侍の心得其二十五 アーミー宅へ訪問
シーカスが扉の前についていた呼び鈴を鳴らす。
中から、「少々お待ちください」という低い男の声が聞こえてくる。声の感じから、アーミーの御父上ではないかと思う。人と会う前というのは少なからず緊張するものだ。それが初めての人であればなおさらである。中からドタドタと足音がした後、扉が開く。
そこに居たのは......気のいいおじさんというのがピッタリの中年男性だった。背はシーカスより少し高いくらいで、どちらかと言えばやせ型である。
いくらか話しやすそうな雰囲気の人が出てきてくれたおかげでいくらか力が抜けたが、それでも、気を抜くわけにはいかない。師匠としての威厳を保つには最初が肝心なのだ。
「おや、シーカス、こんな時間にどうしたんだい?」
「こんばんは。トーミーさん。アーミーがトーナメントで全力を出し過ぎて、疲れて動けなくなってしまったので、送ってきました。それから、少しお話があるのですが、よろしいですか?」
「おお、それはすまなかったね。送ってくれてありがとう。話、か。分かった。アーミーを送ってくれたお礼も兼ねて菓子でも出そう。上がってくれ」
身構えていた某の様子などまるで目に入っていないように、シーカスとトーミーさんで会話が進んでいく。ぬう、やはり六歳で威厳を出すのは無理な話であっただろうか
「ありがとうございます。あ、一緒に来た、アドリューンも一緒に上げてやってもいいですか?」
「アドリューン? おお、この子が例のアドリューンか。始めまして、アーミーの父のトーミーだ。息子から話は聞いているよ。遠慮せず上がって欲しい」
「お言葉に甘えさせていただくでござる」
某の言葉遣いに反応して少しトーミーさんが眉根を上げた気がした。やはりこの言葉遣いは驚かれるものなのであろうか。
シーカスと某との会話が終わった後、トーミーさんはシーカスからアーミーを受け取った......と言っても、アーミーがシーカスの背中からトーミーさんの背中に移っただけであるのだが。
その後、寝室へとアーミーを運んで戻ってきたと思われるトーミーさんによって某とシーカスは家の中を案内される。家の広さとしては、某が今住んでいる貧民街の借り部屋と同じか少し広いくらいだった。とはいえ、やはり、貧民と平民の違いはあるのであろう。家の中に土が積もっているだとか壁やドアがツギハギとか言うことは無い。
きょろきょろと周囲を見回していると某を見ていたトーミーさんと目が合う。
「アドリューン、君もシーカスと同じ貧民かい?」
「うむ。そうでござるが、一体どうして分かったのでござるか?」
某は一瞬で見破られたのが不思議でならない。というのも、少なくとも職人街で働く者は、貧民も平民もそこまで服装に違いが無いからである。
「どうして、か。君の行動を見ていれば分かるよ。シーカスも初めてここに来たときもそうだったね。貧民の生活環境を考えれば、初めて見る平民の家をじっくり見てみたくなるのも分かるからね。もし君が平民の子だったら、間取りのほとんど変わらない他の人の家を見ても、そんな反応はしないからね」
「なるほど。そう言われてみればそうでござるな。某の住む場所と比べてここは何倍も綺麗で羨ましいでござる」
どうやら、某は行動まで、貧民が板について来たらしい。少し気を付けねばならぬやもしれぬ。とは言ってもどう気を付ければ良いのか見当もつかぬでござるが。
そんな会話をして、案内された部屋には一人の女性と、木で作られた大きめの背もたれ付きの椅子がいくつかと真ん中にはテーブルがある部屋だった。恐らくではあるが、ここがリビング兼応接間といった役割を果たす部屋なのだろうと思う。
促されるままに某とシーカスは椅子に座る。そして、座ったのを確認した女性が、某とシーカスの前に、小皿に乗ったお菓子を出してくれた。それにしても、これは前世でも見たことのないお菓子でござるな。焼き菓子であることは間違いないでござるが......
しかし、そのお菓子から香る甘い匂いは質素に質素を重ね、時々果物を食べられる程度の某にとっては魅惑的で、一思いに食べてしまうのは勿体ないとか、某がこんなにいい物を食べても良いのかという思いに駆られる。
そんな逡巡と戦う某がお菓子を見ていると、お菓子を持ってきてくれた女性が微笑ましげに笑いながら某に言う。
「遠慮せずに食べて下さいね。もしかして、このようなお菓子は初めてでしたか?」
「う、うむ。ではいただくでござる」
サクッ。それは、貧民である某では到底味わえないような触感であった。それと同時に口の中に広がるほのかな甘み......前世のお菓子と比べれば当然劣る。劣るが、この世界に来てから人の手の加わった甘味と決別していた某にとってそれは天上の甘露にも感じた。
「ン――――ッ!!」
某が、声にならない声を上げて喜んだのを見て、トーミーさんと女性も嬉しそうな顔をしているのが分かった。ふと隣を見てみれば、シーカスは既に完食していた。
そうして、某も食べきった後、異世界に来て初めて食べたお菓子の余韻に浸っていると、トーミーさんが口を開く。
「さて、お菓子も満足してもらえたようで良かったよ。まずは紹介させてもらう。家内の、サリーだ」
「サリーです。今日は、アーミーを連れて帰ってきてくれてありがとう。シーカスは覚えているけど、そちらは?」
某に目を向けているのが分かったので、某も自己紹介をさせてもらうことにする。
「アドリューンでござる」
その声を聞いたサリーさんは大きく目を見開いて某を見る。む? やはり、某の言葉遣いは、驚かれるものであろうか? それでも、これは某の思う侍として譲れぬものがあるゆえに変える気はないのだが。
「まあ、あなたがアドリューンね。本当に面白い話し方をするのね。アーミーから聞いているわ。半年くらい前から、あなたと特訓するって言って、休日が来るたびに出ていくものだから、一度会ってみたいとは思っていたのよ。まさか、こんな小さな子だとは思ってもみなかったけれど」
どうやら、アーミーは某の年齢については伝えていなかったらしい。アーミーも気のいい先輩と話しているみたいだと某のことを形容していた故に、ご両親にはそのように伝わっていたのやもしれぬな。
そんな風に自己紹介を終えた後、シーカスが今日のトーナメントのこと、某がアーミーの師匠であること、それに加えて、アーミーが明日から職人になるという親方からの伝言を伝えると、トーミーさんもサリーさんも驚きで、空いた口が塞がらないといった様子だった。その後、我に返った二人は――
「そうか、そうか、そうか、アーミーが、そうか、そうか、アーミーがな、そうか......」
「遂にやったのね。アーミー。嘘じゃないのね。良かったわ。本当に良かったわ」
トーミーさんは衝撃のあまり、語彙が、アーミーとそうかだけになっているし、サリーさんは喜びの涙を流しながらアーミーの出世を喜んでいる。当事者がこの場におらず眠ったままというのがなんだか不思議な気はするが。
そのくらい、職人になるということは凄いことなのだと。
とはいえ、アーミーはそれだけの努力をしていたことは某はよく知っている。十四や十五の子供に、休日を返上して将来の為に努力しろと言われて全ての子供が出来るわけではないのは想像に難くないであろう。それをアーミーはやったのだ。きっと某が知り合う前もずっとシーカスや他の見習いに勝つために努力し続けて来た筈である。
それが実っただけということ。とはいえ、この光景を見ると某もなんだか胸がじーんと締め付けられる気がする。そんな中を、とりあえず伝えることは伝えたし日が完全に暮れてしまうからという理由で辞して外に出る。
アーミーの家に着いた頃にはまだ顔を出していた日は完全に顔を隠し、日が出ていた名残の残り火のように淡く空が光るにとどまっていた。
「アドリューン。迎えに来たわよ。確かあなたはシーカスだったわね、ありがとうね。アドリューンを見ていてくれて」
「母上!」
外に出ると、アーミーの家の近くで待っていたと思われる母上が声をかけてきた。そういえば、もう普段なら家に戻っている時間でござるな。母上は某を心配して迎えに来てくれたということであろうか。それは申し訳ないことをしたでござる。
「いえいえ、ただ、来ていただいて助かりましたよ。アドリューン、かなり足元がフラフラで、このままだと帰りはアドリューンを背負って帰らなきゃいけないところでしたよ」
「な、某はまだ――ぐ、」
まだ、大丈夫と反論しようとしたところで、ふっと足から感覚がなくなり、地面に座り込んでしまう。これでは説得力がなくなるではないか! 動け足!
「それは丁度良かったわ。そこまで迷惑をかけてしまったら、平民の家みたいにお礼にお菓子なんて出せないもの」
「何を。メリアさんだったら、いくらでも準備出来そうですが。......とはいえ、助かりました。俺の家は貧民街の大通りに面してないので、ここからだと、別の道で帰った方が近かったんですよね。じゃあな。アドリューン。今度、機会があったら今日の一回戦で最後やろうとしたことを教えてくれ」
そう言って、シーカスは去って行った。それを見送った後、某はかなり久々に母上に背負われることになる。
「アドリューン、今日は凄かったわね。結果は一回戦で負けていたけれど、今までで一番見ごたえのある戦いだったわ」
「それは良かったでござる。アーミーの手前、某が手を抜いて戦うことは出来なかったでござるし、半年間、アーミーと共に倒そうと目標に頑張った相手でござったから。本音を言えば、勝って、アーミーと......うぅ」
む? どういうことでござろうか。勝手に涙が......
「母上、これは違うでござる、某、目にゴミが――」
「いいのよ。アドリューン。悔しかったんでしょう。それに、その涙は次へ進むための糧になるわ。母さんの背中で隠していいから、気のすむまで流したらいいわ」
そう言われると、何故か涙を止めなくても良いかと思えてくる。不思議なものだ。これが、母親の包容力というものでござろうか...... とはいえ、今日のところはお言葉に甘えさせてもらうことにするでござる。
その後、ひとしきり泣いた後の記憶が無い。次、起きた時、某は、愛しのノミと共にベッドで寝かされていたのだから――
アドリューン、アーミーの背中でも泣いていましたが、やはり母上の背中は格が違ったようですね。さて、シーカスが最後に『やろうとした』と言っていますが、迎刀術 反転 は、不発だったんですよね。だから其二十二では描写しませんでした。
それから、其二十二で、アーミーがアドリューンを師匠と呼んでいた最後のセリフシーンを少々修正しました。其二十三の内容とちょっと齟齬が出るので。
次回、アドリューンが親方に呼ばれます。さてさて何を言われるのやら――




