折れた剣
#another side
彼は、アーサーは漂っていた
暗鈍なる黒い空間を
沼のような夜のような
夢のような、そんな現実を
意志をおざなりに動く視界
暴れる蜘蛛、自分がそれに飲まれた絶望
自身が人であるかさえも
忘れてしまいそうだった
その時
柔らかい光に包まれた
翠色の羽毛のような暖かい炎
その優しい光に包まれた瞬間
意識が覚めるのを感じた
人であることを思い出した
同時に溢れ出した自責の念
目の前にいるのは焦がれた人だ
思いを寄せた金髪の少女だ
そしてその背後には
自国の皇太子、そして隣国の兵士達
どれも守りたかったものだ
そのために兵士と、護警団となった
幼きころの無垢な夢に突き動かされ
救世主になりたいと願った自分は今
悪魔となって人を傷付けた
ツゥと頬を涙が伝う
「…良かった…涙が流せるうちは…まだ、人で居ていいよな…」
翠色の炎の温もりに
自らの頬を伝った涙の温度に
アーサーは決意を、固めた
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# misery,s side
今度こそ
咄嗟に自身から放たれた翠色の炎
それによって事態は好転したと言える
ならば今度こそ
今のうちにケリをつけなければ
ミザリーは自身の内の内にまで意識を巡らす
守ると決めた、ならば
『この際…私は悪魔だって構わない…』
ふわりと漂う翠色の炎
その中で一際光るミザリーの瞳は
不意に呆然となっているように見える
ベイガンに向けられた
「やるなら今しかない…けど、けど…」
両者ともを視界に入れたままのベイカーの言葉の切れが鈍い
懸念すべきことがまだある
だが、その懸念の鍵はすぐさま訪れた
【ベイカー…】
はっと頭に響いた声に驚き周囲を見回す
だがすぐ側にいたルベリオはそんなベイカーを不思議そうに見つめた
「これは…聞こえてないのか?」
「どうしたんですかベイカー?なにか聞こえました?」
ルベリオの言葉でやはりこの言葉はベイカーにしか聞こえていないと判断できた
かつて海で出会ったヨルムンガンドの時もそうだった為、すぐにそうだとアタリをつけられた
【頼む…オレは…もう呑まれてしまった…倒してくれ】
「っっ!」
やはり、とベイカーは思わず下唇を噛んだ
そんなこと想像したくはなかった
だがなぜだかそう考えてしまっていた
勘なのか予感なのか
よりにもよってそれが当たってしまった
「(アーサーが…ベイガンなのかっ…)」
理由は分からない
問うこともできない
問おうとすればルベリオやミザリーにも
そうだと気付かれてしまう
アーサーの声がベイカーにのみ聞こえた理由
ベイカーへと届けた理由は
それを勘づかせたくないためだと悟った
公国の兵士として、正義の旗を掲げた
あの青年にとってそれがどれだけ苦痛であるか
慮った
初めて現れた時も
突如、茫然自失し去ったベイガン
そして先程同じように呆然としたこと
「(君は…抗ってたんだな…)」
彼に悪意はない
ならば外的要因でこういう事になったのだろう
そして、自ら選んだのだろう
結末を
「(どれだけ悔しいんだ…どれだけ哀しいんだ!…君は…)」
【ミザリーに指示を…早く…抑えつけるにも…
もう限界が来そうだ…】
ぐっ、と
ベイカーは歯を食いしばった
「ミザ…頼む…」
俯いたままのベイカーの声は
重かった、複雑な感情が乗っても乗っても乗り切らぬほどの重さ
声が耐えきれぬほどに
『…ビー?』
それでもその声は
ミザリーへとしっかりと届いた
「ミザッッ!!そいつを…倒してくれ!頼むっ…」
掠れるほどの思いが乗った声が
ミザリーへと届く
『…言われるまでもないわよ』
どこか疑問を感じている気配を帯びつつもミザリーは改めてベイガンへと身体を向けた
キィン
指を弾くと三度
光る三つ編みが現れる
次いで剣と化したマッドローズを
思い切り振りかぶり、ベイガンとは逆方向へ投げた
同時に光る三つ編みがその剣を追い伸びる
そして、20mほど飛んだ所で、三つ編みが剣の切っ先をベイガンの方向へ向けるように掴んだ
〈バチッ…〉
ミザリーから伸びた光る三つ編みは
帯電しているように火花を散らしている
ミザリーがベイガンへと向かって走り出す
同時に伸びていた三つ編みが剣を掲げたままその主の元へと返っていく
それはまるで帯電する三つ編みをレールとして、その上を剣が走るように引き戻されて
『さよなら』
ベイガンの目前まで迫ったとき
その行先を示すように腕を振るうと
苛烈な電磁引力によって引かれた剣は
空気を裂き穿つ轟音をあげながら
ベイガンを捉えた
〈ゴッッッ!!〉
身に纏う氷の結晶や外殻を砕きながら
剣はベイガンを貫こうと推し進める
〈ザザザザッ〉
巨躯が地面を抉りながら吹き飛ぶ様は
この悪夢のようなひと時の終わりを感じさせていた
外殻を砕きながらも耐えていた
ベイガンの身体は
突如ふっと糸が切れたように
〈ドッ!!!!!〉
勢い止まぬ剣に貫かれた
〈パチッ…パリッ〉
帯電したように周囲を静電気が走る
ミザリーが腕を引き戻すような仕草を取ると
三つ編みは再びミザリーの元へと剣を引き連れて返ってきた
『イメージ通りいくもんね…』
引き戻ってきたマッドローズを手に取ると
ふぅと息を吐きフェンリル化を解いた
「すごい…なにしたんですか…今の?」
ルベリオは目の前で起こった光景を
理解できていないように目を瞬かせている
「ミザの三つ編みは、多分あの羽根みたいな炎もだけど魔力で出来てるんだ。それを電力に変質させて、剣を引き寄せる力として利用したんだろう。擬似的な電磁砲ってとこか…」
『ややこしいわね…押すより引く力の方が強いのよ』
〈ガラッ〉
ハッとミザリーたちが目をやると
顔面から体躯に至るまでの風穴を開けながらもベイガンがグラリと立ち上がろうとしていた
【狼…よくも…ヨクモ我に…風穴なんぞ…】
それはベイガンの声であったが
やはりダメージは極大、辛うじて繋がっている、触れれば切れそうな糸のような状態であることは明らかだ
『いい加減しつこいわね…』
【グァグァ…良いのか…?我を…我をやれば宿主も…】
ベイカーがハッとする
だが
〈ドゥオンッ!!〉
次の瞬間には
マリーゴールドの口から煙が上がり
その銃弾の行先となったベイガンは
繋がっていた糸を、切られた
〈ガシャンッ〉
その巨躯も、黒く染まり
そして硝子細工であったかのように砕けた
『私はさよならって言ったのよ』
とうとう凍て蜘蛛を倒したと
遠巻きに見ていたハイゼン武国の兵士たちの歓声が聞こえてくる
ミザリーも一つ息をつき、疲労感を醸し出している
ルベリオも同様だ
腰を落とし、周りの歓声をぼんやり眺め始めた
だがベイカーだけは
ベイガンを注視していたベイカーだけは見ていた
黒く染まり弾ける瞬間
微かなもやのような影が密かに飛んで行くのを
「ミザ!ちょっと周りを見てくるよ!ラビに付いててあげて」
そう告げるとザッと走り出すベイカー
残されたミザリーとルベリオは
不思議そうに、唐突に駆けだしたその後ろ姿を見送った
周りの喧騒も顧みず
数十メートルを走ったベイカーは
倉庫だろうか
やはり人気のない木造の小屋の陰に
アーサーを見つけた
腹部が大きく血で滲んでいる
恐らく、風穴が空いているのだろう
生きているのが不思議と言えるほどの出血量であることは明らかだった
ぐっと息を飲んだベイカーに気づいたアーサーが掠れた声をあげた
「ベイカー…すまないな…酷な指示を、させたな…」
その声が帯びる哀切に
またも胸が締め付けられる
「いいよ…でもなんでこんなことに…」
膝をつき
改めてアーサーの怪我の様子を見る
「いや、それより先に治療を…」
「よせ…もう…無理だ」
「でもっ!」
「良いから…聞いてくれ」
ベイカーの瞳が揺れる、悲哀の予感に
「俺は…ハイトエイドに利用されたんだ…皇太子を連れ戻すなどという大義に浮かれた俺は…疑いもしなかった、小さい黒い箱を渡され…そこからだ、嫌な夢を見るようになった」
「それがあの、ベイガンに飲まれたきっかけだったのか…」
ふっと空を見上げたアーサー
「どういうものかは…分からないが恐らく………いや…俺が…弱かったんだ。兵士として国を守れやしない…好きになった人も…手にかけようとしてしまった…」
その目に涙が、血が混じる涙が浮かぶ
「違う!君は、強いっ…」
感情の高まるままにベイカーの声量があがる
「ベイカー…」
「抗ってたじゃないか、戦ってたじゃないか!自分を…犠牲にしたじゃないか!」
ポツリとベイカーの涙が
地に落ち、滲んだ
「そんな君が…弱いもんか…」
「…お前……聞け…」
不意にアーサーがベイカーの腕を掴む
「ベイカー…お前が、ミザリーを守るんだ」
グッと掴んできたアーサーの握力は
お世辞にも強い力ではなかった
「…ミザを…僕が…?」
「そうだ…誰でもない!お前がミザリーを守るんだ!頼む…誓ってくれ…」
だがその瞳から感じる想いは
焼けるように、燃えるようにとても強かった
「じゃないと…安心して逝けやしないんだ」
ふっとアーサーが微笑んだ
溢れようとする涙と
抑えようとするベイカー
だが溢れようとする想いはベイカーの意識を超え、涙として頬を伝い始める
この想いは決して無下にしちゃいけない
「…必ず、僕はミザを守れる男になる!君に、友達に誓う!」
涙を零しながら
掠れながらのその声は格好いいものではなかっただろう
だが
アーサーは安心したように目を閉じた
「…アーサー?」
「悪くないな…最期の最期に、友人ができた…想いも託せた」
思わず視線を逸らしたベイカーは
アーサーの傍らに折れた剣
アーサーの剣を見つけた
「アーサー…この剣、貰っていいだろ?…君も、君の魂も連れていく」
ベイカーの言葉に
閉じた瞼からも涙が溢れた
「ありがとう…ベイカー…」
そして
「…じゃあな」
と残し、去っていった
魔力の残穢の影響か、悪魔と同様に結晶のように固まり弾けて消えた
付き合いが長いわけではなかった
それでもアーサーという人物を忘れることはないだろう
人として、男として、友として
グッと友から譲り受けた剣を握る
折れたその様は、ベイガンへと必死に抵抗した、抗い戦った証のようだった
思いきり息を吐き出すと
ぐっと息を吸い込む
そして涙を拭ったベイカーは
ミザリーらの元へと歩き出した
微かな風が吹く
そんな木陰の傍らで
静かに三つ編みが揺れていた




