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侍の心得其四十六 変わり始める製材所

 ――これは困ったでござる――


 某は今、ちょっとした問題に頭を抱えている。

 張り切って製材所に出迎えに行き、挨拶をするところまでは良かったのだ。だが、いざ貧民街に来て修行内容について説明した後、抵抗なく糞尿の雨の中に身を投じる者と、しり込みする者とで完全に分かれてしまったのだ。


 よくよく見てみれば、その差は平民であるか、貧民であるかの違いだった。その中には某が驚くほど流麗な剣を見せてくれたエミィという見習いもいる。


「さて、どうしたものか」


 某は何か参考になることは無いかと初めてこの貧民街でこの修業をしたときのことを思い出す。

 確か、母上に無理やり連れ込まれ、走らされ、下痢便を浴び、絶望したはずである。その後は、母上に常時近くで付きまとわれ、某を笑い、煽り、そして汚した服と、反抗した数だけ飯を......飯を......某の飯をォォォォ!


 ......うむ。参考にならぬでござるな。ここは建前としても、少し話をするしか無いのやもしれぬ。


「まだ、踏ん切りはつかぬでござるか? 某を見れば、この修業を十全にこなせるようになれば確実に強くなれることは目に見えているであろう?」


 そう言って今、貧民街の入り口で動けずにいる者たちに声をかけてみる。だが――


「貧民街で修行なんて正気か? しかもなんでわざわざ糞尿を自分から浴びなきゃいけないんだ!」


「俺たちは職人になりたくて見習いになったんだぞ。これのどこが職人になることと関係しているんだ?」


「すまないが、俺は親方に抗議してくる。いくら何でもこれはあり得ない!」


 某が声をかけた瞬間に、先ほどまで呆然としていた者たちが次々と我に返り、某をまくしたてるように文句を言い、挙句の果てに親方に抗議するとまで言い出した。

 それに呼応するように何人かが貧民街に背を向けた。なるほど。そういう手を取るのであるな? ならば、某とて容赦はせぬ。


「一つ、某の話を聞いて欲しいでござる。それでも納得できないなら、親方に抗議でもなんでもすれば良いでござる」


 そう、某が言うと、背を向けて、今にも製材所へと戻ろうとした平民の見習い達の足が止まった。それが、某の話を聞くための意思表示だと察した某はこちらを向いていない見習いに無理に戻るようには言わず、話すことにする。


「先ほど、何の意味があるのか、とそう言ったでござるな? 某はまだ知らぬが、これから来る準冬、そして初冬の季節で貧民と平民は基本的に狩りに行かねばならぬことは知っているでござるな?」


 そう、某が問いかけると、今、製材所へと戻ろうとした平民の見習い達が強くこぶしを握り締めたのが分かった。某は理解してもらえたようで何よりと思い、話を続ける。


「狩りは初冬が終わった後に訪れる、絶冬を越す為の準備として必ずしなければならぬでござる。だが、現実はそう甘くない。某が先日外へ狩りに行き、対峙したバーサークカウや、バンデルラビットは、はっきり言って今の見習い達の力では狩れない、もしくは、大けがをしてやっと狩れると言ったところであろう。当然、死ぬ者だって出るのは間違いないでござる」


「は? 死ぬだって? 俺たちはずっと木材運搬して、肉体を鍛えて、それが終わったら打ち上げトーナメントで技量だって磨いてるんだぞ? それなのに死ぬだって? そんなはずがないだろう!」


 どうやら、某の話は大げさだと思ったらしい。見れば、ここに残った見習い達のほとんどがその意見に同調するように頷いている。ただ、一人、エミィを除いて。とはいえ、某とてやる気のない者や現実の見えていない者を指導するほど暇ではない。


「信じないのも勿論自由でござる。ただ、親方、ベルノさんが有効だと認めて、稼ぎ時であるにもかかわらずこの修業に時間を割く意味を考えてみて欲しいでござるな。では、この修業をする覚悟が決まった者から貧民街へ来て欲しいでござる。某とてこれ以上やる気のない者を説得している時間は無い故に」


 本当は、この修業の延長線上にある糞尿集めと貧民街の家々の土の運びだしの利益をベルノさんが見込んでの投資である故に、皆がこの修業を完成させれば大幅な利益が見込めるのであるが、それを言う必要は無いと某は判断した。この修業が精神的にも体力的にもきついのは知っている。だからこそ、そう言った打算無しに決意を固めて一歩を踏み出して欲しかったのだ。


「私は、やるわ」


 そんな思いに応えるように、ポツリと、この修業を受けることとなった唯一の女性見習いであるエミィがそう言った。


「は? 嘘だろう? 正気か?」


「おい! アドリューンの口先に感化されちまったのかよ。こんな糞尿まみれの修行、誰が好き好んでやるかってんだ! これをやるくらいなら、いつもの十倍木材を運ぶ方がまだましだぜ」


 エミィの言葉を聞いて、先ほどまで自分たちが優勢だと思い込んでいた、最初に貧民街から背を向けた数人の見習い達が焦りだす。某から見れば、何人で逃げても、親方もベルノさんも取り合ってくれないのは目に見えているのでどうでもよいが、抗議しようとする見習い達からすれば、人数が減れば減るほど、抗議は説得力を失い、逆に嫌なことから逃げた者という印象を与えてしまう。


「俺も行くよ」


「俺も」


 そんなことを考えていると、一人、二人とポツリポツリと決意を固めたように貧民街へと入っていくものが現れる。結局、その場に残った者は三人だけになった。


「其方らはどうするでござるか? 製材所に戻っても某は止めぬでござるよ」


 だが、その言葉に三人は返事することなく、走って製材所へと逃げるように戻っていった。とはいえ、三人を除けば十三人。よくぞ残ってくれたというところであろう。残ってくれた者にはみっちりと修行することにしようではないか!


 その後、某は見習い達を手を抜くことなく修行させた。勿論限界を見極めた上で。

 終わりを迎えた頃には某含め、皆が糞尿でぐちょぐちょになっていた。

 ちなみにであるが、某は、皆に分かりやすいようにスローペースで糞尿回避の見本を見せようとしたところ見事に失敗してこの有様である。

 皆を思ってやったというのに、「戦闘指南役が何やってるんだ」と笑われた。解せぬ......


 と、そんな風に最初は嫌がっていた平民たちも徐々に慣れたのか溶け込んでいったのは良かったと言えるであろう。ただ、エミィが一人だけ女性ということもあってか、微妙に孤立気味だったのは少し気になるところではあったが、この辺りは慎重に対処法を考えていくべきであろう。


 ただ、参加しなかった三人は結局最後まで貧民街へと顔を出すことは無かった。


 次の日、某は見習い二班の指導に入った。昨日と同様に貧民街へと案内し、同じ話をすると、やはりというべきか、今回は五人の平民の見習いが製材所へと帰ってしまった。

 昨日よりも人が残らなかったことに肩を落としながら貧民街へ指導へと向かおうとしたところで、


「やあ、彼らは放っておいても良いのかい? 僕で良ければ説得してくるけど」


 そう言って近寄ってきたのは確か、クローデでござったな。トーナメントでの加速する剣技は実に見事であった


「気持ちはありがたいが、必要ないでござる。この修業は生半可な覚悟で出来るようなものでは無い故に、無理に説得して戻ってきても長続きはしないでござる。それに、修行の方法は一つではない。製材所でする木材運搬とて立派な修行でござる。それで強くなれるのならそれでも良いと思うでござる」


 とはいえ、ただ、鍛えるだけでは、外では通用しないとは思うでござるが。本当の実戦は筋肉と武器だけで乗り切れるほど甘くは無いのだ。


「ふーん。厳しいんだね。そういうことならいいや。これからする修行、ご指導のほど、よろしく頼むよ!」


「うむ。某の修行は厳しいでござるがこちらこそよろしく頼むでござる」


 こうして、某は今日も今日とて糞尿の雨の中を駆け回った。皆に手本を見せ、見えていない場所や糞尿を被ったものや、足場の確認を怠ってつまずいた者には指摘し、第一段階である糞尿を避けられるよう、限界手前を見極めながら修行を続ける。


 こうして二日目も無事に終わった。某は一日目のような醜態を晒すことなく二日目を終了し、この日も、参加した者たちは最後には笑顔で終わることが出来た。それにしても、クローデだけは異常だった。糞尿は被っていたが、唯一ただ一人だけ最後まで某について来たのだから......確かに二十を超えているであろう者と某とでは比較するのもおこがましいかもしれぬが、貴族を目指す以上、某もこのままではいけないのではないかと思わされた。


 三日目は職人。とはいえ、職人は誰一人製材所に戻ろうとはしなかった。やはり、これが外の世界を経験しているか否かの違いなのだろうと思う。そして、今日も今日とて某は走り回った。やはり職人は見習い時代を勝ち抜いた者であったり、それ以上に自分の体の使い方を分かっている者が多く、動きも見習いとは比較にならない程良いので、某は夜になるころには流石にバテてしまい、被弾してしまった。


 そうして、一回り修行が終わった次の日、休日の筈なのだが、某は親方、ベルノさん、アーミーで集まって修行をやった問題点を洗い出していた。


「アドリューン、戦闘指南役としてどうでした?」


「うむ。とりあえず、思いの外、残ってくれた人が多くて良かったでござる。ただ、やはり、得手不得手はござる故にあと何回か同じローテーションでこなしたら、見習いと職人合わせて力量で分けた方が良いとおもうのであるがどうであろうか?」


「なるほど。確かにそれは良いですね。皆の出来具合に合わせて指導するのは確かに理に適っています。となると、糞尿を集める土地の準備を急がねばなりませんね。アーミー、指導される側としてはどうでしたか?」


「最初は嫌でしたね。糞尿に何度か当たって吹っ切れるまでは。そのあとは、正直、あんな足場で、周囲の建物を絶え間なく確認しながら止まらず、糞尿が降ってくれば回避するなんて無理だろうと思った。ただ、これを出来るようになれば明らかに効果があるのは間違いないでしょうし、師匠に追い付けると思うと少し修行が楽しみになりました」


「ふむ。なるほど。修行を見る限りではほぼ全員がアーミーと同じ心持ちでいると思って間違いなさそうですね。表情を見る限りでは。親方、修行から逃げた者への対処は?」


「ああ、とりあえず、ここへ帰ってきた奴らの意見は全面的に認めて、修行の日は今まで通り木材運搬をするように指示をしておいた。本当ならクビにするところなんだが、これで本当に良いのか?」


 そんな風に会議は続く。実はここ最近、こうして月に一回ほどの頻度で休日を使い会議をしていた。意見のすり合わせは大切だ。ちなみに、修行に文句を言って参加しなかった者たちは、木材運搬を続ける者と、某と修行をした者とでどの程度差が出るのかの比較対象となってもらうために残って貰ったというのもある。


 効果が出れば、その者たちに修行への参加を促せばいいし、出なければ出ないで改善案を考えていかねばならない。

 こうして、一日、会議をして某は帰路についた。こうして、一人になると思う。転生した当初はあり得ないほど汚いと思うだけだった貧民街という環境も、見方を変えればここまで有効な修行の場になるのだと。それに加えて、生活環境の本格的な改善と、食料問題の充実に思いを馳せる。


 ――ここで、某は製材所の者たちを鍛え、理想の異世界侍ライフを実現して見せるでござる!――





 さて、糞尿を躱すところから修行が始まりましたね。とはいえ、いくら生活環境の良くない場所に住んでいるとはいえ、貧民と平民には意識の差があります。糞尿の雨の中に急に突っ込めと言われてもうんとは言えないですよね......作者も嫌です。


 次回は、新キャラを出すぞ...... このキャラは実は初期プロットだと、一章の再序盤で登場するはずだったのに、あれよあれよという間に登場するタイミングを失いここまで来てしまったという......

 一応、本文の中には本人は出てきてないけど、ちょいちょい差し込んではいるので――

 これ以上言うと分かってしまうな。では。

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