フェンリル
豪雨の元で、この僅か数刻の間に様々な現実が押し寄せる
その中で起こった不可思議なこと
四つ脚リーダ・バーンスタインとの戦闘中、目前に
いたはずのミザリーが消えた
それは最も近くにいた
リーダは勿論
遠巻きから、助力しようとしていた
ベイカーとルベリオの目にも映っている
いや、捉えようとした姿が映っていなかった
「消えた…雨に紛れたか?」
周りを見回し標的を探すように視界を
走らせるリーダ
しかし、やはりミザリーの姿はない
いくら勢いが激しいとて豪雨の中に紛れるなどは考えようがない
そのはずだ
しかし
「…なに…!?」
リーダは目にした
視界の端
まるで一箇所だけが突風に吹かれているように
雨が弾けている
摂理にて上から下に落ちる雨が
強引に横へと弾き飛ばされているような突風
それがリーダ目掛けて吹いてきている
気づき、意識を
目を凝らすことに向けようとした
そしてその突風が
目前まで迫ったとき
その風の中に、見た
金色の揺らぎを
「(ミザリー・リードウェイッ!)」
〈ゴシャッッ!!〉
それがミザリーだと気付いたのは
既に突き出された鋼腕が自身の胸へと
痛烈な一撃を見舞ってからだった
「ぐぅっ…!?な…」
先刻までとはまるで違う
その一瞬に異質な雰囲気をミザリーから感じる
同時に変化を身をもって知る
積み上げた経験により
自身の戦闘能力により
先刻までのミザリーの動きや癖、全ては見切っていたはずだった
それなのに
「(速いなんてものじゃない…っ…)」
まるで反応が届かない
反射的に振った腕も雨をかすか弾いて空を切り
再び見失う
それはベイカーやルベリオの目にも
衝撃的な光景として映っていた
「なんだ…あれ…?」
ベイカーは驚きに口が閉まらず
ただ捉えようと注視し続ける
「っ…どこだっ!…」
再度その姿を捉えようと
リーダの視界が走り始める
だが、この豪雨
聴覚という感覚を酷く鈍らせるゆえに
視覚、感覚をもってミザリーを辿るが
〈パシャッ〉
背後でかすか雨を弾く音に
つられ剣を振りかぶるが
〈ドッ!!〉
振りかぶったその脇を掻い潜るように
ミザリーが再び現れ一撃を見舞う
(グゥ…また!!)
姿が追えない
高速で目まぐるしく動いているのか
辺りに広がる雨を弾く音
〈バシャリッ〉
水溜まりを強く踏みにじる音を立て
とうとうミザリーが静止した
体勢は低く
両腕を広げ四つ脚を、リーダを睨むその姿は
ベイカーに酷い違和感を感じさせた
「ミザ…どうしたんだ、あれじゃ…獣じゃないか…!」
ベイカーの表現いかにも
ミザリーのその瞳には危うげな光が
揺れるようにまたたき
その手は獲物を狙う爪を持て余すように
疼かせている
理性を、感じさせない様相はまさに獣であると言えた
「獣…まさしくね?…人間を本当に捨てたのかしら?」
想定外の動きに戸惑いながらも
虚勢まじりの皮肉を口にするリーダ
『…ゥヴ…』
ミザリーの口から出たのは言葉ではない、唸り声
そして
〈ジュゥ…シュ〉
「…なんだっ?」
いち早くその変化に気づいたのはベイカーだった
その変化とは
ミザリーの、上着が捲られた鋼腕
そして手の甲
ほのかに白い煙のような、モヤのようなものが立ち上がっていたのだ
「ベイカー?…あの煙は?」
僅か遅れて気づいたルベリオが
心配そうにベイカーに問う
ベイカーは少し思索に意識を割いたが
すぐに一つの推論に達した
「あれは、恐らく水蒸気だ」
「水蒸気…ですか?でも、なんで?」
「ミザの身体は機械で動いていて、その動力は悪魔の魂によって生み出された電力っていうのは話したね?」
「はい、そこまでは聞いてます」
「平たく言えばミザは行動に応じた電力量を悪魔の魂によって造られた電力で賄っている。行動を起こすのに必要な電力を、生前の体力を使うっていう感覚で引き出しているんだ」
「体力が電力というエネルギーに取って変わったんですね」
「そう、そして今の状態は恐らく無尽蔵に体力が溢れだしているような状態なんだ。タガが外れたみたいに」
「でも…そんなの身体が…」
「まず、もたない。体力よりも先に身体に限界が来てしまうんだけど、ミザの身体は…ウルベイル鋼はそれに耐えれるんだ」
「じゃぁ、あの煙は?」
「耐えれたとしても、機械の身体を早く動かそうとすると比例して負担がかかる。つまりあれは、今のミザは過剰駆動により酷く身体が熱せられている…触れた水滴が蒸発するほどにね」
ベイカーの表情は幼馴染を思って
心配して、強ばり泣きそうになっている
でも決して目を離すまいと
ずっとミザリーを捉えていた
「雨に弱いのかしら?…それとも…」
一呼吸ほどの間を置いて
真剣味に、本気に、拍車を駆けるように
リーダが強く踏み込みミザリーへと突っ込む
〈パシャッ…バシャッ〉
単純な力のみで言えば
まだリーダの、四つ脚の方に軍配があがる
戦闘経験ももちろんそうだ
しかし、今
この二人に優劣の差を付けている要因は
スピードであった
元々スピードはミザリーのほうが速かったのだが
それを読みと経験、動きの癖を理解することでリーダは差を埋め、優勢としていた
(今のコイツはっ…!!)
〈ブォン…〉
幾度も幾度も、リーダの双腕が空を切る
(読めない…!!)
突如のミザリーの変貌に
これまでの読みが通じない
(これまでの動きはスピードはあれど未熟な経験値により、パターンが幾つかに確立されていた…思考が図らずもそれを創り上げていたからだ…でも)
その思考が
今のミザリーにはない
まるで獣が野生の勘のみで
立ち振舞って、牙を、爪を奮っているかのように
(だが、結局は打撃に頼らざるを得ないなら…接近しようとするパターンを読めば…)
リーダが
冷静に対応を、見切りを目論もうとしていると更に不思議な現象が目の前に起こった
ポォッ
と光が、金色の光がミザリーの背中辺りを漂い始めたのだ
その光はミザリーの腰まである三つ編みの先端から
まるで紐のように、帯のようにゆっくりと
三つ編みの延長のように編み込まれながら伸び始めた
そして
ギュンッ と突如としてその光の三つ編みは編み込まれ長さを伸ばしながら一点に伸びて行った
その行き着く先は
ノルニル
弾かれ地面に突きたっていたノルニルの柄に
伸びた光の三つ編みは絡み、掴み引き抜いた
生き物のようにその光の三つ編みは
〈ガチンガチンッ〉
と掴んだノルニルを打ち鳴らすと
ギュォンッ
と縮まりながら三つ編みの元
つまりミザリーの元へとノルニルを引き寄せ戻した
ミザリーの三つ編みから更に伸びた光の三つ編み
意思を、ミザリーの意識なのか
自由自在に動いているようだ
ミザリーは引き寄せたノルニルを握り
唸りながら、リーダへと踏み込んだ
目に見えて四つ脚の劣勢へと形勢が傾きつつある
しかし、ベイカーの顔に不安の色は消えない
グッと拳を握り、歯を食いしばっている
〈ゴッ!!〉
ノルニルを担いでなお、ミザリーの速度は
野性じみたままでリーダを圧倒し始めている
リーダの皮肉めいた台詞も
引っ込んだままで出てくる気配も消えそうになっている
(一撃が…重くなっている、だけならまだしも速度も捉えきれない)
〈ブォンッ!〉
リーダの力を込めた切り払いがまたも空を切る
一度距離をとるために、あえての力任せで振るった
思惑通りにミザリーは距離をとったかに見えたが
〈ブォンッッ!〉
と風切り音と共にノルニルが
リーダ目掛けて飛んできた
「ッ!!」
〈ギィィインッ〉
かろうじて、腕で弾くが
弾いたノルニルは光の三つ編みによって再びミザリーの元へと引き寄せられていく
(中距離戦までも可能とする、あの光の帯の…あれも悪魔の力か…?)
わずかな思索の時間も
今の交戦には許されない
バッ
とミザリーが飛び込んでくる
〈ギンッ…ガンッ〉
〈ギィィッ〉
と幾度も剣戟が轟音を立てる
リーダの経験が少しずつ
天性のものを絡め
またもミザリーとリーダの差を埋めんとする中
「あれじゃ…あんなのじゃミザじゃない…」
グッと一層拳に力を込めると
ベイカーが二人の交戦の領域に歩を進め始める
〈ギィィィンッ!!〉
剣戟をくぐり抜け、リーダの剣がとうとう
ミザリーの胸元を貫く
には至らない
ウルベイル鋼の硬度はそれをいなし
金属音を立てて受け流した
(あまつさえ!この防御力…そんなに…!!)
リーダの、四つ脚の動きが止まる
そして
「そんなにッ!…娘が大事か!アリスッ!」
感情を、ここにきて
始めて感情らしい感情を叫ぶように表したリーダ
母の、アリスという名前の響きを耳にしたミザリーの動きもかすか止まった
そこに
「なにやってんだ!いつまで寝ぼけてんだよ、ミザッッ!!」
ベイカーも思いきりの感情を
言葉に乗せ、叫んだ
ハッ
とミザリーの瞳が
危うげに揺れ揺らめいていた光が
一点に、一点に集まり灯った
獣じみた存在から
ミザリー・リードウェイへと覚めた
「ミザリィ!リードウェイッッ!」
リーダの激情をそのまま動きに模したような突撃の様子がミザリーの目に映る
〈ジャッ!〉
と迎え撃つように水溜まりを踏み込み
ノルニルを構え飛び出す
そして
〈ドッッッッッツ!!!〉
一際、大きく
何かを砕くような音を孕み
ノルニルが四つ脚の腹へとぶつかる
衝突部の外殻が砕け散り
微かに血のようなものもパッと遅れて僅か散る
腹部へともろにノルニルを受けたリーダは勢いよく吹き飛び、背後にあった茂みを草木をへし折りながら飛び越えていった
一瞬の沈黙
雨音だけがその空間を音のあるものとしている中
ミザリーが何かに気づき
リーダが飛び越えた茂みへと走り出した
ベイカー、ルベリオもそれを追う
どうやらミザリーの意識が覚めたことを二人も察したらしい
そして少し走ると
ベイカーとルベリオは立ち尽くすミザリーを茂みの向こうに見つけ
その茂みをかき分けた時、状況に気づく
リーダの姿はなくミザリーのすぐ傍らには
、この豪雨によって水かさが増した川が激流となり轟々と只只流れていた
「四つ脚は、リーダ・バーンスタインは…濁流に飲まれたのか…」
ベイカーがそっと、起こったであろう出来事をなぞった
そしてミザリーへと視線を向ける
その顔には何を思っているのか
計り知れぬ、切なくも悲しいような表情が浮かんでいた




