another episode 右頬の傷
# child side
ある日のなんてことない昼下がり
これはとある二人の幼馴染
その思い出の内の一つの昔話
その幼馴染の片割れの一人
金色の髪の少女 ミザリー
村から少し外れた大木の下
探検に出る時のお馴染みの待ち合わせ場所
ゆったりと編んだ三つ編みを揺らしながら
その大木の周りをうろちょろとそわそわと歩き回っている
『遅いわね、ビーのやつ…』
と愚痴ってはいるがそもそも
待ち合わせの時間にはまだ30分以上もあるのだから
それはせっかちとしか言い様がない
そして、そんな幼馴染の片割れはというと
無理もないが未だに村の真ん中あたりに位置する自分の家にいた
「そろそろ行くかな、どうせミザのことだから」
既に待ち合わせ場所で遅いとか零してるんだろうなと思いながら、準備を始めた
そんな彼の背中に向け
「また探検かい?ベイカー」
と声をかけたのはベイカーの祖母だった
厳しくも優しい唯一の家族
「そうだよー、たまにはのんびり過ごせないのかなーミザは」
とは言うが祖母も祖母で
「あんなおてんば娘と一緒でなけりゃ、あんた干からびちまうよ。丁度いい」
とニヤニヤしている
「ばあちゃんはミザが好きだねー、似たもの同士?」
祖母もせっかちで勝気な女性であることを良く知っているベイカーは
あの幼馴染と馬が合うのも無理はないなと
感じていた
「そうさね、あの子はいい子さ。もう一人の孫だからねぇ」
「まぁそりゃわかるけどさ、そんじゃ行ってくるよ。どうせもう待ちわびてるだろうし」
「ああ!山犬がちらほら出たとか言ってるみたいだから気をつけるんだよ」
「わかった!行ってきます!」
ベイカーは小さな鞄を背負うと小走りに飛び出して行った
その後ろ姿を微笑みながら見送ると
「あんなべっぴんが気に入ってくれてるんだから、ものにしないとねぇベイカー」
ついつい二人の未来を想像して
年甲斐もなく笑みが止められなかった
せかせかと走り続けていくベイカー
ようやく村の端ごろに辿り着いた時
周りが騒々しいことに気づいて足を止めた
止めざるを得なかった
村の人たちが、男の人たちが集まり
何かを探し回っているような素振りが目に入る
そんな村人たちが交わす言葉の中から
「山犬が出た」
という断片がふと耳に入る
「うわぁ、マジかよ…」
と思った矢先
視界の隅の茂みの中から
〈ガサッ〉
と音を立てて黒い塊が飛び出してきた
土埃で薄汚れてはいるが
食事には事欠いていないのか体格は大きく
その動きには一切の不備がない
要するに五体満足の健全な山犬
人を襲わなければ害のないものだが
きっとそうではない
飢えているのか
野生の闘争なのか牙を剥き出しにしている
ベイカーは恐れに足が震え
本能で後退る
だが、その山犬の向かおうとしている進路は村の中心への方向でもベイカーの方向でもない
周りの村の人々はそれに気づいており
そのまま事なきを得ようとしていたが
ただ一人ベイカーは違った
震えを押し殺し
歯を食いしばり
足元に転がっていた棒切れを拾い、握って
山犬の前に立ちはだかった
それに気づいた村人たちが
声を荒らげる
「何してるベイカー!」
「逃げろっ!危ないんだぞ!」
だがベイカーには
それでも譲れないものがあった
「だ…だめだ…そっちには…ミザがいる…」
ベイカーの言った通り
その山犬が向かおうとする進路の先には
いつもの待ち合わせの大木がある
つまり、ミザリーがいる
小さいベイカーが怖くて仕方の無い
自分より大きいぐらいの山犬に立ち向かう理由としては十分すぎるものだった
「あっち…いけよ…ミザの方に行ったら許さないぞ」
声は震えている
足にも力が入らない
それでも立ち向かうのはきっと
「僕は男だからな…好きな子のためにカッコつけなきゃいけないんだ…」
自身を奮い立たせ、理由を動力に
ベイカーは山犬に棒切れを奮った
〈グォオッ〉
と唸り声と共に
その前腕が空を切る音が聞こえた
そして肉を裂く音
ベイカーの視界に
飛び散る血が見えた
周りの人混みからは悲鳴が聞こえ
その右頬には幼く小さい顔に不釣り合いな傷が刻まれていた
顎から血が滴り落ちる
だが不思議と涙は出ていなかったが
痛みなら勿論ベイカーは感じていた
それでも、それでもベイカーは
山犬の前に立ち塞がっていた
「…あっちに、行けよ…」
怯えながらも立ち塞がる姿に
強い意志をはたまた
何かを感じたのか山犬は一瞬
ごく僅かに怯むようなたじろぎを見せ
村でも、ミザリーのいる方でもない獣道へと
ゆっくりと歩き出していった
「そっちなら…大丈夫かな…」
と小さな声で呟くと
ベイカーは力なく膝を着いた
ごく僅かな時間の出来事であったが
長い緊張状態であったかのようであった
おまけに顔からのその出血で衣服は血だらけになり
うっすらとその意識は遠のいていった
その少し後
ミザリーはというと
『遅い!』
と完全にむくれている
待ち合わせの時間に自分が早めに着いていたことを差し引いても、大分待たされていたこともありミザリーはもう大木の周りを何周回ったかも数え切れなくなっていた
『遅いにも程がある、遅いビー!遅ビーね!あいつは!』
言ってることもよく分からなくなってきたところで
仕方なく村に戻ることにした
待ち合わせ場所から村へはほぼ一本道
行き違うこともない
むくれたまま、すたすたと歩き続けていると
前方から足音が聞こえてきた
ハッとし
気持ち駆け足で向かうと
姿を現したのは幼馴染ではなく
『あれ!なんでお母さんがいるの!?』
自身と同じ金色の髪をした母であった
普段は家の地下の作業場にこもりっきりな母をここで見るとは思わなかったのだろう
キョトンとしているミザリーを
母 アリス・リードウェイが抱えあげた
「お迎えに来たのよー?ベイカーはちょっと来れなくなっちゃってね」
『遅ビーがどうしたの?』
「なぁに遅ビーって?」
『待ち合わせに遅いビーだから遅ビー』
「そんなこと言わないの…ベイカーはね、怪我しちゃったの」
少し言いにくそうにアリスが告げると
突然ミザリーは身を捩り、アリスの手から逃れようとする
察してアリスがミザリーを下ろすと
ミザリーは一目散に村へと駆け出した
「あらあら…なんだかいつもより足が早いわね」
とあっという間に小さくなっていく後ろ姿を
アリスも次いで小走りで追った
そして
『ビー!!』
〈バンッ〉
とベイカーの家の扉を思い切り開けると
そこには祖母から治療を受けるベイカーの姿があった
消毒をしていたのだろう
出血こそ収まっているようだが
その顔には、つい先日までは影も形もなかった大きな傷がついていた
思わず言葉を失うミザリーに
ベイカーが言葉を選んでいるように慌てる
それも察してベイカーの祖母が
口を挟む
「馬鹿だろう?この子、山犬に喧嘩売ってこのザマなのさ」
雰囲気を柔くしようと笑っているが
それもミザリーはなんとなく子供ながらに察してしまった
「ああ、もう足が早いわねミザ」
少し遅れて入ってきたアリスが扉の前で息を整えている
普段運動しないつけだろう、かなり無理をして走ってきたようだ
「ミザ…ちょっとおいで、治療の邪魔しちゃだーめ」
呼吸を整えながらアリスはミザリーを手招きする
大人しくとぼとぼとミザリーはアリスの方に歩いてきた
そして、ベイカーの家の外
手近な場所でアリスはミザリーと同じ目線に腰を落とした
『ねぇ、なんでビーは怪我したの?』
「おばあちゃんが言ってたで…」
『ビーはそんな馬鹿じゃない!…私じゃないんだから、無茶はしない…』
堪えるように俯いている娘の姿に
アリスは観念した
勘のいい子だ、ここで誤魔化してもいずれ気づくはずだろう
ふぅと息をつき、アリスは事の真実を話した
そして、小さな頭を撫でながらこう付け足した
「でもね、ミザ。謝っちゃだめよ、謝ったらベイカーがカッコつけ損なっちゃうから。」
なんとなく難しそうに
でも、それでもミザリーには届いたようで
息を一つ吐くと
再びベイカーの家に入っていった
もう治療は終わったようで
ベイカーの頬から顎にかけてガーゼで覆われていた
ベイカーはなぜか気恥しそうに
ミザリーから目を逸らしている
「馬鹿なことしちゃったよ、なんか山犬に勝てる気がしたんだよなー」
下手な誤魔化しだと
祖母は近くで笑いを堪えている
「傷跡は残っちゃうけど…」
『カッコイイ!』
突然ミザリーが叫んだ
ベイカーもその祖母も
扉の近くにいたアリスもその突然の発言に目を見開く
「へ?」
『なんか…歴戦のつわものって感じでカッコイイわよね!うん、傷痕っ!男らしいっ!』
「そうかな…そうかな?」
突拍子もない褒め方だが
ベイカーも満更ではなさそうだ
『うん、あんたもやっと一人前になったって感じね!』
「なんか照れるな…」
小さい二人のやりとりに
ベイカーの祖母とアリスは目を合わせ微笑んだ
こうして、ベイカーの右頬には
大きな傷痕が
幼い男の子の勇気の証が刻まれた
そんな昔話
だけど
忘れられていない昔話




