Dead Dreamer 後編
# another side
まどろみ と言うには深い澱んだ中に
ただ意識がたゆたうのみ
身体には自由はない
というよりは感覚がない
かすかな身じろぎさえかなわない
首から下が泥に沈んたような感覚
それでも視界には朧げになにかが映る
逃げ惑う人の姿
空気が白く染まり、結晶のような氷片がパラパラとはためく
そして時折視界に入り込む金、金色
それに気づくと彼は
アーサーは目を見開いた
「ミザリー!?」
不思議と発したつもりの声は音にはならず
まどろみの中に消えていった
もがこうと身体をよじらせたいがそれさえできない
唇を噛みつつ眼前の光景に自分のおける現状を理解する
「オレは…呑まれたのか、この化け物に…」
夜な夜な訴えかけてきた不快な声の正体は
今アーサーが見ている視界の持ち主
凍て蜘蛛 ベイガンだった
なぜこうなった?
誰に問うでもない疑問に、自身がすぐに応えた
あの黒い箱だ
ハイトエイドから託されたあの禍々しい小さな黒い箱
あれを受け取った日からだ
止まぬ声 黒く押し寄せてくる何か
自分の中の正義が根幹から覆されようとしていく悪寒
纏わりつく悪意の靄
醒めた後のえも言われぬ感覚
「まさか…何度もオレは…こうなっていたのか。その度に…こうして人を襲って…?」
まるで別世界を俯瞰しているように見える光景がアーサーには毒のように視覚から染み込んでいく
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同刻
ルグリッド公国最西 ベリーズを抜けんとする一団
どこか禍々しい雰囲気をたたえた
巡国遊撃隊の面々
その中ほどにいるハイトエイド・ベルラインは感じていた
「ようやっと…悪意の花が咲いたか…」
ポツリと呟いたその言葉を拾ったのは
間近にいたジャルセムという男だった
「それは…あの若造ですか?」
首を傾げながら問うジャルセムを一瞥すらせぬものの
ハイトエイドはゆっくりと答え始めた
「ああ、あの黒箱は魔力を湛えた言わば悪魔の種…それは咲かすには悪意や憎悪が必要だ」
「お言葉ですが、だとすればあの正義漢には不向きだったのでは?」
「それは違う。問題は質だよ、漫然と広がる悪意などは結局一過性のもの、一瞬風が吹いた程度のものに過ぎない。もっと本質からなる悪意…質問をしようジャルセム」
「とは?」
「彼のような正義感を持つものは、その生き様に於いて全くの悪意を持たずに生きていけると思うか?」
「否、なのでしょう?」
「そうだ、使命感と己の正義感に駆られ人を守りその為に傷つき、その循環を繰り返す。その最中には必ずと言っていいほどの疑問が生まれる。【自身が守っているものにそれほどの価値があるのか?】と。悪魔に襲われる人がいるとして、それを守る、言わば他人の代わりに血を流しそれを【正義】を理由に受け入れる。だが守ったものが流した血に値するような存在なのか?」
「それを生業として割り切るのならばともかく、ということでしょうか?」
「余程その方が生きやすいだろう、だが金銭などという目に見える形が理由に、意義にならない【正義】などは結局、言葉の意味の大小は自身が決めているのだ」
「不変な存在意義ではないと?」
「揺らぐのだ、そんな人によって価値が違うものに縋っていれば自ずと。そして自身が気付かぬうちに芽生えた疑問は、日を追うにつれ極小さな悪意を生む」
そこで一つ息を飲む
「だがその極わずかな悪意は、日々幾千と生まれるものではない、いわば洗練された悪意。あのように純なものから生まれたそれは黒箱の悪魔を呼び起こす至純の馳走となる」
「これは愉快ですな、持ち前の正義感が仇となるとは」
クックッと笑う有様は
人の不幸を蜜と呼んでいるような響きを帯びている
「そして…自身が飲まれたと知った時、悪意は絶望と混ざり完全な闇を生み出す。アーサー…きっと君は素晴らしい悪魔となれる」
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# misery,s side
〈ゴシャァッ〉
光る三つ編みによる打撃がベイガンの顔を真芯で捉えた
今までにない手応えにミザリーも
好機とさらに踏み込まんと足に力を込める
マッドローズを振りかぶりつつ引き金を引くと鱗の様な刃がさらに飛び出し始め鞭のようにしなりだす
振りかぶった遠心力にしなりが加わり
再度ベイガンの顔に打ち付けられる
軽快なギミックからは想像しがたいが
その刃はかなり重量がある
それを思い切り打ち付けられれば
〈ゴシャァッヅ〉
酷く鈍い音がさらに不可侵領域に響く
「よし、いいぞ!そのまま押し切れるっ」
ラビをベイガンの視線から庇いつつ引いていたベイカーも手応えを感じた
懸念材料でもあったフェンリル化による身体への影響も今のところは目に見えていない
先刻の爆発により
周囲のいくつかの小屋にも火がついてしまったがそれがかえって気温を上昇させる好手になり
漂っていた氷片も目に映らなくなってきていた
周囲の兵士達もベイガンの攻撃範囲から逃れ、安全圏と言える距離まで後退できている
あとは
「ミザがあいつを何とかできれば、ひとまずは……?」
ふとベイカーは一抹の不安を感じた
それはミザリーやルベリオは感じ取れなかった曖昧なもの
「なんだか…あの蜘蛛、様子がおかしくないか」
先程起こした爆発、ならびにミザリーの追撃
その直後ベイカーの目にはベイガンの動きが酷く鈍っているように見えた
「それはあの爆発もあったし、ミザリーとの戦闘でダメージを負ったからじゃないですか?」
ルベリオの目には、
いや誰が推測してもその結論に至るであろう
単純にダメージによる疲労、摩耗
そのはずだ
そう理解しようとしても何故だか
それが上手くいかない
ベイカーは以前のベイガンとの戦闘を思い出していた
あの時も、あれほど気性の荒かったベイガンは突然糸が切れたように項垂れそして去っていった
今目に映るベイガンはその時と同じような状態に見える
その時
【…オレハ…ドウナッテイ…ル】
そんな言葉がポツリと聞こえてきた
『…っは?』
耳に入り込んできたその言葉の力無さに
ミザリーは思わず動きを止めた
【…ア…ナゼ…】
『どういう情緒なのよコイツ…』
油断するわけでもない
なお警戒は解かない
ミザリーはそれでも視線を逸らすまいと睨み続けている
焦点が定まらないように蜘蛛の目が
ゆったりと辺りを見回す
その目がふいにミザリーに止まり
そしてベイカーに止まった
激しさを忘れたような
その目と目があったとき
ベイカーの頭の中に言葉が飛び込んできた
【タノ…ム…トメテ…】
「えっ…?」
思わず目を見開いたベイカーは
頭の中に飛び込んできた言葉の意味に迷った
「どういう……」
その時
ベイカーは脳裏で何かがざわつくのを感じた
急に周囲を見渡し始め何かを探し始める
その何かが見つからない
視界を巡らす度に妙な汗が染み出す感覚
「…え?」
その目に入ったものは探していたものではなかった
『あれは…』
〈ガラガラガラッ〉
一方向、だけではない
至る所から同じように慌ただしく荷車を引いてくる兵士達の姿が見え始めた
そのうちの一団がベイカー達に近づいたときに兵士の一人が急ぎばやに言った
「助力する、そちらの右大臣よりの言伝を受け取った」
思いがけない言葉に
ベイカーとルベリオは顔を見合わせた
「イグダーツ…」
右大臣、ルベリオにとっての公国において信頼に足る人物
その報告はその人物の安否を示すことにもなる
そしてこの現状にとってなによりの光となることだった
「ミザッ!リヅたちがやってくれたよ!」
静止しながらベイガンと向かい合うミザリーへとベイカーが告げる
『そう…良いお土産探しとかないとね』
ミザリーの目に更に鮮やかな光が灯った
そんな安堵とは反比例して
騒々しくベイガンの周りを荷車を引いてきた兵士たちが囲む
恐らくその荷車に積まれているのは
「この火薬樽で一気にケリをつける!タイミングは任せる、着火してくれ!」
その兵達を統率しているらしい一人がミザリーへ向けて叫んだ
兵士達を相手取っていたとは言え
ミザリーが全く危害を加えなかったこと、兵士を守る立ち回りでベイガンと対峙していたこと。
そして右大臣イグダーツからの言伝があったことが大きいのだろう
周りの兵士達からも協力的な様子が伺いしれた
「やれ!そして随時後退!」
指揮官の兵が声をあげると
ベイガンを囲んでいた兵士達は荷車を大きく傾け、火薬の詰まった樽を目的のベイガンへと転がした
同時に真反対の方向へと駆け出し、爆発の被害の及ばぬ距離へと向かう
「…っ!」
好転した事態ではある
だがベイカーは懸念を捨てきれずにいた
【…ヤ……レ…】
ギシリと錆び付いているような動作でベイガンの顔が動く
辺りを見渡し、兵士達が被害にあわぬ距離まで退避したと判断したミザリーは一つの樽目掛けて
マリーゴールドの引き金を引いた
〈ドゥンッ!〉
射撃音を響かせ、弾丸が一つの樽に命中する
その樽が爆発を起こし、その熱でさらに近くの樽を誘爆させていく
樽の数だけの誘爆、それによって引き起こされた大爆発は
〈ボォォッンッ!!〉
と巨大な炎の塊となって完全に巨躯のベイガンさえ包んだ
【ガァァァーーッ!!】
その轟音さえかき消すようにベイガンが雄叫びをあげる
炎の揺らぎの中に見える巨大な蜘蛛のシルエット
その目がギラリと光った
『タフ過ぎてウンザリするわね…』
【塵ガァァァッ!!我を…凍て蜘蛛を焼けると思うなぁっっ!!】
怒号が空気を揺らすように走る
そして、なんとも不思議な光景が
ミザリーのみならず
ベイガンを注視していた者の目に映った
炎に包まれ焼かれている
そのはずのベイガンから冷気が迸り、その冷気が形をなし
再び、むしろ先程よりも大きく氷の外殻を纏い始めたのだ
【我ノ、魔力を全て出しきッテヤル凍テツケ!!ソノ命の欠片まで砕いて死ネエッ!!!】
吠えると同時にかつてないほどに迸る冷気は
信じられないことに炎を包み飲み込み
そして、消した
残ったのは炭になった木々や焼け焦げた石
眼前の光景に言葉を奪われた
奇妙な程の無音
だがそれさえも一瞬だった
怒り蠢くベイガンから再び迸る冷気が
やはり周囲のものを凍てつかせはじめたのだ
先程よりも、強く迅い冷気は
痛々しい風となり苛烈に吹きすさび始める
『逃げてっ!!』
ミザリーが急かすように手振りを混じえ
振り向く
爆発から逃れた距離にいた兵士達にさえすでに冷気の影響が出ている
足が地面に凍りつき動きを止めるもの
いくら上体で慌てても張り付いた足が動かなければ後退さえままならぬ
「まずいっ!」
慌ててルベリオをベイカーが冷気から庇う
しかしそんな一挙手一投足でどうにかなるものではない
それはその場にいる1人残らずが感じていた
「考えろ、どうすればいい…多分あの冷気はベイガンの魔力からなっている、なら魔力を断つ?…でも魔力が生命力ということなら倒すしか…」
その時、疑問が浮かんだ
(あの冷気はベイガンの魔力?…だとすると〔魔力→冷気〕ってことか?魔力を冷気に変換している?いやそもそもあの冷気が魔力の形なのか?)
ばっとミザリーへと視線をやると
温存の為かフェンリル化はすでにとけている
生身ほどの影響はないだろうがそれでも全くの無影響とはいかないだろう
(だったらミザは…魔力で身体を動かしているミザは〔魔力→電力〕なのか?
でもその魔力の質が悪魔にとっての個性的な、言わば特質的なものだとしたらたまたまミザのフェンリルがそういう特質を持っていたのか?…そんな偶然…違う………もしかしたら)
ベイカーの頭に浮かんだ推測は
ひどく都合のいいものかも知れない
それはベイカー自身もよく分かっていた
だがそうであるとするのなら合点がいくことがある
(ベイガンが魔力=冷気で魔力と冷気が同一のものと推測する
でなければあそこまで冷気一辺倒という訳では無いだろう
でももし、ミザがそうじゃないなら
魔力=電力ではなく魔力→電力だとしたら…魔力を電力へと変換、ミザのフェンリルの魔力の特質が〔変質〕だとしたら?
ベイカーの頭にずっとある一つの疑問の解決の糸口になる
「もしかして…?」
再びミザリーに視線をやる
ベイカーが思索を巡らす中
ミザリーはミザリーで集中していた
『(どうする!?このままじゃまた周りの人達が…また爆発を起こすために火薬をなんて余裕はない…)』
再び、いや先程より苛烈な冷気に脚をとられる兵士たちが目に映るたび焦りが思考を鈍らせる
【ちょこまかと五月蝿い塵どもから…クダケテキエロォッッ!!】
ブワァと冷気が噴き出すと周囲の頭上に氷柱のような氷塊が無数に象られ始める
どう考えても、それらは兵士たちに狙いを定められている
『マズイっ!!』
キンッと指を弾くと再び光る三つ編みが顕現する
しかし
いかに迅いと言えど、氷柱が兵士を傷つける前にその数を叩き壊すのは酷く難しい
いや、無理だとミザリーは感じた
それでも目の前の命を諦めたくない
目の前に映る全ての兵士たちには大切な家族が、大切な人がいるかもしれない
その繋がりを、その温もりを
失う悲しみは、残す悲しみも、残される悲しみも
『(諦めるなっ!誰かが傷つけば誰かが泣く…例え私の目に映らなくても何処かで誰かが泣いてしまうっ)』
ミザリーは知っている
大切な人との日々を諦めなければならないあの悪夢の入口のような瞬間を
暗闇をもがく迷路のようなその後の人生を
だから、あの温かい灯火は
人が生きるために必要な道標
『絶っ対に…守るっ!!』
決意を瞳に宿したとき懐かしい声が聞こえた気がした
【灯して】と
ミザリーは手を
鋼の腕を弧を描くように、更に円を描くように振るった
冷気により淡く白く染まった空気の中を何かが走った
それはベイカーやルベリオはもちろん
周囲の兵士達の目にも
鮮やかに、温かく、そして美しく走った
翠色の炎
一筋の柔らかな炎の光は
冷気の中を割いて走った後
ふわりと、綿毛が広がるように周囲を包んだ
触れれば火傷する
包めば命を落とす
そんなイメージからかけ離れたその炎は
翠色の光を凍える兵士達に浴び降りさせた
「温かい…」
兵士の一人がポツリと呟いた
「これは…ミザが…?」
ベイカーも自身を包む炎を眺めながら、その温かさに驚いていた
兵士達も凍えるのを忘れた
木々や地面が凍る中に感じた不思議な温もりはなぜか家族を思い出させた
そしてルベリオも、亡き父を思った
あの父の優しい翠色の目を、同じ色の温もりに包まれ思わず涙ぐんだ
「父さん…」
そんな中唯一その温もりを感じぬのは
やはりベイガンだった
【なんだ、なんだソレはぁっ!!】
問われたミザリーもその答えは持ち合わせていない
と言うよりは分からなかった
自身の身体から灯ったその炎を
ぼんやり眺めていた
『私が…?』
理屈はわからない、なぜこんなことが出来たのか理由もわからない
それでもミザリーはこれならば守れると感じた
「…そうか…」
状況を一変させたミザリーの翠色の炎は
ベイカーの疑問の1つに解決の糸口を与えた
「それがフェンリルの魔力…」
【変質】
魔力を冷気として行使するベイガン
恐らくは他の悪魔も同様
魔力には個別な性質がある
火を噴く悪魔は炎しか扱えず
氷を操る悪魔は氷しか扱えない
フェンリルだけがそうなのか
同様の存在がいるのかはまだ分からないが
結論に至った根拠はこの翠色の炎だ
凍てつく冷気だけを焼き払い
渦中の人を焼かない、傷つけない
それがミザリーの願いを含んだ変質というものでなければ納得がいかない
『火…じゃないのね…服が燃えないし、でも何だっていいわ…力を貸して』
漂う炎のような灯り
その灯りが作り出した一瞬の沈黙のなか
【…ァァァ…】
静かにベイガンが呻いた




