侍の心得其十三 貧民街の大通りを服を汚さずに走り抜けてね? 服を汚したらその分はお給料から天引きだから
「#%&’”#%&’’&$#%&むああああああああああ!?!?」
某は今、自分でも驚くほどの声にならない奇声を上げて貧民街の大通りのど真ん中で立ちすくんでいた。あり得ぬ! あり得ぬ! あり得ぬでござるぅぅぅぅ!
どうして、貧民街の者たちは平気で糞尿を捨てることが出来るのだ!
頭から被る方の気持ちが分からぬのであるか!?
しかも、しかも、しかもおおおおおおおおお!!
......そう、某は今、頭から糞......いや、それならいくらかよかったであろう。今、某が被ったのはゆるゆるの糞。そう、下痢便でござる。人間とは不思議なもので、地獄のように臭いにおいも、風呂も石鹸もなく、体を拭くくらいしか出来ない不潔な環境でも、ベッドに潜るたびノミに襲われようと、なんとか慣れることができたのである。
であるが、流石にこれは無理というものでござる!
「......っぷふふ! アドリューンあなた盛大に被ったわね。しかも、修行を始めて最初に被るのが一番厄介な下痢便。あなた持ってるわねぇ。それ、全身にしみ込むから、一週間くらいは臭いが取れないのは覚悟した方が良いわよ」
母上が腹を抱えて某を指さして笑っている。ぬうう、悔しいでござる。それに、母上は某が盛大に糞尿を被っているというのに跳ねのひとつも掛かっていない。間違いなく母上には見えているのだ。この糞尿が。実際、走ってみれば分かる。
ただでさえ、投棄される糞尿のせいで少しよそ見すれば転んでしまうようなボコボコの道なのに、加えて両サイドに前世で言う、集合住宅から法則性皆無で降ってくる悪夢の弾丸。排便用のバケツが窓から見えればまだマシ。基本は室内から投げ捨てているのであろう。予兆なく射出される凶弾をボコボコの道の上を転ばないように走りながら避ける。これを五歳と半年過ぎた程度の子供が出来るようになることの難易度は想像に難くないであろう。
某は未だ某を見ながら笑い、糞尿が降ってきたら当たらなければどうということは無いと言う具合に避ける母上を恨みがましく見つめる。
「ぷぷっ! ちょっとアドリューン! あなた今凄い面白いことになってるのよ? お願いだからこっち向かないで頂戴」
「ぐぬぬぬぬうううう!」
某はなんだか無性に腹が立ったので母上の方を定期的に見たり、巻き添えをくらわせてみようと、自棄になって地面に落ちている糞を母上に向かって投げてみたりもしたが、当然何事も無かったように躱される。それどころか――
べちゃっ!
「ぬああ?!」
「ぷぷっ! 母さんに糞をぶつけようなんて十年早いわよ。アドリューン。それに、まさか母さんに投げたはずなのにそれは外れて別の糞が当たるとか。アドリューン、あなた面白過ぎね。あ、でも母さんに糞を投げたから今日はご飯抜きね ふふっ」
「そんな~ 殺生でござるぅ......」
一石二鳥とはよく言ったものである。某は今、リアル一石二鳥を体験した。ただ、悪い意味で。であるが......
結局、某は下痢便を浴び、母上への八つ当たりに失敗して糞を浴び、飯を失い、その後、降ってくる糞尿を警戒しすぎて足元がおろそかになり落ちてきたばかりの尿で出来た水たまりで滑って転んでダイブ! そうして、色んな意味で命からがら家に着いた某は流石に今日の修業は終わりにしてもらえることになった。服を脱がされ、水でざっと洗われ、ベッドに放り込まれる。
「アドリューン、今日は色々疲れたでしょう。大人しく寝ておきなさい。あ、そうそう。糞尿を被って駄目になった服の代金はアドリューンのお給料から引くから、頑張って当たらないように気を付けなさいよ? でなきゃ、あなたの分の食事が減ることになるからね」
「なんと!? 糞尿被って飯が減る? それはいくらなんでもあんまりではないか? ただでさえ、某、今日飯抜きになったばかりであるのに! それに、修行に使う衣類は製材所の経費で落ちぬのであるか?」
「確かに経費として請求すれば親方は出してくれるでしょうね。でもね、アドリューン。いくらでも汚せるとか、何度でも挑戦できる環境ってそれ、本当に修行になるのかしら? あ、汚れた服は貴方が脱いだら即廃棄するから使いまわそうなんて思わないでね。それから、明日からあなたが糞尿まみれになってあなたを洗う水を汲みに行くのもあなたの役目にするから、それも頑張ってね。ふふっ。明日からが楽しみね」
悪魔だ! 悪魔でござる! 異世界転生してきた当初はもっと母上優しかったではないか! 思いやりがあったではないか! しかも、自分の息子が糞尿まみれになるのが楽しみであると!?
「それが母上のやり方かああああああ!」
「じゃあ、母さん、製材所に報告とお手伝いに行ってくるからアドリューンは休んでてね。明日からはもっときつくなると思うから。明日はもっともっと笑わせてもらうわ。期待してる。ぷぷっ! あ、その叫び方なんだかユーモアがあって面白いわね」
そう言ってて母上は足早に製材所へと向かってしまう。それに比べて某は寝室で横になっているしかない。今日はここ数日の修業より体力的には楽であったが精神的にはかなりきつかった。そもそも、前世なら絶対に経験することは無いであろうからなあ。あっても鳥の糞を一生に一度被ることがあるかないかくらいであろう。
次の日、今日からは製材所にはいかずに貧民街の大通りで修行をすると母上には言われた。なんでも、次に製材所にいくのは某が糞尿を浴びずに貧民街の大通りを往復出来るようになるか、修行の期日が来た時だという。
とはいえ、闇雲に走っても糞尿を浴びることに変わりは無いので母上にコツを聞いてみることにする。
「母上、母上はどうやって糞尿を避けているのであるか? 何かコツがあれば教えて欲しいのでござる」
「簡単よ。まずは前を向いて、道の凹凸と前を走る人の位置を把握して、走るルートを決めるの。走るルートが決まったら今度は建物を見るの。当然建物を見ている間も足を止めちゃだめよ? ここで見る建物は自分の走るスピードで、糞尿が当たる範囲までにすること。あとは糞尿が降ってくる部屋を把握してあとは全力で回避しながら走る。これを繰り返すのよ!」
「......なるほど。つまり、某は糞尿を浴びるしかないということでござるな」
「まあ、頑張るのよ。......貧民街で生活していくにはあった方が良い能力だからね。私も初めて父さんからこれをやれと言われた時はそれこそ絶句したわ。それに比べればアドリューンはよくできている方ね。まあ、私は更にもう一段階上を目指して欲しいと思っているのだけれど」
少し、考えるように話す母上が少し気になったが、それよりも気になることがあったので某はそちらについて確認することにする。
「もう一段階上でござるか?」
「そうよ。言ったわよね。跳ねも飛ばさずにって。」
「......やってみるでござる」
泥の上を全力で走って跳ねさえも飛ばさない。これを最終目標に某は頑張った。
最初の一ヶ月、飯が減るのは嫌だという思いから死に物狂いで糞尿を避け続けた。いや、逃げたという方が正しいかもしれぬ。朝から晩まで某は貧民街の大通りを走り続けた。当然、毎日の修行の終わりごろには何とは言わぬが某はぐちゃぐちゃであったし、某を監視する母上は汗一つ掻かずに身ぎれいなままだ。
ただ、日を追うごとに某は少しずつ地面から目を切っても転ばなくなり、建物を見ていられる時間が増えたことで糞尿にも当たらなくなった。余裕が出てきたあたりで何度かいつも涼しい顔をしている母上に、泥ならぬ『糞』を付けてやろうと飯抜き覚悟で特攻してみたりしたのだが、結局一度も当てることは叶わなかった。
そうして更にひと月が過ぎていった。某はこの半年間ずっと走り続けたおかげで、虚弱体質とはどうにかおさらばできたらしい。それに加えて、地面とにらめっこをつづけたおかげで地面を一目みただけで地面の柔さがなんとなくでも分かるようになっていた。その結果、足の踏み場もない程にぐちゃぐちゃになったような場所でなければ跳ねも飛ばさずに走れるようになっていた。
「ふふ、まあ、及第点かしら。よく半年間頑張ったわね。さ、親方の元へいってらっしゃい」
「うむ。分かったでござる。では母上、いってくるでござる」
今日は親方から言い渡された半年の期日である。半年前、某は、製材所から母上に手を引かれてでも市場を抜けるのが精一杯であったし、階段であれば、最上階の十階にある家から一階まで自力で降りることさえ出来なかった。
それが、今は息切れすらすることなく、容易にこなすことが出来る。そんなことを思いながら階段を降りきって貧民街の大通りへと出る。今は明け方。基本的に電気など存在しない......いや、某が見たことがないだけかもしれぬが。そんな異世界の朝は早い。皆が日の出とともに行動するが故にこの時間は降ってくる糞尿も人通りも多い。
まだ冷たい風が頬を撫で、その心地よさを打ち消す、思わず顔をしかめずにはいられない、そんな臭いが鼻を刺す。いつもなら、母上が隣にいるのだが今日はいないのに、寂しいような嬉しいようなそんな気持ちを混ぜ込んだような思いを某は飲み込む。
ここには屋根がある。だが、ここから一歩でも出れば、屋根はなくなり、必死のパッチで糞尿から逃げ惑うレースが始まるのだ。当然、ここで某は糞尿に当たるわけにはいかない。親方に会うからには糞尿で汚れるわけにはいかぬのだ。
「スー、ハー、スー、ハー」
いくら準備をしてきたとはいえ、明らかに過剰な母上からの課題を完璧にこなしたとはいえ、やはり、母上以外の誰かに修行の進捗を確認されるというのは緊張してしかるべきなのである。
貧民街の大通りへと踏み出した某は、洗礼とばかりに降ってきた尿を躱し、人の流れに乗って走ってゆく。人が多い時はポジショニングも大切だ。誰かの後ろにピッタリ付けば、跳ねが飛んでくるし、逃げ場も無い程に人が密集している場所......即ち通りの中央付近にいけば、万が一、落としたのではなく投げられた糞尿が飛んできた時に対応できない。そんなわけで、某は比較的住居に近い場所を走ってゆく。そうして二、三度糞尿を躱して製材所へと走ってゆく。
途中で通る市場では相変わらず某はひやかされ、なんで今日は【飛脚】が一緒にいないんだと聞かれ、色々大変であったが、なんとか製材所までたどり着くことができた。
そこでは親方が門の前で仁王立ちして待っていた。頭は......これまでにないくらい光り輝いているな。うむ。
「おう、アドリューン。少し見ないうちに見違えたな! 流石の俺も貧民街の大通りでの修行となるとひやかしにもいけなくてなあ。かなり背も伸びたみてぇだし、で、どうだ? 修行の成果のほどは?」
「一応、製材所と自宅を往復走って出来るようにはなったでござる」
「なに? 走って往復出来るようになっただと? メリアはいつも修行の進捗だけは教えてくれなかったからな。まあでも、メリアが鍛えたならそれくらい出来るようになってるのかもしれんな。今、ここにメリア無しで居る時点で合格でもいいんだが、それだとうちの弟子どもが納得しねぇだろうしな。よし、おおい! ベルノ! お前、ちょっとアドリューンの試験を見てやってくれ。お前が見て、大丈夫だったら誰も文句は言わねぇだろう」
そう大声で叫ぶと、親方の胴回りの三分の一程しか胴回りのない痩身の男が門から出てきた。親方はこれまでの経緯をベルノという男に説明すると、ベルノは明らかに嫌そうに眉をひそめた。
「親方、実はあなたが直接貧民街へ行きたくないから私を呼んだということではありませんよね?」
親方の頭の光が少しずつ弱まっていく。あれ? もしかして図星でござるか? もしかして、貧民街ってそんなにも忌み嫌われる場所であるか?
「ははは、そんなことはないぞ! そんなことは......」
「頭が語っていますよ。貧民街には行きたくないって」
よく見てみれば親方の頭は明滅し始めていた。どうやら、本当に行きたくないらしい。ん? そう考えると、親方って実は平民ではないのであろうか? ふむ。貧民と平民は一緒に仕事をしないのが常識だと思っていたが違うのであろうか。
某の考えをよそに、親方とベルノさんの言い争いは終局を迎えていた。
「まったく。親方はいつも後先考えずにしゃべるからこんなことになるんです。私が戻ってくるまでにお湯と着替えの準備、それから、次回の給料二割増しで良いですね? これが出来ないなら私は行きませんよ?」
「......分かった。それで頼む」
こうして、某はベルノさんという恐らくこの製材所では珍しい親方に物を言えるだけのそして親方に勝ってしまう程のやり手と思われる人に修行の成果を見せることになった。
貧民街に行くだけでボーナスが出るというのはなんだか某、解せぬものがあるでござるが......
今日は予定より千文字もオーバーしちゃったなあ。
まあ、多い方がサービス感あっていいよね(ということにしといてください......)




