たときに既に姿が無いというのが解せぬ。
そうして、某はそれに悶々とした気持ちを抱えながら修行をすることになる。
この後も、毎日一回、必ず気配を感じるのに、絶対に姿を見せない何かに某はいかんともしがたい気持ちになる。というのも、やり方が完全に遊ばれているソレなのだ。
某の思い込みかもしれないが、もし、某が遊ばれているとすれば、それは許せることでは無い。そんなわけで、こんな状態が一週間ほど続いた後の職人たちの修行の日、親方とベルノさんに助けを求めることにした。
「そんなわけで最近、修行をしていると一日一度、必ず何かから見られているような気配がするでござるが、どんなに速くその気配を確認に行っても逃げられてしまうのでござる」
「ほう? おめぇから隠れて監視するだけでも中々すげぇのに、気配をわざと漏らして捕まらない、か。それは不味いかもしれねぇな」
「ええ。なんにせよ、一度正体を確認せねばなりませんね。とはいえ、貴族ということはないでしょう。貴族であればこんな場所にはまず来ませんし、それに、貧民のような存在にわざわざそんなことをする意味が無い。しかも毎日通うとなれば、ほぼ間違いなく貧民か平民でしょうね」
そんな風にベルノさんと親方はそれぞれの見解を語ってくれる。某はその意見を聞いて、少し安心し、加えて某一人では捕まえられないので親方とベルノさんが協力してくれることになった。
作戦はこうだ。まず、今日はベルノさんに貧民街の入り口が見えてかつ、ターゲットである者に悟られぬよう、人ごみに紛れられるように市場で待機。親方にも今日だけは敢えて貧民街の入り口で待機してもらう。
そして、某はいつもと変わらぬように貧民街を駆け回るのだが、一ついつもと違うことをする。視線を感じた瞬間、つまずくふりをするのだ。というのも、某は腕を伸ばして頭の上でたらいを持っているので、貧民街の入り口近くであればベルノさんからギリギリたらいだけが見えるのだ。つまり、躓くふりをすればたらいが人ごみで遮られて見えなくなるわけで。
それを合図にベルノさんには確保に向かってもらい、親方にはハンドサインで視線を感じた方角を示し、某は動かない。
これだけやって捕まえられなかったら本格的に、色んな意味で不味いので捕まることを祈るしかないだろう。
「では、これから修行を始める!」
ベルノさんと親方と打ち合わせを済ませた後、修行を始める。もし視線を感じなければどうしようか。そんなことも思ったのだが、幸いにしていつもと同じ職人たちの修行の時は三往復目の終わり、視線を感じた。
――今日こそ、捕まえるでござる!――
その瞬間某は地面の凹凸に足を引っかけ転ぶふりをする。当然、たらいの中身も宙に浮くのだが、そこはここまで鍛えた某の肉体を駆使してある程度前傾姿勢になったところで無理矢理立て直し、宙に舞った分の糞尿をたらいの中に回収し、片手で事前に決めていたハンドサインを親方に見せる。
こうして、親方とベルノさんという最強コンボの挟み撃ちが発動したのを確認した某も、近くに居た職人にたらいを頼んで視線を感じた方向に向かって走った。
だが、そこにいたのは、可愛らしい、某とほとんど年が変わらぬように見えるこの都市なら珍しくない赤毛の女の子だった。まさか、某、こんな女の子にこれまでいい様に遊ばれていたのであるか!?
狐につままれたとでもいうべきか、内心信じられない気持ちを胸に抱えながら近づくと、親方と女の子が話している声が聞こえてきた。
「もーパパっ! せっかくそこにいるおとこのことかくれんぼしてたのにおにさんがふえるなんてきいてないよー!」
「そうは言ってもだな......」
親方は、突然現れた少女の存在に言葉に詰まっている。だが、後から来た某にも聞き捨てならない単語は聞こえていたゆえにそこは確認しておかねばなるまい。
「パパ、でござるか?」
一体どういうことであろうか? この女の子は親方に向けてパパと言ったでござるか?
「うん。そう! いつもぴかぴか光っているのがパパなの!」
――なるほど、この女の子が、例の親方の娘さんでござるか――
その少女に親方の面影は微塵も無い。だが、部分的な話し方やイントネーションの類は声の高さが違う親方かと思うくらいに似ていた。あの、いつも威圧感と神々しさを放っている親方がタジタジになっているのも、ベルノさんが頭を抱えていることからも間違いないであろう。
とはいえ、今は修行中でもあり、仕事中でもある。ここは迅速にお帰りいただかなければなるまい。
「すまぬが、今はお仕事中でござる。お父さんのお仕事を邪魔しちゃいけないから、早く帰るでござるよ」
だが、某の言葉に、親方の娘さんは首を勢いよく振りながら言った。
「やだ! だってきみはミルとおなじくらいのとしなのに、パパといっしょにいるの! なのにどうしてわたしだけかえらなきゃいけないのかわからないもん! ずるい!」
そういって、怒りながらも座り込んでしまう。この年頃の子供はこうなってしまうと厄介だ。思い通りになるまで動かなくなってしまうのだから。
そんな様子を見ながら、某は親方の娘さんの名前は略称か本名かは分からないがミルということを知った。
とはいえ困ったものだ。某、そういえば、六歳児であった。既に働いていることや、前世の記憶がそのまま残っていることもあって自分の本当の年齢を最近よく忘れる。
ただ、そうなってしまえば某に出来ることはこれ以上ない。
そんなわけで、ミルの説得を諦めた某はベルノさんに視線で助けを求める。
......ちなみに親方は、既に娘の突然の登場と剣幕で使い物にならなくなってしまっている。
「仕方ないですね。ミルちゃんはどうしてここに来たのですか?」
そう言って、ベルノさんはタジタジになってしまっている親方に変わって優しく問いかけた。なんでも、最近、休日にもかかわらず、親方が製材所に行ってしまい、遊んでくれなくなったので、こっそり後ろを付いていったんだとか。そうすると、その日が偶々職人の修行の日で、そこに楽しそうに貧民街を走り回る某が居て、親方とも話しているのが羨ましくて、それで、毎日こっそりとここへ来て見ていたんだそう。
――これ、ある意味某のせいではござらんか?――
某という存在があったからこそ、ベルノさんと親方は革命を決意したという。遅かれ早かれやるつもりだったにせよ、休日親方が家に居られなくなり、ミルに寂しい思いをさせている原因の一端に某がいないとは言えない。
それでも、話を聞き終わると流石にタジタジではいられなくなったのか親方はミルを叱った。
「ミル、一人でこんな場所まで来るなんて危ないじゃないか!」
そういえば、母親と思われる人は周囲に居ない。今頃心配で探しているのではないだろうか?
「だいじょうぶだもん! いまのじかんはママはおかいものにいくから! それに、パパとそこの男の子だけたのしそうなことしてて、わたしだけなかまはずれなんて......うぇぇぇぇん!!」
そう言ってミルは泣き出してしまう。それには流石の親方も怒り続けるわけにもいかず、完全にフリーズしてしまった。とはいえこのままでは収拾がつかないのも事実なわけで。結局、ベルノさんの提案で親方がミルを抱きかかえ、家まで戻ることになった。
「パパのばかあああああ! おろしてよ! まだかくれんぼはおわってない!」
無理矢理抱きかかえたのもあってミルは親方の腕の中で暴れていた。とはいえ、親方の手は子供の力で振りほどけるほどやわでは無く、その声も次第に遠くなっていった。
とはいえ、これは不味いことになったかもしれない。親方の奥さんのしっ責で収まってくれればよいのであるが。
――某、もしかして子守りをせねばならぬのでござろうか? それは勘弁してほしいのだが――
親方の娘初登場! ついに、この作品待望のヒロイン登場となるのか!?
というわけで、味方サイドとしての女性キャラって実は初なのではないでしょうか?(母上は除く)
何処に居るんですかねぇ。二十三万字近くもの間、ほぼ野郎だけで話を進める人は......うぅ自分で書いといて大ダメージを受けそうなんでここで止めておきます。
次回はミルちゃんが更なる風を製材所に運びます! 六歳半にしてすでに重症の修行&仕事人間となってしまったアドリューンに子供心を芽生えさせることは出来るのか!? お楽しみに! では。




