侍の心得其四十五 敗北と調査と修行と......(エミィ視点)
遅れました。ただ、その分、増しましでお届けいたします!
「ああもう! 何なのよアレ! 完全に危険人物じゃない! あんなのを見落としてたなんてありえない!」
私は今、私自身は嫌悪感しかないけれど、他の貴族の女性からは絶大な人気を誇る上司によって、強制的に平民へと扮させられている。不穏分子がいるかもしれないという職人街を調査するという名目で。名前は、呼ばれても反応出来るように、幼少期に親しい者から呼ばれていたエミィを名乗っている。
普通の平民の生活がこれなら、まだ冒険者ギルドの受付嬢の方がマシだった。冒険者ギルドでも私から見れば十分に汚かったけれど、平民の家の汚さはその比じゃなかったから。だって、ベッドの中に普通にノミは入っているし、身の回りのお世話をしてくれる人もいなければ、ご飯だって――。
言いたいことは山ほどある。この仕事に就かされた時、どうして私ばかりこんな仕事に就かなきゃいけないのと思った。いくら何でも理不尽が過ぎる。
そう思っていたけれど、二ヶ月経った今、少し余裕が出来てきている。あり得ない話ではあるけれど、私もこの環境に慣れ始めていた。
だけど、今日、目の前で繰り広げられた光景は......私には信じがたいものだった。
「いくら覚醒者の力を使えないからって、私が、貧民に負けるなんて」
お父様から教わった剣。いつもお父様は言っていた。
「ごめんね。私が不甲斐ないばかりに、エミィにはこれから苦しい思いをさせてしまうだろう。だから、私は、エミィにそれを乗り越えるための剣を教えてやることしか出来ない」
そうして、教えてもらった、剣。自分の境遇を切り開くための、剣。家族との唯一と言っても良いつながりの、剣。どんなに忙しくても合間を縫って鍛錬を続けていた筈なのに、それでもあっさり負けてしまった。
信じて来たはずのものがたかが貧民の、しかも子供によって破られてしまった。揺らいだ心は私の中の別の不安も増幅させる。
下位貴族の仕事は正直言って大変だ。上からの命令には逆らえないから、どんどん仕事が溜まる。自分の本来の仕事に加えて、押し付けられる仕事もあった。今の製材所への潜入が終わった後、私の仕事を代わりにやってくれている人はいるのだろうか?
いつになく不安定な心は、自分に科された重荷によって押しつぶされそうだった。
「やあ、エミィ。調子はどうだい? どこか具合の悪い箇所は無いかい?」
そんなことを考えている時に限ってこの男はやってくる。しかも、律儀に二か月間毎日、潜入による仕事が終わった後、私の感情が不安定になっている時に限って、だ。
というか、そもそも私のような下位貴族と上位貴族の、しかも最上位とは言わないけれど、その一歩手前に居るような人物がどうして一緒に仕事をしたいのかが分からない。
返事代わりに不満をすべてぶつけるつもりで睨んでおくことにする。
「ああ、そんな視線を僕に向けてくるのは君くらいだ! ゾクゾクするね」
そう、今回の潜入調査に私を推薦した男......潜入中はクローデと名乗る男だ。正直、発言そのものがとても気持ち悪い。気持ち悪いが、今はこんな男しか本来の私のことを知る男はいないのだ。どうしてこんな男が貴族の女性......剰え、最近では平民や貧民の女性からも熱い視線を向けられているのかが分からない。
「......何の用でしょうか?」
私は睨みながらも、迷惑という感情を込めてクローデにここへ来た要件を聞く。
「ふうう、相変わらず怖いねぇ。僕と君は一緒に仕事をする仲なんだから、もうちょっとこう、仲良くいこうよ」
そう言いながらも、私に睨まれて、その口調のようにオドオドしているわけではなく嬉しそうなのが気に食わない。もし、クローデが私より下の身分だったら二度とその気持ち悪い笑顔を浮かべられなくなるくらいにはボッコボコにしてやるのに。
「相変わらず連れないね。とはいえ、思ったより元気そうで何よりだ。今日、製材所の見習いになって初めて僕以外に負けてショックを受けているかと思ったのに」
私は本当は目の前の男に普段の口調で反論したいのをグッと抑えて上司に対応する丁寧な言葉遣いで応対する。
「今回の目的は潜入調査であって、戦闘ではありませんから。それにクローデもあっさり負けていたではありませんか」
「ここには他の貴族の目は無いからそんな堅苦しい話し方はしなくてもいいんだけれど。とはいえ、痛いところを突いてくるね。僕だって、遠見の砦勤めで基本暇だから君のように剣の稽古は欠かしたことは無かったけど、まさか本気でやって負けるとは思わなかった。君があの子を見た時は本当に問題なしだったんだよね?」
「はい。三ヶ月前は私が少し威圧するだけでまともに口も聞けなくなるほどの実力でした。おまけに、冒険者ギルドを出入りする時の歩き方も、強者のそれとは程遠く、そこらに居る貧民や平民と大差ない程でした。だけど、今日は、三ヶ月前とは明らかに違いました。もし、三ヶ月前にあの状態だったとしたら私だって見落としていません。それに、親方やベルノも驚いていましたしね」
私の言葉を頷きながらクローデは聞いていた。クローデの他の貴族と違うところはここだ。彼は私のような下位貴族の話でも最後までしっかりと聞いてくれる。もしこれが、私より少し序列が高いだけの貴族の上司なら途端に私のミスを祭り上げて、失点を増やしにくるだろう。
「確かにそうだね。僕たちはここ二ヶ月で初めてアドリューンを見た。それに最後の親方の話から推察すると彼は一人で修行をしていたものと思われる。ならば、ほぼ間違いなくその修行とやらが原因だろう。何をやらされるのかは分からないけれど、もし、修行とやらで製材所に勤める者たちがアドリューンと同等、もしくはそれ以上の実力を身に着けられるなら――」
クローデは最後まで言葉を発することは無かった。無かったが、言いたいことは分かる。どうやら、アドリューンはこの三ヶ月で一気に成長してしまったらしい。とはいえ......
「そう言えば、アドリューンのことで妙に広がっている噂については聞いていますか?」
私はクローデに尋ねた。
「勿論。そういえば、今日の模擬戦の開始前に何か聞いていたのはそのことについて?」
「はい。それを聞いた時、彼は否定も肯定もしませんでしたが、親方に助けるような目を向けたのは印象的でしたね。あれだけ戦える少年が、アニマルや人を殺せないというのなら今のうちに討っておいた方が良いかもしれませんよ? 何かきっかけがあって殺せるようになってしまってからでは遅いかもしれません」
私はそう進言してみる。確かに今回の潜入調査は製材所を捌くための大義名分を手に入れる為のものである。アドリューンを暗殺しようものなら、間違いなく製材所や他の職人たちの不満が貴族に向くことになるでしょう。
でも、そんなリスクを冒してでも、今、アドリューンを討っておかなければ間違いなく貴族にとって都合の悪いことになるのは目に見えていた。
だが、クローデは乗り気ではないような顔をして言った。
「エミィ。確かに僕もそれは考えた。だが、もう少し様子見してもいいかい? 責任は僕がとるから」
容量を得ない答えだった。少なくとも、何か個人的な事情か、もしくは貴族の上層部の意向か。だけど、それをクローデの表情からうかがい知ることは出来なかった。
「クローデがそう言うなら私は構いません」
「助かるよ。ごめんね。君が逆らえない立場にいるのを利用した形になってしまって。でも僕はどうしても見ておきたいものがあるんだ」
そう言うと、クローデは黙ったまま考え込んでしまった。
――見ておきたい物? 何かしら? とても気になるけれど、この雰囲気だと教えてもらえそうにもないし。アドリューンを見逃していれば分かることでもあるのかしら?――
しばらく、会話のない時間が続いた。とはいえ、こうした沈黙が出来て初めて気づくこともある。クローデが来て、話をしたおかげか不思議と自分の中の抑えきれない感情がさっぱりと消えていた。とはいえ、この男が、潜入調査の間だけの家ではあったが、話すことも無く長居することは不快でしかない。声をかけて出て行ってもらうことにした。
「クローデ、もう話すことが無いのでしたら戻ったらどうでしょう? 明日も仕事がありますしね」
「ん? ああ、そうだね。確かに長居しすぎてしまったようだ。また気付いたことがあったら教えて欲しい。僕らはパートナーなんだから!」
台無しである。私は最後の最後で爆弾的発言をしたクローデに冷ややかな視線を向けて見送った。そして、彼を見送った後、すっかり日が落ちた灯りの無い平民街の一角にある家のベッドに倒れこむようにして眠る。
そして、そんな生活を繰り返すこと一ヶ月が過ぎた――。
今日はあのアドリューンに敗北した日に親方から言い渡されたアドリューンが急成長したという修行が始まる日だ。私は潜入調査でありながら、どこか落ち着かないものを感じていた。
「さあ、アドリューン。あの若さで戦闘指南役になるだけでなく、素の身体能力や武器の扱いで貴族にも勝ってしまう、その秘訣とやらを見せてもらおうじゃないの!」
そうして、意気込んで製材所に向かった私は見習い一班。クローデは見習い二班で今日は木材運搬に行っている。製材所の前には、待ちきれなかったのだろう。指定の時間より比較的早めに到着した筈の私よりも早く来ている者がほとんどだった。
そして、しばらく時間が経つ。すると、貧民街のある方向から定刻通りに、背丈の小さな腰に木刀を差した少年がやってきて言葉を発する。そして人数を数え、全員そろっていることを確認したアドリューンは声を発した。
「うむ。皆、時間通りに揃っているようで何よりでござる! 皆、知っているとは思うでござるが、あまり顔を合わせたことがない者も混じっているが故に自己紹介をさせて頂く。今日から三日に一度の修行を担当するアドリューンでござる。では、説明するより見てもらった方が早いと思うゆえ、付いてきて欲しい」
そう言って、アドリューンはおおよそ六歳半ばとは思えないほどはきはきとした挨拶をし、私たち見習いを先導する。だが、向かう方向が職人街から近い東門ではない。
――修行というからには、てっきり外へ行くものだと思っていたのだけど、違うのかしら?――
そう思ってはみたものの、誰も質問しようとはしないので、私も黙ってついていくことにする。職人街をぬけると貧民たちが売り買いをする市場に出た。売っているものは、食料品から貴族の私からすればゴミのようなものまである。売り手も同様に薄汚れている者が多い。
そんな中でも特に驚いたのはアドリューンに声をかける者が多いことだった。というか、多すぎる。アドリューンの周りには自然と人だかりが出来ていた。
「よお! アドリューン。今日は何があるんだ?」
「うむ。これから、皆で修行するのでござる」
「すんげぇ大所帯じゃねえか! 修行ってんなら、この飲み物はどうだい? 朝一で絞ったんだ。景気づけに一杯飲んでけよ!」
「すまぬでござる。これは仕事故に今日は遠慮しておくでござる」
そんな風に人を捌きながらアドリューンは少しずつ少しずつ前へと進む。
――まさかここまでアドリューンに人望があるとは。貧民とはいえこれだけの人と上手く付き合うとあっては職人の比ではないでしょう。これはかなり不味いかもしれないわ――
クローデと話し合うことが増えてしまった。そう思いながらもアドリューンに付いていくと、気付くことがある。少しずつ臭くなっていく臭いがこれからアドリューンの向かう場所を意味していた。
――あれ? もしかして、修行って貧民街でやるのかしら? 嘘よね? 平民街だってあり得ないのに、貧民街って――
だが、これも仕事のうちだと私はなんとか頭の中を切り替える。なんとか嫌悪感を顔に出さないように全力を尽くす。だが、私の悪い予感は、当たってしまった。
「うむ。修行場所に着いた故に、これからする修行について説明と実演をするでござる。これから皆にも出来るようになってもらう故、よく見ていて欲しいのでござる!」
そう言って、アドリューンは貧民街の中へと入っていく。勿論、ナニとは言わないが、貧民街は全く整備すらされていないのは知っている。当然ではあるが、排泄物の回収だってしていない。そうなれば、それを捨てるのも当然であって。
びちゃっ! びちゃっ!
貧民街の入り口に居る時点で悪魔のような音が響くのが聞こえてくる。もし、潜入を始めた当日にここへ来たら私は卒倒していたかもしれない。周囲を見れば平民出身の者は明らかに嫌そうな顔をしている。
そんな中で平然とアドリューンはその糞をまるでどこから降ってくるのか分かっているかのように躱して走る。よく見てみれば、尋常じゃないスピードで首を動かし周囲を把握している。それを見ただけでアドリューンにに何故負けたのか分かった気がした。そうして彼が見えなくなってしばらくするとまたアドリューンは戻ってきて言った。
「今、見て貰った分で分かるように、皆にはこれから貧民街を某と同様に汚れを付けずに走り抜けられるようになってもらうでござる! 某は皆を見て指導しながら、次の段階の糞尿回収をしている故、何かあれば気兼ねなく尋ねて欲しいでござる!」
その声と同時に私は頭の中が真っ白になった。
――糞尿の雨の中を貴族の私が走る? え? 嘘でしょう? 誰か変わりなさいよ! こんなことをするくらいなら変わってくれた人の執務一年分引き受けたっていいわ。だから、だから――
だが、助けてくれる人は誰も居るはずも無く、私はこの狂気とも言える修行へと参加させられることになってしまった。
というわけでエミィ視点でした。アドリューン暗殺とは物騒ですね......とはいえ、アドリューンが製材所内の原動力となっているのは間違いないわけで。中心人物の暗殺はある意味で言えば有効な手立てなわけです。クローデは止めましたけど。
クローデの覚醒者としての能力ですが、エミィは知りません。ただ、ここだけの話、クローデの能力は、距離があれば敵か味方か無関心かくらいしか分からないのですが、近ければ近い程、相手が感じている感情を読み取ることが出来ます。つまり、クローデは常にエミィを見ている良い上司なんですよね。
気持ち悪がられてますし、最高の生活環境で生きている貴族に急に名指しで指名して最低に近い生活環境の場所へ調査に行かせる上司なんですけどね。
あれ? 書いてて思ったけど、クローデって変態でパワハラな最低上司では?
......まあいいか(目逸らし)
次回はアドリューン視点に戻って進めていきます。アドリューンはどのように修行を進めていくのか、楽しみにしていてくださいね~ では。




